第3話 美しき立ち食い蕎麦

 蕎麦とは美しい食べ物だ。


 色艶とたたずまい。大人の雰囲気が漂っている。


 漢字も良い。「蕎麦」。なんだか見えない敷居の存在を感じざるを得ないような文字だ。ラーメンのようなギラついた感触もなく、うどんのような人懐こさもない。洗練された様式美を感じる。スマートで、小ざっぱりしている。そんな印象だ。


 喉越し、香り、ほどよい満腹感。


 三十代を折り返し、若さを失いつつある私にとって、蕎麦はあまりにちょうど良いのだ。枯れ始めたこの身に蕎麦はそっと寄り添ってくれる。


 私は蕎麦を深く愛している。


 とはいえ昔からここまで蕎麦が好きだったわけではない。若い頃は見向きもしなかった。


 三食ラーメンでも飽きないし、風邪をひけばうどん。もっとガツンといきたい時はパスタ。夏は素麺と相場が決まっていたので蕎麦の出る幕はなかった。


 ではいかにしてそばに行き当たったのか。


 私と蕎麦の馴れ初めはこうである。



 

 その頃の私は暴飲暴食ばかりを繰り返していた。朝まで飲んであらゆる物を出し尽くし、始発の電車に揺られながら睡魔と空腹を抱える。そんな週末を数え切れないほど過ごしていた。


 渋谷でお気に入りのラーメン屋は朝でもやっていたし、上野にあるとんこつラーメン屋も二十四時間営業。飲んだ後には必ずラーメンの脂をグイグイと吸収し、太りこそしないものの、肌荒れと腹痛に年中悩まされていた。


 そんな日々を過ごしていたある日。私に転機が訪れた。



 その日は恒例の悪魔的な飲み会だったが、参加者たちのよる年並みもあって、解散が思いの外早かった。とはいえ最寄駅までの終電には間に合わず、行けるギリギリの駅まで行ってあとはタクシーというお定まりの中途半端なコースになっていた。


 そのギリギリの駅には深夜営業の飲食店が数多くあり、終電に揺られながら私は何を食べて帰ろうか思案していた。


 しかし実は、その日は少し胸焼けぎみであった。何しろ年末が近かったので飲み会が重なっており、おまけにその日の宴会で出たモツ鍋が劣悪品で、大した量も食えず胃だけがムカムカしていた。


 アルコールと粗悪な脂で毒された胃は、空腹になりながらも、しかし一切を拒絶するという気難しい状態になっていた。


 これじゃあとてもラーメンは食えない。


 大好物の博多とんこつラーメンでさえ、思い浮かべると気分が悪くなってしまうほどだった。


 本来ならばこういう時、何も食べず帰るのが正解なのだろうが、とにかく空腹で酔いも手伝って身体と心はいつもより余計に塩分を欲していた。


 このままでは眠れない。そう思った。


 しかし何が食える?何しろ深夜営業の飯屋はどこも暴力的だ。主にカロリー的な意味で。今の私にはちと荷が重い。


 駅に降り立った私はまず暖かいほうじ茶を買い、落ち着くことにした。胃を温め頭を冷やそう。


 駅前で自販機を探していた私の目に、飾り気のない白い看板と立ち込める湯気が飛び込んできた。


 それが立ち食いそばのBだった。Bは昼の十一時から夜中の二時まで営業する駅前蕎麦屋で、立ち食いそばとは書いてあるが、カウンターには席が並んでいたし、狭いながらテーブルもある。


 昼は中年の男性と外国人のお姉さんカップルがやっていて、夜はおじさんおばさん夫婦がやっている(普通なら逆かなと思うが実際こうなのだ)。


 はじめての店ゆえ、券売機で多少まごついてもそこは深夜。後に並ぶ人もいない。


 かけそばをつい大盛りで頼んでしまい、おばさんに券を渡した後で後悔した。はじめての店で大盛り。なかなかチャレンジャーなことをしてしまったな、と。


 蕎麦屋ではないが幾度となくラーメン屋で大盛りの洗礼を受けている。しかも、たいがい大した味でない店に限って多めに盛ってくる。サービス精神かはたまた悪ふざけなのか。


 とにかく恐ろしかった。なにゆえコンディションが悪い状態で大盛りを頼んだのか。恐らく店内に漂う出汁の香りにほだされたのだろう。後悔先に立たずだがほのかに蕎麦の香りを孕んだ湯気だけが立っていた。


「かけ大盛りのかたぁ」


 私以外に客は見当たらなかったがおばさんは私を呼び出した。急いで取りにいくと大きめの丼が薄汚れたトレーの上に置かれていた。


 時間は深夜一時の少し前。こんな時間に客の相手をする以外に仕事があるのかと思いながら、無愛想な二人の元から丼を受け取り適当な場所に座る。


 出てきた蕎麦を見て、少しだけ「おっ」っとなった。


 東京の立ち食い蕎麦はたいがい墨汁を麺の上からかけたように真っ黒なのだが、Bの出汁は綺麗なかつぶし色をしている。香りも良い。


 青々とした薬味のネギがおごっている。大盛りのくせにネギをケチる店は多いが、Bはしっかりとネギも大盛りだ。つい嬉しくなってしまう。


 よくテレビなんかで、タレントが麺料理を食べる時には決まって最初はスープから飲む演出がある。


 べらぼうめ。


 なにをしに来ているんだ。出汁を飲みたいなら料亭りょうてぇにでも行ってこい、スープが飲みてえならスープストックへ行けい、である。


 ここは蕎麦屋だ。私は立ち食い蕎麦に来た。だから蕎麦から思いっきりすする。


 ズルズルズルズル


 おお。こいつは。


 うんまい。


 ちょうどいい固さ。さぬきうどんばりにコシがある。ぷちぷちと歯切れ良く喉の奥まで、つつつーっと走り抜けていく。なんだこの蕎麦は。好みすぎるじゃないか。そう思った。


 それがBの蕎麦だった。暖かいものでも冷たいもので、しっかりと噛みごたえのある、そのくせ蕎麦特有の香りが口の中でしっかりする。


 出汁の味は見た目通りに品がよく、ただいたずらに塩辛いようなやっつけではない。かつお出汁がふんだんに香る、甘さと塩気のバランスが絶妙な優しい出汁だ。これがまた、不思議とそばにからむからむ。


 蕎麦をすする間、私は無心でありそして幸せだった。すすってもすすっても、美味しいしかない。幸せしかない。


 それにしてもネギというこの唯一にして至高の具はなんだ。まったく名脇役じゃないか。食感も味も蕎麦との掛け合いが実に見事だ。


 無我夢中で蕎麦をすすり、ネギをも平らげ、気が付けば出汁だけになっていた。普段ならまったく飲まない出汁もこの時は八割がた飲んでしまった。


 最後に冷たい水をくぅーっと飲み干すと、言い知れぬ満足感が五月雨のようにこの身に降り注いだ。


 今まで派手さとカロリーばかりに気を取られとんこつラーメンを求めていた身体は、いまやすっかり蕎麦のとりこである。


 あれほど愛していたラーメンを食えないなんて。自分ももう若くないのか、と肩を落としてしまうところだが、新しい相方を見つけあながち悪い気分でもない。


 きらめくネオン街でひっそりと佇む着物の年増美人。蕎麦とはまるでそんな奥ゆかしさがある。


 蕎麦とは、美しい食べ物だ。



 次の真夜中に続く

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