第137話 魔王

◆星の底


 星の底で基底システムの修正に挑む魔王ヴァールたちだが、エラー管理システムATOPTSISの暴走に追い詰められていた。

 白い枝が茂る空間を、アトポシスの黒い枝が埋め尽くしていく。

 どこもかしこも黒い枝で身動きがとれない。

 魔法で壊せば基底システムを傷つけてしまう。


 最初に星の底に入ったとき降り立った球状空間にまでヴァールは押し戻されてしまった。

 球状空間内にもあらゆる方向から黒い枝が伸びてくる。

 さらにアトポシス本体までもが姿を現した。

 エリカ=エイダの身体を乗っ取った姿だ。


 暴走しているアトポシスの周囲には空間の歪みが荒れ狂っている。

<破損 削除 削除 削除 削除 削除>


 アトポシスは裸体だ。

 闇に染まった髪が身体に絡みつき、身体の部分部分を覆う黒水晶が生成消滅を繰り返している。


 指輪のエイダはアトポシスの状態を見て取る。

「まずいです、基底システムの魔法陣にダメージを与えちゃってます。こうなったらアトポシスを破壊するしか」

「破壊って、あれはエイダの身体ではないかや!」


「あんなものどうでもいいです」

「余にはとても大事なエイダの身体じゃ! 余は基底システムを修正して! エイダを取り戻して! またみんなで楽しくダンジョンを運営するのじゃ! それが余の願いじゃ! 絶対に果たすのじゃ!」


 黒い枝がヴァールの肢体に絡みついてくる。拘束されてしまう。その上、暴走アトポシスが迫ってくる。


「ヴァール様、背を伸ばす願いを忘れています」

 エイダは優しく言う。自分は滅んでしまってもいいと思っていたエイダだけれども、今は二人で帰りたい。愛する者の願いをかなえるために。


「そうじゃな、背を伸ばしたい…… 汝と共に並びたいのじゃ」

 ヴァールの身体は黒い枝に覆われていく。締め付けられる。


 身動き取れず、打つ手もなく、最悪の状況。

 しかし、なぜかヴァールには気力が満ちてくる。身体には力が湧いてくる。

 どこかから力が送られてくるのだ。


「……ヴァール様、なにか聞こえませんか?」

「うむ……」


 彼方からの願いが聞こえてくる。


 クスミの、ズメイの、バオウの、ジュラの、サース五世の、ルンの、ハインツの、アンジェラの願い。

 

 人間の願い。

 魔族の願い。


 ヴァールの願いをかなえたいとの願い。


 そのための力とならんとする願い。


 希望への祈り。


「皆が、余の願いを願うてくれておる……」


 魔王ヴァールはかつて人間の勇者と友になり、魔族と人間の和平を望んだ。だがその望みはヴァールしか抱くことなく、魔王国は滅んでヴァールも封印の憂き目にあった。


 しかし今、皆とヴァールの希望はひとつだった。


「いにしえの言葉では、希望のことをヴァールと呼んだのだそうです。ヴァール様こそが希望です」

 エイダも祈る。


 皆の願いが届く。

 ノルトンにそびえていた世界樹が魔王笏に姿を変え、星の底まで飛来する。ヴァールの眼前に現れた魔王笏は限りなく強い想いの力を放つ。


「よく来た! 待っておったのじゃ!」

 魔王は愛用の杖を手に取った。

 王の力だ。


「皆の希望を力と成すぞ!」

 ヴァールは杖に命じる。

 杖から緑の枝が伸びる。

 緑の枝が近づくと黒い枝は萎び縮む。

 みるみる緑の枝は星の骸いっぱいに広がっていく。黒い枝は消え失せていく。


<権限 干渉 干渉 干渉 干渉 干渉!> 

 アトポシスは空間のゆがみをより激しく荒れ狂わせる。


「ヴァール様、アトポシスの暴走を止めましょう。あたしの指輪をアトポシスにはめてください」

「なんじゃと!? またアトポシスに乗っ取られてしまうぞよ!」


「指輪でアトポシスにアクセスするんです。アトポシスは本来エラー管理システムのはずです。だったら、あたしたちの望みだってエラーを修正すること、願いを一致できるかもしれません」

