第4話 思い出のチキンバスケット

 気が付けば三十も半ば。いい加減、オッさんになってきた。


 本当にいい大人オッさんなら、行きつけの喫茶店のひとつやふたつなくてはいけないと思っている。



「どーも」


 と言って会釈しながら入る喫茶店があっていいと思う。


「不景気ってレベルじゃないよ。もーヤバイって」


 などと、スポーツ新聞を広げながら店の人と談笑できる喫茶店があってもいいと思う。


 そしてその店に、美味いコーヒーと美味い軽食があればなお良いと思うのだ。




 親の代から通っている喫茶店がある。地元にあるCは、実家から少し歩いた商店街にある。


 急な階段をのぼって行った先にあるガラス張りのドア。喫茶店お決まりのベルが、ドアを開けると「りりりーん」と鳴る。


 いらっしゃいませ、はない。代わりにCのママさんがニコッと笑う。


「窓際の席、空いてるよ」


「どーも」


 空いてればいつも座る窓際の席。そこから見えるのは商店街を行き交う人々。なんでここが好きかは分からないが、いつも決まってここに座る。


「ランチでいいの?」


「はい」


「コーヒーは?」


「ホットで」


「あいよ。一緒に持ってくるね」


 書き出してみるとまるで小説のひと場面ではないか。だけど実際こうだから仕方ない。今回は一切の格好つけはない。


 ランチセットは14時まで。食べ応えのあるワンプレートにコーヒーがつく。私は夏でも必ずホットだが、ママさんはいつも聞いてくれる。


 待ってる間に見慣れた店内に目を向ける。


 そこかしこに飾ってある、俳優やミュージシャンらしき人々の写真。きっと有名なジャズのピアニストとかトランペット奏者なんだろうけど、勉強不足で全然解らない。


 一度ママさんに訊ねたこともあるが「亡くなったお父さんが好きだったから。あたし分かんないの」と笑っていた。


 コーヒーをいれるのはママさん。バーのカウンターの様な厨房にいる寡黙な男性は息子さん。私が子供の頃、彼もきっと子供だったに違いないが、その時食べた味となんら遜色ないところをみると、見事にお父上の味を継いだようだ。次はコーヒーを、たまに来るお嫁さんが受け継いでくれると良いなと思っている。


 子供の頃から通っている。まあ子供の頃は流石に一人ではなく、両親に連れて来られたのだが。家族で来る時は決まって窓際とは反対の奥の席だった。きっと私や兄がうるさかったのだろう。


 思い出にふけっているとランチセットがやってきた。


 Cのランチセットは特製チキンバスケットだ。カラッと揚がったジューシーなササミフライドチキンが三本と半分に切られたバターたっぷりの柔らかトースト。薄くスライスされた玉ねぎとニンジンのピクルスにレタス。小さなフライドポテトが三個。


 これにコーヒーがついて千円だから、もう太っ腹だ。


 しかも、いつ何時でも、コイツがべらぼうに美味い。


 まずはトーストにかぶりつく。どこのパンだか見当もつかないが、柔らかでアツアツ、生地がほんのり甘くて塩気のあるバターがたっぷり。まさしく幸せの味だ。


 玉ねぎとニンジンピクルスも美味い。自家製で自信があるの、とママさんがよく言ってる。それも納得だ。光にかざせば向こうが見えるくらい薄切りだが、口に放り込めば甘酸っぱくて口をリフレッシュさせる。シャクシャクといい音がする。子供の頃、野菜嫌いだったがここのピクルスは絶対に残さず食べていた。


 ポテトも、一見地味だが侮れない。ほくほくとして見た目より熱い。うっかりすると火傷しそうなので慎重に口に運ぶ。


 どれをとっても美味いのだが、全てはたったひとつの為に存在する。


 そう、ササミのフライドチキンだ。コイツがこのひと皿の主役。そして間違いなく、主演俳優賞。


 カラッと揚がって柔らかでジューシー。鶏のササミなのに中から肉汁がじゅわーっと出てきそうなほどだ。塩も用意されているが、衣にほんのりついた味と脇にちょこんと置かれたレモンを絞れば十分なのだ。シンプルに、そして極上に美味い。


 トーストも、ピクルスも、レタスも、ポテトも、どれも一定のレベル以上に美味いのだが、全てはフライドチキンを食べている時の箸休めに過ぎない。それほどにこのフライドチキンが美味いのだ。ひと口かじれば夢中になる。



 

 Cには子供の頃に家族で通っていたが、その後もろもろの事情でしばらく地元を離れていた。


 その後成人して、また地元に戻り実家の近くでグータラな日々を過ごしていた。そんな時フラリと入ったのがたまたまCだった。懐かしいとは思ったがママさんは私の顔なぞ覚えているわけもなく、はじめてきた人相の悪い客として扱われた。


 そこからは悪友とよく遅めの朝めしを食べに通い続けた。そして食べた後はギャブルにうつつを抜かし、こっぴどく負けてせっかくの日曜日が終わる。そんな自堕落な青春を送り、傍にはいつもCのチキンバスケットと酸味のきいたコーヒーがあった。


 悪友はいつもランチにアイスコーヒーを頼んでいた。冬でも必ずアイスコーヒーだった。


「いい男が二人も揃ってんだからさ。たまには女の子でも連れておいで」とよくママさんに言われたものだ。


 そうやってからかわれながら、チキンバスケットを平らげ美味いコーヒーを飲んだ。


 それから十年。


 悪友も私もすっかり家庭に入ってしまい、ギャブルも夜遊びもしなくなってしまった。


 コロナが流行る前。たまの休みに妻と二人でCに行った。ママさんは健在で、いつもの窓際でランチセットを頼む。私も妻もホットコーヒー。


「そういやこの間。相方来てたよ」


「へえ。よく来るんですか?」


「たまにね。奥さんとさ。おちびちゃん連れてさ」


「相変わらずアイスコーヒーですか」


「そうだよ。変わんないよね。アンタたち」


 そんな話をした。


 子供の頃から通算すれば、もう二十年は通っている。私の人生のほとんどが共にある。




 いつか、自分に子供ができたら連れてきてやりたいと思える店があるのは幸せだ。


 そこに美味いコーヒーがあればいい。


 さらに美味いチキンバスケットがあれば、なおいい。


 通える店があるのは、つくづく幸せなことだ。



 次の深夜に続く

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