第143話 迷宮巡り その二

◆ヴァリア市 北 試練の迷宮入口


 サース枢機卿、神官見習いのジリオラとファトゥマの三人は試練の迷宮入口にたどり着いた。

 木造三階建ての大きな施設だ。

 一階には受付と入場口、地下への階段、装備の準備部屋がある。

 二階は装備や土産の売り場、三階は事務所らしい。


 入場口を通って冒険者たちが地下に降りていく。

 大きく看板が掲げられていて、地下六階海開き水泳祭りが告知されている。女性限定と大書されていた。


 一人で降りて行こうとするファトゥマをジリオラはひっつかんでから、サース枢機卿を気の毒そうな目で見る。

「やっぱり男は入れないそうですよ」


「ここまで来て引き下がれるものか!」

 サースはうつむき、頭をかきむしり、しゃがみこむ。


 そのまま動かなくなったサースにジリオラは困ってしまう。

「あの、枢機卿?」

 肩に触れようとしたら、サースは突然立ち上がった。


「やるしかない……! ここで待ってろ」

 サースは言い捨てて、装備を準備するための部屋に入っていく。この部屋では装備の預け入れや引き出し、更衣室での着替えなどが可能だ。


 仕方なくしばらく待っていたジリオラがいい加減ファトゥマを抑えておくのにも限界を感じ始めた頃、かわいい声をかけられた。

 ジリオラが顔を向けると、きゃしゃな少女がもじもじしながら立っている。

 少女は頬を赤く染めて恥ずかしそうだ。胸と腰だけを鎧った恰好で刀を提げている。白い肌と黒い鎧、そして垂らされた長い銀髪のコントラストが目立つ。


「……行くぞ」

 少女は伏目で言ってくる。

「どなたですか?」

 困惑するジリオラに、少女は食ってかかってきた。

「さ、サース六世だ! サース五世は巡礼の旅に出ると言ってた! 代わりにわし、じゃなかった、私が行くことになったのだ!」


「はあ……? 六世猊下ですか……?」

「そうだ! 五世はもういらない! いや、いない!」

 サース六世を名乗る少女は受付に三人分の入場料を払って入場口を通る。しびれを切らしていたファトゥマも駆けこむ。首をヒネリながらジリオラも入る。


 地下一階を一行は進む。

 ジリオラが受付でもらっていた案内書によると、一階はゴブリンの巣窟なのだそうだ。


 ゴブリンは弱い者から強敵まで多岐にわたり、レベル差が激しい。まだ地下一階とはいえ油断できる相手ではない。

 案内書によると地下一階から地下六階直通の転移魔法陣があるそうなのだが、ファトゥマがさっさと駆けて行ってしまい、サース六世と名乗る少女もわき目を振らず通路を突き進んでいく。


