第2話 恐ろしき町中華
町中華とは恐るべき料理屋だ。
大抵がどこの駅に降り立ってもあるし、チェーン店でもないくせに何処へ入ったってそれなりに美味い。
ラーメン、炒飯、餃子、春巻き、天津飯に中華丼。
書いているだけでこの安心するラインナップはなんだ。この胸の高鳴りはどうだ。
心がラードの香りで今にも踊りだしそうだ。ダンスウィズラード。
私は町中華をこんなにも愛している。
最近ではコロナウィルスのせいでろくに外食も出来なかった。だから無償に近所の中華料理屋の味が恋しかった。
今のところ、コロナは中国で発生したと言われている。大きな括りでいうと町中華も中国が発祥の地だ。今一番憎いものと今一番求めるものが生まれを同じくするとはなんたる皮肉だろう。
コロナは憎い。世界がコロナのせいでおかしくなった。あの時の中国がもう少し危機感を持ってくれていればとも思う。衛生観念に重きを置く日本人としては「ちゃんとせい!」と言わざるを得ない。一部では中国に対しての嫌悪をあらわにする日本人が増えたそうだ。
しかしそんなことをしててもなにも始まらない。亡くなった方々は本当に気の毒だし心から悔しい。だけど、もう誰かを憎んでなんとかなる問題ではないのだ。生き残った我々は前に進まなくてはならない。
コロナ憎んで中華憎まず。いや、コロナ憎んで町中華憎まずだ。
真面目なことを言ってるがコレは食レポエッセイ。
大丈夫。お間違えではありませんよ。
ややこしいことを言うが、町中華と中華料理は大きく違う。似て非なるものの最たる例だ。ドリップコーヒーと雪印のコーヒー牛乳くらい違う。同じコーヒーという名前を冠していても全然違う層に求められる。両方ともそれぞれに違った良さがある。
町中華の基本、それは火力と化学調味料だ。特に化学調味料は必要不可欠で、しかしある意味では
私のお気に入りの町中華は近所にある中華料理屋Aである。Aは現在の店主で三代目で、つい先日に引退済みの二代目店主が亡くなられたばかり。現在のその息子さんである三代目と更に息子さんである次期四代目が厨房で鍋をふるう。
装飾は赤が基調。床がいささか油で滑るが店自体は清潔感がある。
縦長の店内で注文をとりに来てくれるのは料理人たちの妻であり母でもあるふくよかな女性。
「今日はいきなり暑かったですね」と女将。笑顔でそんなことを言われると、ついつい饒舌になっていらぬ世間話をしてしまう。腹はぐうぐうなっているのに。
春巻きと半チャーハンと塩バターラーメンを頼む。これが私の三銃士だ。ついでにノンアルコールビールも。
「よかったらどうぞ」と、奥さんがノンアルコールビールと一緒にてんこ盛りのザーサイを持ってきた。思わぬダルタニアンだ。
ぽりぽりとザーサイをかじっているとじゃーっと威勢の良い音が聴こえてくる。店内のBGMはテレビと喧騒、そして火力が奏でるギターリフ。ここはいつだって大勢の観客で賑わっている。
春巻きがやってきた。酢醤油と黄色いカラシでオーソドックスに食べる。茶色いころもがパリパリとしていて歯切れがいい。中から火傷覚悟のアツアツなあんがじゅわーっと出てくる。あんにはしっかり過ぎるほど火が入っていて、うっかりすると常連でも「あちっ!」となりかねない。あんはシンプルに豚ひき肉、ネギ、キクラゲ、タケノコの細切り、そして春雨。全部が絶妙に絡み合っている。しゃくしゃくとした食感が食べ応えを感じる。
ここの春巻きは二本を斜め切りにしてあるので一本目を慎重に食べ終える頃には二本目はほどよくいい温度になっている。
酢醤油をつけたりつけなかったり。
ノンアルで一気に流し込むと、つくづく油と炭酸の相性の良さに感嘆してしまう。酸味、甘味、塩気、全てが口中に存在する幸せ。
うんめえ。
何故、餃子ではなく春巻きなのか。
Aの餃子は確かに美味い。しかし美味い餃子を食べさせる店は数多くある。だが美味い春巻きの店は探さないとなかなかない。
ころもの揚げ具合、あんの味付けと具材、どれをとっても隙のない一級品である春巻きは、まさしくAでしか味わえない。
「お待ちどう。半チャーハンです。塩バターもう少し待ってね」
「かまいませんよ、ゆっくりやってますから」などと酒呑みのような台詞を口にして常連ぶる。だがこれも、店の配慮だ。春巻きが終わるか否かのタイミングで半チャーハンを持ってくるし、きっと半チャーハンが更に半チャーハンになった時、塩バターがやってくるのだろう。