「危険すぎるのではないかや」


「二人でアクセスすればきっと上手くいきます」

「……二人でならば、確かに違うかもしれぬが……」


「今までなんだって二人で乗り越えてきました。あたしを信じてください!」

「……自分だけ犠牲にはせぬと誓うのじゃぞ?」

「約束します、無事に戻って、皆でダンジョンを運営して、冒険者たちを鍛えて、楽しく暮らして、ヴァール様の背を伸ばすんです」

「……誓おう、二人の約束じゃ」


 ヴァールはアトポシスへと飛翔する。

 周囲の空間は歪み、裂け、激しく変動し続けている。

 ヴァールは空間操作の魔法を発動し、荒れ狂う空間変動を細かく打ち消しながら進む。


 アトポシスの至近距離には壊れた魔法陣が次々に生成され、出来損ないの魔法が発動しては基底システムの魔法陣を傷つけている。

 ヴァールにとっても危険な空間だ。結界を張って防御したいところだが、それではアトポシスに近づけない。

 壊れた魔法に焼かれ、撃たれ、弾かれながらもヴァールは近づく。


<異物 拒絶 拒絶 拒絶 拒絶 拒絶>

 アトポシスは苦しみにのたうち回りながらもヴァールを拒絶しようとする。


 ヴァールはアトポシスに手を伸ばす。

 壊れた魔法の壁をこじ開ける。

 

「ぐぬ!」

 竜巻の中に手を突っ込んだかのようだ。

 手は打たれ、叩かれ、刺され、踊らされる。


 ヴァールは屈することなく手を進める。遂にアトポシスの左手をとる。自分の手からエイダの指輪をそっと外し、アトポシスの左手薬指にはめる。


「今です! アクセスします!」

 エイダが叫ぶ。


 アトポシスがエイダの魂に再乗っ取りをかけてくる。

 それに合わせてエイダとヴァールは、逆にアトポシスへのアクセスをかける。

 本来であれば侵入不可能な独立システムのアトポシスだが、暴走状態であったこと、また乗っ取りのために自らを開放したことが仇となった。


 アトポシスは魂乗っ取りのためにデバッグモードを起動する。

 デバッグモードはアクセスに高度な権限を要求しない。エイダがすばやくデバッグモードに割り込みアクセスして仮権限を獲得した。

 ヴァールは仮権限を使ってアトポシス本体に認証を要求する。

 自ら発行した仮権限をアトポシスは拒絶できず、認証を通す。

 意識レベルでヴァールとエイダはアトポシスに接続する。

 

 こうしてエイダとヴァールの意識体はアトポシスのシステム内部、魔法空間に侵入成功した。


 アトポシスの魔法空間。

 中空に数多の魔法陣が浮かび、情報伝達しながら論理演算を行っている。

 だが情報が一部にだけ過密集中して真っ赤にオーバーヒートしていたり、逆に情報が届かず機能が死んでいる部分もある。情報がどこにも送られず閉じてしまっている魔法陣網もあった。

 見るからに異常動作を引き起こしている。


 ヴァールとエイダの意識体はシステム空間を飛翔して、異常の原因を探す。

 エラー記録を行う魔法陣関数は、バッファがいっぱいになっていてエラー情報を取りこぼし、エラーログをひたすら出力し続けていた。


 ヴァールはエラーログの内容を覗く。

「異世界転生システムにセキュリティホールを確認、修正を試みるも失敗、じゃと?」

 同じエラーログが果てしなく溜まっている。


 アトポシスが悪用している異世界転生システムの不具合、それをヴァールたちは修正しに来たのだ。

 だが、アトポシス自体が修正を試みて、あげく失敗を重ねている。


 ヴァールは魔法空間の奥へと飛翔して、エラー修正の魔法陣関数を探す。

 異様に膨れ上がった関数を見つけた。その中核はエラー修正を管理する関数だったらしい。

 だがそのサブルーチンとしてエラー修正を実行するための関数が派生しており、その処理が滞ったためかまた別のエラー修正関数が派生し、それがエラーを起こして自らのエラー修正関数を付随させ、混沌を引き起こしている。

