第144話 大水浴場
◆ヴァリア市 試練の迷宮 地下六階 大水浴場
試練の迷宮、地下六階には温泉と大水浴場がある。
温泉は大人気運営中だが、大水浴場はオープン寸前に冥王ネクロウスとの争いが発生し、封鎖されてしまっていた。
事件があれこれ落ち着いてようやくオープンとなる大水浴場で記念に開催されるのが、本日の海開き水泳祭りだ。
魔王ヴァールに拝謁するためやってきた神官見習いジリオラとファトゥマ、ついてきたサース枢機卿。
水泳祭り会場で一行を出迎えたのは魔物との大騒ぎだった。
大水浴場は遠方の海岸と空間接続されていて、本物の砂浜と海が広がっている。
その海で海棲の魔物たちが暴れている。
大きな三角形の背びれを海上に覗かせて遊弋しているのはヘルシャーク。普通の鮫よりも数倍は大きくて闇色だ。
吸盤が並ぶ触手をうねらせているのはヘルクラーケン。大型商船並みのサイズだ。
同様に触手をうねらせながら黒い液体を噴いているのがヘルスクウィッドだ。
身をくねらせて海上を泳ぐ巨大な蛇はヘルサーペント。
ヘルシャークは数が多い。群れを成して泳いでいる。
海には水着姿の女性たちがいる。ヘルシャークの背びれが女性たちに迫っていく。
ジリオラは惨劇を予想して震えた。
海から水しぶきが立ち上って海面は白く濁り、そして赤く染まる。
「よっしゃ、一匹目!」
海から声が響いた。
筋骨隆々な水着の女性がヘルシャークを担ぎ上げていた。
ヘルシャークの頭はかち割られている。女性が片手に提げているハンマーでやられたのだろう。
女性は目ざとくジリオラを見つけた。
「ジリオラ! ずいぶん遅かったねえ。もう祭りが始まっちゃったよ、あんたも急ぎな!」
「グリエラ姉貴!」
ジリオラは目を剥いた。
女性はジリオラの姉、グリエラだ。このヴァリアで重剣士をやっている。
見渡すと砂浜には広大なテントが組まれている。テントの中は台所と飲食スペースのようだ。
グリエラ姉貴はテントにヘルシャークを運び込んで料理人に渡す。
「クスミ、こいつを鉄板焼きにしてくれ」
「はいなのです!」
料理人は忍者装束を着た女性で、頭には白地に紺の模様を染めた細布が巻かれている。刀を使って巧みにヘルシャークを捌き始めた。
木製の大きな掲示板が立てられており、グリエラ姉貴はヘルシャーク一匹を仕留めたと記入する。
グリエラ姉貴は楽しそうな顔でジリオラの元にやってきた。
「海開き記念の祭りで新鮮な海鮮を取り放題、食べ放題だよ。多く獲った者には豪華賞品もあるんだってさ。ジリオラもがんばれ」
さっきまで暴れていたヘルシャークの一匹が切り身になって、鉄板の上で香ばしい匂いを立てている。
ジリオラは海に目をやる。
巨大な海棲の魔物と冒険者たちが激しい漁を繰り広げている。人外魔境だ。とてもついていけない。
「姉貴、私は魔王陛下に呼ばれてきたんだけど」
「ん、王様か? 今は忙しそうだぞ」
グリエラ姉貴が指さした先では小舟が大波小波に揺られていた。
遠目にも美しい少女と胸の目立つ眼鏡の女性が水着姿で乗っている。何やら楽しそうに叫んでいた。魔王ヴァールと伴侶のエイダだろう。
しばらくここで待つかとジリオラがファトゥマを探すと、彼女はもう海に飛び込んでいた。
水しぶきを上げながら身の丈数十メルはあろうヘルサーペントに突進していく。
焼き上がったヘルシャークの切り身皿をグリエラ姉貴がジリオラに渡す。
良い匂いで見た目も美味しそうだが、暴れていたときの印象が強い。このヘルシャークは本当に食べられるのだろうかとジリオラは逡巡する。その間にもグリエラ姉貴は二本の棒を使って器用に切り身を食べていく。実に美味しそうだ。
ジリオラも思い切って切り身を食べてみることにする。二本の棒で刺してかぶりつく。
意外にも臭みはなく、むっちりした肉質は旨味が強い。熱々な肉からは肉汁があふれてくる。焦げ目の入った皮には脂身がついていて、とろけるような美味さだ。
「おいしい!」
「だろ!」
向こうの料理人もうれしそうに親指を立ててくる。
そこでジリオラはサースのことを思い出した。
振り返るとテントの片隅で消え入るように隠れている。
「姉貴、この人の分も欲しいんだけど。上司のサース枢機卿。えっと、六世だったかな」
ジリオラに言われたグリエラ姉貴は眉根を寄せた。
「おいおい、その恰好。早く日焼け止めをしないとひどいことになるぞ」
