第146話 開校

◆ヴァリア市 試練の迷宮 地下七階


 神官見習いのジリオラは、試練の迷宮の地下七階に作られた教室に入った。

 無人の教室には数十の机と椅子が並んでいる。

 まだ授業の時間には早い。迷宮の空気は冷えている。


 ジリオラは教壇に立ってみる。

 今日はジリオラが授業をする日だ。

 記念すべきヴァリア学院の初授業とあってジリオラも緊張している。

 子どもたちに向けて聖教団の新たな教義や北ウルスラ王都の話をするようにと魔王ヴァールから頼まれていた。


 壁には窓の代わりに絵が並んでいる。

 この教室の絵は、ウルスラ大陸やアズマ群島の風景と人々がテーマになっていた。

 優しい気持ちが伝わってきて、ジリオラは暖かな気持ちになる。

 絵の隅には鬼王バオウの名前が記されていた。

 あの巨体からは想像もつかない繊細で情感あふれるタッチだ。

 バオウは絵が趣味だそうだが、趣味どころではないレベルだった。

 なんでも、城に掲げられているヴァールの全身画やレイライン王が秘蔵しているヴァールの肖像画もバオウ作だそうだ。


 本人は尻込みしているが、いつかこの学校でバオウも絵を教えればいいのにとジリオラは思っている。


 ざわめきが近づいてきた。

 子どもたちの会話と足音。

 そして先導するファトゥマの声。


「おはよーっ!」

 教室の一番乗りはファトゥマだった。

 明るい彼女からは、かつての怖い危うさはもう感じられない。代わりに元気すぎてちょっと危なっかしい。

 子どもたちとはすっかり馴染んで、むしろファトゥマのほうが子どもっぽいぐらいだ。

 最前列に座ろうとした彼女に、

「引率は一番後ろだってば」

 ジリオラが注意すると、

「ええーっ、遠いじゃん」

 ファトゥマは文句を言いながらも後ろの席に着く。


「せんせい、おはよーございます!」

 子どもたちが連れだって入ってくる。

 好き勝手な席に座ろうとするのを、ジリオラが前から座らせていく。


 席にはまだまだ空きがあった。

 少し寂しいと思ったジリオラの耳に魔王ヴァールの声が飛び込んでくる。


「ずっと楽しみにしておったのじゃ! 聞き逃すわけにはいかぬ!」

 教室にヴァールとエイダが入ってきた。

 自分の杖を提げたヴァールはきょろきょろ見回してジリオラを見つけ、にいっと笑う。

 エイダはよろしくといった体で小さく手を振ってくる。

 ジリオラが慌てて頭を下げる中、二人は並んで席に着く。


「陛下の授業参観なんて聞いてなかった……」

 ジリオラの緊張が高まる。


「参観ではないぞよ、今日は生徒なのじゃ」

「ジリオラさんのお話を楽しみにしてきました」

 ヴァールとエイダはわくわくした表情をしている。

 机にノートとペンを広げて準備万端だ。


 さらに人のざわめき。

 どやどやと教室に入ってきたのは警ら隊のヴォルフラム隊長だった。

 教室内を見回し、ファトゥマを見つけた。怒っているのか喜んでいるのか複雑な表情を浮かべて隣に座る。

「元気そうだな」

 ぶっきらぼうに声をかけた。


「……ヴォルフも元気でよかったよ。あのときは……」

 ファトゥマにしては珍しく言いよどむ。


 ヴォルフラムは顔の前で手を振った。

「いいんだ、お前を責めに来たんじゃない。いろいろあったって話は聞いている」

「でも、でもさ…… 僕は皆を……」

 ヴォルフラムはファトゥマを真っ直ぐに見る。

「今のお前はあの時とは違うんだ。だから、その、なんだ、お前を誘いに来た。学校を卒業したら警ら隊に入らないか。神官よりも向いてると思うんだがな」