 戦闘するつもりのなかったジリオラだが、懐から小ぶりな杖を取り出す。

 ファトゥマはまあいいとして、サース六世が心配だ。胸と腰にしか鎧がなくて、ほぼ裸。守っているようで全く守っていない格好だ。


「その恰好、危ないですよ。着替えに戻った方がよくないですか」

 心配して声をかけるジリオラに対してサース六世はキレ気味に、

「装備が軽いほど忍者は強いのだ! それに行き先は水泳祭りなのだろう。この格好ならそのまま泳げる!」

「はあ……」


 サース六世を名乗る少女は忍者でもあるらしい。

 本人がいいならもういいかと気にするのを止めたジリオラは、後ろから何かが近づく気配を感じた。

 ゴブリンの群れが近づいてくるのだ。


 ジリオラが身構えるよりも早く、サースが動いた。

「死ね!」

 サースの手から細長い武器が飛んだ。針だ。


 後ろから押し寄せてきていたゴブリンの群れに針が次々と突き刺さる。致命の箇所を深々と貫かれたゴブリンたちがばたばたと倒れた。

 だがゴブリンの数は多い。雄たけびを上げ、倒れた仲間を踏み越え迫ってくる。


「死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」

 サースは通路の横壁から天井へと駆け上がる。重力などないかのようだ。ゴブリンの群れを通りすがりながら抜いた刀を煌めかせる。

 音もなくサースが床に降り立ち、刀を鞘に収めた。

 どさどさとゴブリンが倒れる。一匹も残らない。


「ゴブリンごときが邪魔しやがって」

 サースは息も乱さずに戻ってくる。静かだが頭に血が上っているようだ。きゃしゃでかわいい見た目のわりに口が悪い。


「早い者勝ち勝負だね。次は負けないぞ!」

 ファトゥマは何かやる気を出して、ずんずん進んでいく。


「転移魔法陣まで戻った方が早いのに!」

 ジリオラが言うものの、皆の耳には入らないようだ。


 その後も数度ゴブリンに遭遇したが、ファトゥマの拳とサースの技であっと言う間にせん滅した。


 地下二階への階段にたどり着いた一行が降りると、今度はアンデッドの縄張りだった。

 グールがあちこちをうろついている。


 今度はジリオラの出番だ。

 杖に設定しておいた浄化の魔法を使うとたちどころにグールは解呪され崩れ去っていく。

 取りこぼしたグールをファトゥマとサースが掃除する。


 最後の部屋を見つけて扉を開くと、足の踏み場もないほどにぎっしりグールが詰まっていた。


「うわ!」

 気持ち悪さに一歩退いたジリオラと入れ替わりにファトゥマが飛び込んで、グールに拳を見舞う。

 衝撃波が部屋中に伝播して、グールがまとめて爆散した。飛び散った内容物にファトゥマが塗れる。


「わはははは!」

 いろんな液体を垂らしてファトゥマが楽しそうに笑う。

「汚いってば!」

 ジリオラは城下の魔法をファトゥマにかける。魔法的な穢れは消え去るが、物質的な汚れは消えない。


「仮身召喚された魔物だったら、倒せば跡かたなく消えるはずなんだけど、実身も召喚されてたみたいね。中身が残ってる…… あ、ばっちぃ、近づくな!」

 ジリオラはファトゥマから距離を置く。


 サースは汚れた床を跳んで避け、地下三階への階段を降りていった。


「次も僕が勝つぞ!」

 ファトゥマが床の液体を踏みしめて滴をまき散らしながら追う。

 ジリオラは必死によけながらついていく。


 一行は地下三階にたどりついた。


 地下三階は回復場所だ。神社や教会などの回復施設、食べ物や飲み物を売っている屋台が並んでいる。


 聖教団の神官たちと神社の巫女たちが並んで三人を出迎える。

「教会で回復していきましょう」

「神社で身体をきれいにしませんか」 

 見るからに聖教団所属のジリオラにファトゥマだが、気にすることなく巫女たちも営業をかけてくる。聖教団と神社に境界はないらしい。


 サースは目を伏せて次の階への降り口に進んでいく。

「くそ、こんな階があったとは……!」

 サースの半裸姿に男も女も注目していて、サースは視線が痛そうだ。


 ジリオラは神官に頼む。

「すみません、この子に水をかけてもらえませんか」

「かしこまりました。聖女神に栄えあれ」


 神官が水の魔法を使ってファトゥマの汚れを洗浄する。

「うひゃあ、気持ちいい!」

 ファトゥマは身体をぶるぶるふるわせて水しぶきをまき散らす。あらかたきれいになった。


 ジリオラは寄進料を神官に渡して礼を言う。

 その間にもファトゥマは駆けていく。

 慌ててジリオラはファトゥマを追う。


 次は地下四階だ。

 階段入口には警告が大書されている。

 ここから強敵出現、レベル三十以上が推奨とある。


 ジリオラは考える。

 サースの動きは見るからに高レベルだった。心配はないだろう。

 ファトゥマは腐っても元勇者。

 問題は自分だ。神官レベルはたかだか十しかない。

 こうなったら覚悟して進むしかないか。


 一行は地下四階に侵入する。


 ジリオラは解説書を読む。

「この階はドッペルが出るんだって」

「知ってる」

 ファトゥマは軽く返す。


 迷宮の通路をしばらく右往左往していると、ファトゥマの前に本人そっくりな敵が現れた。見た目も表情もそっくりなドッペルだ。ファトゥマがにやりと笑うとドッペルも鏡のように笑う。