Aのチャーハンは芸術的だ。米のひと粒ひと粒にラードがしっかりコーティングされており、余計な水分の存在を絶対に許さないのでパラパラという表現を遥かに凌駕した、「完全独立型チャーハン」が出来上がっている。米同士のソーシャルディスタンスが完璧になされている。
具材はシンプルに卵、焼き豚、青ネギ。かつてフラッと入った店でチャーハンを頼んだら、ミックスベジタブルが入っていて、おまけに冷凍だったせいかあまりのベチャベチャさに閉口した。それ以来、よほどのことでない限りチャーハンはA以外で注文しない。
このチャーハンの素晴らしい点はもうひとつ。味の濃さだ。かつて知り合いの料理人が言っていた。
「外で食うなら断然味が濃いものが美味い。健康的なのは分かるが、味の薄いものなんて家でいくらでも食える」
大いに賛同するところである。このチャーハンは味が濃くてガツンとくる。ノンアルコールでないビールにもぴったりだ。お酒飲みの方にも是非オススメしたい。熱々チャーハンをつまみに飲むビール。実に最高である。ビールもチャーハンもゴクゴク喉を通っていく。仕事で疲れた身体にこれ以上の快感は、一番風呂を除けば他にない。
うんめえ。
Aの味の濃さを表現するのにうってつけの逸話がある。
ある日の私は若さにかまけて異常なまでに腹を空かせていた。おまけに、意中の女子からはメールが返ってこずギャンブルにも負けた。フラストレーションの塊である。
これはもうやけ食いしかないと、普段から世話になっているAに駆け込んだ。
「野菜炒め定食、ご飯モリモリでください」
大盛りといえばよかったのだが更に欲しかった。それがいけなかった。
普段のAは常識的な飯の量だが、その日の私の情けない顔を見兼ねた先代が、ライスを山の如く盛ってくれた。
「野菜炒め、気持ち多めにしたよ」
先代は私の祖父と旧知の中であった故、まるで孫のように可愛がってくださった。
そんなお祖父ちゃんの気持ちは、世間の考えるより遥かに多い。遥かに。
私は二人前半はあろうかという野菜炒めと山の如きライスを一心不乱にかっこみ、その夜の不満を吹き飛ばした。
しかし事件は、真夜中に起きた。
突如、ゴビ砂漠に取り残されたような灼熱の感覚に身体全体が襲われた。猛烈な渇き。喉が焼けそうだった。
寝る前に水分はとったのだが、あまりに塩分を取り過ぎたのだろう。しかし、いくら大飯を食らったとはいえその渇きは異常だった。
あれ以来、野菜炒めは怖くて注文していない。
塩辛い思い出にふけっているとすかさず塩バターラーメンがやってきた。
まさに伝家の宝刀。Aのオススメメニュー。
白濁色のスープにネギ、もやし、コーン、メンマ、チャーシュー、そして四角く大盤振る舞いされたバター。
バター。本来はパンに塗るべきかの者を、どうしてラーメンに落としたのか。おまけに塩ラーメン。あっさりの代表格のような塩味に。何故、コレステロールの塊を打ち込むのか。
単純明快。美味いからに他ならない。
あっさりとコッテリという矛盾が渦巻く混沌の中、ピリッと効いた塩味にぬらぬらと絡む細いちぢれた玉子麺。その絡み、絶妙。麺をすすった瞬間に鼻に抜けるバターの香り。頭の悪い奴が考えたに違いないこの世紀の大発明は、令和の今でも私のような愚か者の舌を楽しませる。
コーンの甘み、メンマの感触、チャーシューまでもがわき役になりかねない調和の芸術。
これだけ食べれば腹も一杯。身も心も満足だ。もうしばらく何もいらない。しかし、必ずまた数週間もすればこの赤い暖簾をくぐっている。町中華とは、実にドラッグじみた中毒性がある料理なのだ。
「ありがとね。またどうぞ」
これだけ食べても二千円を超えない。この安さも町中華ならではの親近感なのだ。
私は、町中華を思い浮かべる度にいつも思う事がある。
Aが、夜通しやっている店でなくて本当によかった。もしもあの店が深夜営業でもしようものなら、私の寿命はきっと長くないだろう。
真夜中に食べる町中華はさぞ美味いだろうが、真夜中にやっていなくて、本当によかった。
町中華とはつくづく恐ろしいものである。
次の真夜中につづく
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