 ファトゥマはしばらくぽかんとしてから手を差し出した。

「いいね、僕も神官は違うかなって思ってたんだ」

 ヴォルフラムはファトゥマの手を取って握手する。

「よろしく頼むぜ。まずは今日の授業をしっかり聞こうじゃないか」


 ジリオラの姉、グリエラもやってきた。

 いつもの甲冑姿で後ろに立つ。これはまさしく授業参観だ。

 ジリオラに向けて軽く敬礼し、微笑んでみせる。

 ジリオラも微笑み返す。


 教室にはまだまだ人々が入ってくる。

 新四天王のイスカ、クスミ、ズメイにビルダ。

 大四天王のバオウ、ネクロウス、ジュラ。

 ヴァリア魔王国とノルトン公王国の首脳陣が勢ぞろいだ。


 聖騎士指揮官ハインツとその妻の神官アンジェラもやってきた。

 アンジェラは胸に赤子を抱いてあやしている。


 サース六世枢機卿も入ってきた。

 惜しむらくはサース五世は巡礼の旅に突然出奔したとのことで、極秘に育てられていたという妹のサース六世しか出席できないそうだ。

 なんだかんだ五世にはお世話になったような気がするジリオラには残念だった。


 ゴッドワルドとボーボーノも授業を受けに来た。

 ノートを持ってきているところからして本気のようだ。

 教義について偉そうにうんちくを垂れている。


 男装の麗人が入ってきたときにはジリオラはむせそうになった。

 北ウルスラ王国のレイライン王ではないか。


「学院設立は実にめでたい。できた娘を今日も愛でたい」

 レイラインはヴァールを抱え上げてぐるぐると回す。


「危ないのじゃ、止めるのじゃあ!」

 ヴァールに抗議されたレイラインはしぶしぶ降ろす。


「子どもはこれで喜ぶはず、高さと速さが足りないというのか」

「もうそんな子どもではないのじゃ!」


 レイラインはヴァールの隣に椅子を持ってきて無理やり座った。


 時が来て授業が始まる。 

 人でいっぱいになった教室には熱気がこもっている。

 ジリオラは自己紹介して、このような機会が与えられたことに礼を言い、そして聖教団の新たな教義を説明し始める。


 これまで信仰してきた聖女神アトポシスが悪の黒幕ということになった。星の底ではアトポシスに代わる新エラー管理システムのアポトシスが新たに稼働し始めている。

 星の底での修正作業には大勢が意識体として参加しているので、隠すことにもできない。

 聖教団の上層部が膝を突き合わせてこねくり出したのが、旧約の裁く聖女神アトポシスと新約の守る聖女神アポトシスという概念だった。


 こうした説明を聞いてエイダが申し訳なさそうな顔をする。もともとエイダが大魔王エリカを名乗ったときの話から始まっていることだ。

 ヴァールはそっとエイダの手を握る。これで良かったのだと。


「ここまではご存じの方もいらっしゃると思います」

 ジリオラはちらりとサース六世を見やる。六世は頷いてみせる。


「実は、聖教団では新たに重要な教義解釈を行いました。この解釈については、この地で発表せねばならないと言いつかってきたのです」

 ただならぬ雰囲気に子どもたちも黙る。唾を飲む音が響く。


「聖女神は星神に代わる新たな神だというのがこれまでの解釈でした。確かに星神はもはやこの世界にはおられません。しかし皆さんもご存じでしょう。聖女神を生まれ変わらせた方がこの世に今おられることを」


 皆が一斉にヴァールを見る。

 ヴァールはきょとんとする。


「聖女神は新たな星神をお迎えすることが役割だったのです。聖女神を従え、天の星の環、地の星の殻をしろしめすお方こそが我らの新たなる星神。聖教団は生き神様としてヴァール最高神を崇め奉ります」