白い肌を大きく露出したサースの姿は見るからに日焼けしそうで痛々しい。
「六世さん、あたしが塗ってやるよ」
日焼け止めの軟膏を取り出したグリエラ姉貴が寄っていくと、サースは後ずさる。
「自分でやれる、大丈夫だ」
「遠慮するなってね」
グリエラ姉貴はひょいとサースをつかまえて、お姫様抱っこでテント奥のベッドにサースを乗せる。
サースはもじもじして胸を腕で隠そうとする。
「そら、腕を広げて。それじゃ塗れないだろ」
グリエラ姉貴は軟膏を手にたっぷり取って、力任せにサースを塗りたくっていく。
「ちょ、だめ、そこは」
恥ずかしさでサースの全身は赤く染まる。
塗り終わってぐったりしているサースにグリエラ姉貴が切り身皿を渡した。
「いけるよ、食ってみな」
「うう…… もうお婿に…… いやお嫁に行けない……」
うめきながらもサースは切り身を口に入れる。
「美味い……」
「だろう!」
グリエラ姉貴がサースの背中をばんばん叩いて、手の形が赤くつく。サースはむせる。
そうこうしながらジリオラが海を眺めてみると、ファトゥマがヘルサーペントからぐるぐる巻きになっていた。
ファトゥマが元気そうに叫ぶ。
「海は苦手なんだよね。でもピンチはチャンス! 変身だ! アポトシス、勇者承認しろ!」
<理由を申請してください>
神秘的な声が響き渡る。
「理由、ウミヘビをやっつける! やっつけると楽しい!」
<対象抹殺は理由として認められません>
「じゃあ、理由、悪い魔物を倒す!」
<却下、悪い魔物の定義が不明確です>
ファトゥマはヘルサーペントに巻かれながら首をひねって、波に揺られる魔王ヴァールの小舟を眺める。
ヘルサーペントは小舟に向かっていこうとしている。
「理由、友達を守る!」
<勇者承認します、アポトシス、勇者システム起動>
ファトゥマの身体が光り輝きながら急速に成長していく。服装がいったん消えて、代わりに金色の水着が現れる。銀色のフリル付きだ。
「勇者降臨、ルン!」
ファトゥマ、いや、勇者ルンがポーズを決めて叫ぶ。
ヘルサーペントはルンの手刀に切り裂かれていくつにも分断され、中身を海にばらまく。早速ヘルシャークが集まってきた。
そこに落ちたルンは楽しく戦い始める。
一連の流れを見ていたサースは激しくむせる。
「勇者ルン…… 引退したはずでは」
ジリオラはサースの背中を撫でながら、
「聖女神アポトシスの奇跡ですね」
勇者ルンは物理操作の能力を使って水を割り、海底を露出させた。
「泳ぐの得意じゃないんだよね」
そこにヘルシャークが飛び込んでくる。水がないのにヘルシャークは空中を泳いでいる。
「わはははは!」
勇者ルンは笑いながらヘルシャークを殴って撃墜していく。
大魔王騒ぎが勃発した際、聖教団は聖女神アトポシスを悪の黒幕だとされてしまって教義上の大問題となっていた。
その後、勇者ヴァールによる基底システム修正を受けて聖教団の教義も修正された。あえて苦難を与える裁きの聖女神アトポシスを旧約、皆を守る愛の聖女神アポトシスを新約としている。
ジリオラとファトゥマは留学先の王都でこの新教義を学んでいた。
実際のところ、ヴァールはエラー管理システムのアトポシスをすっかり書き換えて、新システムのアポトシスを稼働させている。新システムは危険な暴走を防ぐための安全機構があれこれと組み込まれていて、勇者承認システムもそのひとつだ。
ともかく勇者承認システムによって勇者ルンのむやみな暴走は抑制されているようだった。勇者ルンが戦っても周辺に余計な被害は出ていない。
他の参加者たちはヘルスクウィッドとヘルクラーケン、つまり巨大イカと巨大タコに向かっていく。
巨大イカは黒い墨を噴き出し、それが結界のようにイカを守る。
水着の冒険者が魔法の焔をイカに撃ち込むも、墨に弾かれてしまう。
放たれた矢や投げ込まれた槍は墨に受け止められた。
小舟にエイダと乗っている魔王ヴァールはキャッキャはしゃぎながら皆に号令をかける。
「かかれ! 今こそ皆で力を合わせるときなのじゃ!」
巨大イカはぎょろりとした黒目で小船を捉えた。巨体を小船に向けて動かすだけで大波となる。小船は宙に舞い上げられた。
そこに触手がまとめて伸びてくる。さらに墨の塊が小船へと飛んできた。
「危ない!」
皆が叫んだ。
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