 ファトゥマが動くとドッペルも同じく動く。

 だが結果は違った。

 ドッペルは一瞬の交錯で胸を打ち抜かれて倒れ、床に溶け込むように消失する。

 見た目は同じでも圧倒的な能力差だ。


 サースの前には老人の忍者が現れた。

 サースのドッペルではないのかとジリオラが訝しむ間もなく、サースが相手を刀でみじんに切り刻む。

 サースは相手の姿を目に入れたくないといった様子だ。


 そしてジリオラの前にも偽ジリオラのドッペルが出現した。

 ドッペルのレベルは推定三十以上、対するジリオラの神官レベルは十。

 

 ドッペルは杖を掲げた。杖の先端に稲光が走る。神官向きの攻撃呪文である雷撃が来るだろう。

 ジリオラは自分の杖を眺め、ため息をつき、踏み込み、そして杖で力任せにドッペルの顔を殴りつけた。

 ドッペルは宙を舞って壁に叩きつけられ、床に落ちて消失した。


「力技はグリエラ姉貴の領分だから神官見習いになったのに」

 ジリオラは杖をぶんと振る。鋼鉄製の太い杖だ。これぐらい重くなければジリオラの手にはしっくりこない。


 一行は探索を続けて五階に進んだ。

 五階には難解な謎解きが仕掛けられていたそうだが、もう解除されているので敵と戦えばいいだけだ。

 ただし敵が強い。鎧を一撃で噛みちぎるような魔獣が徘徊している。

 解説書によると以前は最上位種のヘルタイガーが君臨していたそうで、今はいないのが救いだ。


 前方から魔獣の咆哮や人の叫びが聞こえてくる。

 通路を曲がると、狼型魔獣のヘルハウンドが冒険者たちのパーティと戦闘中だった。

 統制された動きのヘルハウンドたちが恐慌にかられている冒険者たちを的確に狩っていく。

 ヘルハウンドの一頭が冒険者の剣に食らいつき、他の一頭が体当たりして倒し、また別の一頭が冒険者の喉笛を喰いちぎる。

 冒険者の仲間はヘルハウンドの群れに分断されて助けに行けない。彼らもまた集団に喰らいつかれて成す術もなく倒されていった。あっと言う間に全滅だ。


 ジリオラはぞっとする。

 一際大きな真っ黒なヘルハウンドがボスのようだ。魔獣ながら見事な指揮だった。


 ヘルハウンドのボスはジリオラたちに目を向けた。殺意に満ちた凶暴な目だ。顎を開き、はあはあと息をしながらよだれをたらしている。顎と牙は獲物の血に濡れている。全身には暗い瘴気をまとっていた。

 