 ジリオラの言葉にヴァールが噴き出す。


「だ、誰が最高神じゃ、冗談もいい加減にするがよい…… まさか、本気なのかや」

 見回すヴァールに、皆が胸に手を当てて祈りを捧げる。


 エイダが小声で楽しそうに、

「良いじゃないですか。もともと魔王神社では神様としてヴァール様を崇めていたんですし」

 ヴァールの手をぎゅっと握ってみせる。


「いや、しかし、星神扱いはいくらなんでも」

「ヴァール様、知ってますよ、その杖の中に何が入っているか」

「うう」

 ヴァールが提げている杖、魔王笏は星の殻にて基底システムの修復に使われた。その際、基底システムを丸ごと複製して杖内の魔法空間に収めてある。星全体を操る魔法がヴァールの手の内にあるのだ。


「これはのう、いつか星の旅に出たときにエイダと使うつもりなのじゃ。新しい星を築くために使えるからのう」

「それまではこの星を運営するのがヴァール様のお仕事ですね。あたしもがんばりますから」

 そう言われても、ヴァールは眉をハの字にして困っている。


 エイダは思うのだった。

 かつてこの星に生命を生み出した星神もまた、星の旅の果てにたどりついた存在だったのかもしれないと。でも大きな違いがある。自分たちは二人だ。ヴァール様がいれば何も怖くはない。


 ジリオラの授業が再開される。

 ここからは王都に関する説明だ。

 王様とはどのようなものなのかをレイライン本人に話してもらったりしつつ、にぎやかに話は進む。

 王都はさすがに規模が大きくて人口も多い。学校や病院などの施設も充実している。そんな大都会の話は子どもたちの興味を引くらしくて、質問タイムには次々に手が上がる。

 中でも勢いよく挙がった手をジリオラが指したらヴァールだった。

「皆が楽しめるような場所は乏しいようじゃな」

「はい、お酒が飲めるようなお店は充実しているようなのですが」

 ジリオラは子どもに配慮した言い方をしつつ、遠慮がちにレイライン王を見る。


 レイライン王が手を挙げ、話し出した。

「前宰相が重視したのは戦争政策、俺がやりたいのは平和政策、市民の楽しみは俺も求める。心の豊かさは国の豊かさ」


 ヴァールが立ち上がった。

「よし、決めたのじゃ。王都に進出するぞよ。前々から考えておったが、今日の授業で確信を得させてもらった。王都の民に楽しい遊びをもたらすのじゃ」

 

 エイダも立ち上がる。

「ヴァリアやノルトンとはまた違った遊びを用意しましょう!」


 クスミも立ち上がった。

「武芸を観戦する闘技場、魔法の競技に誰もが参加できる競技場、いろいろやりたいことがありますです!」


 ズメイが続く。

「地獄の魔物を集めた魔物園といったものも面白いのではないですかな」


 ビルダが飛び跳ねる。

「珍しいクグツを動かせる博物館がほしいのダ!」


 ネクロウスがぼそりと、

「バオウの絵を飾る美術館は大いに人を集めるでしょう」

 そう言われたバオウの顔が赤くなる。

 

 皆が立ち上がり、思い思いの案を語る。

 子どもたちも立ち上がって、遊びたいことをわいわいと言い出した。

 ジリオラはそれを黒板に書き止めていく。


 ヴァールは皆に囲まれて熱く語り合っている。

 まだまだその背は成長途上で、囲まれるとその姿はよく見えなくなる。

 でもエイダにはヴァールがすっかり大人に見えた。

 

 魔王はかつての姿を取り戻した。

 いや、それ以上になったのだ。


 人の輪をかき分けて、ヴァールが顔を出す。その顔は輝いている。

「エイダ、次のダンジョンの運営計画を立てるぞよ。やりたいことだらけじゃ!」

「はい!」


 エイダは思う。

 やっぱり、かわいい魔王様とがんばるダンジョン運営ライフは最高に楽しいと。

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