 ファトゥマが興味津々で、

「あの犬、飼えないかなあ」

 のんびりした口調にジリオラは呆れかえる。

「はあ? 無理無理無理無理」


「でもさあ、ヴァールはここで猫を拾ってたよ」

「猫と一緒にしないでよ!」

「そうかなあ」


 サースは左右の手で針を指に挟み、合計八本を構える。

 ヘルハウンドの群れは激しく唸って対峙する。


 今にも殺し合いが始まろうとする中、ファトゥマはなにげなくヘルハウンドのボスに歩み寄った。


「ねえ、決闘しようよ。勝った方がボスになる」

 呼びかけられたヘルハウンドのボスは唸りを止める。他のヘルハウンドたちも一斉に静かになった。


 ヘルハウンドのボスは一対一の勝負を持ちかけられたことを理解したようだった。

 ファトゥマの尋常ならざる強さは野生の勘で感じ取っているだろう。

 しかし挑戦から逃げることはボスとしてできないようだ。

 ボスは一歩前に出る。殺気が膨れ上がる。


 次の瞬間、ファトゥマはヘルハウンドのボスをしゃがんで抱いていた。途轍もない高速移動だ。

 ボスはあがくがファトゥマにがっしり抱きつかれていて身動きが取れない。怒りの唸りを激しく上げる。


「よおしよおし、かわいいワンコだなあ」

 ファトゥマはボスの背中を撫でる。

 ボスは首をよじってファトゥマを外そうともがく。ボスの方がファトゥマの数倍も大きいのだが、ファトゥマに押え込まれている。


 ヘルハウンドの群れが咆哮し、ファトゥマに襲いかかろうとする。

 サースの針がまとめてボスへと飛ぶ。


 全ての針をファトゥマがつかみ取った。

 ボスからは手を離している。

 ファトゥマは針をばらばらと捨てる。


「僕のワンコを傷つけないでよ」

 ファトゥマはむっとした様子だ。

 刀を抜こうとしていたサースがファトゥマに殺気をぶつけられて動きを止める。


 自由を取り戻したボスは低く唸りながらファトゥマを睨む。

 相手には自分への殺気がなく、それどころか守られたことに困惑しているようだ。


「そっか、お腹が空いてるんだ」

 ファトゥマは鎧の裏から揚げ菓子を取り出した。少しかじられているそれをボスに差し出す。


 攻撃と見たのか、ヘルハウンドの群れがファトゥマに飛びかかろうとする。

 鋭い咆哮を上げてボスは群れの動きを制した。


 ボスは慎重に動き、揚げ菓子の匂いを嗅ぐ。大きな赤い舌で揚げ菓子を舐め、そして喰らいついた。あっと言う間に食べ終わる。


 ボスがファトゥマに目を向ける。もはや殺気は無い。勝負ありだと伝えている目だった。

 ボスが尻尾を振る。


「ふふ、かわいいな」

 ファトゥマがボスの頭を撫で、伏せたボスがファトゥマの手を舐める。


「いい子だ、ワンコ」

 ファトゥマはボスと並んで歩き出す。その後ろをぞろぞろとヘルハウンドの群れがついてくる。


「勇者を辞めても無茶苦茶さは全然変わっていないぞ!」

 サースは愚痴りながら追う。


 ファトゥマは嫌な予感でいっぱいだった。

「ねえ、この全部をペットにする気なの? また面倒を見るのは私になるんじゃないの? 自分で面倒みなさいよ!」


 ジリオラは振り返る。

 さきほどヘルハウンドに襲われて全滅した冒険者たちの骸が転がっている。

 これを回収すべきかと悩むジリオラの目の前で奇妙な現象が発生した。

 骸から流れ出している血が戻っていき、傷がふさがり、冒険者たちが何事もなかったかのように立ち上がる。


「やっぱりまだレベルが低すぎたんだよ」

「保険に入っていてよかった」

「うわ! まだヘルハウンドがいるぞ!」

「逃げろ!」

 冒険者たちは脱兎のごとく逃げ出していった。


 ジリオラは解説書を見直してみる。

 新サービス、安全ロールバック保険という項目が見つかる。

 全滅した場合に時間を戻して復活できるらしい。

 魔法も進歩したものだとジリオラは感心する。

 自分もやっておけばと思ったがかなりの高額だった。


 ヘルハウンドの群れを引き連れた一行を襲撃してくる敵はもはやいない。

 一行は遂に目的の六階に到着した。

 通路を進むと「大水浴場」と書かれた扉にある。


 いよいよだ。やっとヴァール陛下に会える。

 ジリオラは扉を開いた。


 扉の奥から女性たちの叫び声が響き渡る。

 向こうには強い日差しに照らされた白い砂浜が広がっている。

 砂浜の向こう側には青い海。そこで泳ぐ水着の女性たちに海棲の魔物が襲いかかろうとしている。

 地獄の異界にいるはずのヘルシャーク、ヘルクラーケン、ヘルスクウィッド、ヘルサーペント。地獄の魔物たちによって海は荒れ狂っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る