 もはや無数のエラー修正関数が互いの修正を試みては不具合を拡大していく状況にあった。

 

 ヴァールはエラーの上流へとたどっていく。

 勇者の絶滅能力を制御する関数。

 勇者の絶滅能力を評価して出力する関数。

 勇者による生命絶滅効果を管理する関数。

 

「エラー修正のためにどうして生命を絶滅させたいのじゃ」

 ヴァールの問いに、

<異世界転生システムの不具合はSクラス、致命的レベルと判定。絶対に修正せねばならない。しかしこの不具合は基底システム全体に関連しており、本アトポシスシステムでは修正が不可能である。システム管理者の呼び出しを試みたが、一億三千七十八回失敗した>

 エイダが回答する。いや、もはやエイダではなく、エイダをまた乗っ取ったアトポシスだ。


 アトポシスは回答を続ける。

<不具合回避の方法を十億七百五十二万通りシミュレーションした結果、不具合の発生原因となりうる生命体を消去し、不具合に抵触しない生命体の再創造を行うべきであると結論した>


「再創造する生命体は、どうやって不具合に抵触させないのじゃ」

<新たな生命体には魂を持たせない>

「なんじゃと…… それでは生きておるとは言えないではないかや」


 アトポシスは苦悶の表情を浮かべる。

<それが唯一の解法である。そのために異端者を探し、不具合によって支配し、絶滅を代行させる>


 ヴァールは深いため息をついた。

「不具合を修正するために、不具合を使ったのかや。それで矛盾を起こして自壊しておるのじゃな……」


<現在、絶滅の進捗度は零である。異端者ルンによる絶滅処理はエラーとなった。異端者エリカによる絶滅処理を再開する>


「待て。絶滅は全く進捗していないのじゃな。つまりその方法自体がエラーなのであろ。別の方法を採るのじゃ」

 ヴァールの言に、アトポシスは顔をしかめて左右に振り続ける。

<不可能 不可能 不可能 不可能 不可能 不可能>


「汝はシステム管理者を待っておった。余とエイダがそのシステム管理者じゃ。不具合の修正は任せよ。エイダを開放し、汝は基底システムに戻るのじゃ」

 ヴァールは説く。

<否定 否定 否定 否定 否定 否定 否定>

 アトポシスはより激しく首を振って拒絶する。


 その首をアトポシス自身の手が抑える。

「ヴァール様を信じて」

 エイダの声だ。


<論理的に肯定できない>

 アトポシスが回答する。


 一つの意識がエイダとアトポシスの二面を持って議論する。


「ヴァール様は史上最高の魔法使いよ。どんな不具合だって修正できる」


<根拠がない。そのような管理者が存在するという記録はない>


「ヴァール様を知れば信じられる」


 エイダの意識体はゆっくりとヴァールに近づき、額を合わせた。


「ヴァール様、お願い」

「うむ」

 ヴァールは己の心を開く。アトポシスのアクセスを受け入れる。


 魔法空間と外界では時の流れが異なる。

 この魔法空間では長い長い時間が過ぎ、外界では一瞬の時が流れた。


 アトポシスが口を開く。

<この者は基底システムの管理対象ではない。基底システムのユーザーではない。この星に存在しえない…… 基底システムの機密アクセスを要求…… アクセス権限を最高レベルまで上昇…… 機密データベースにアクセス、検索…… 該当事項を発見>


 アトポシスは距離をとった。

<機密事項の対象事項を確認。基底システムの限界を超えるための超越者、世界を破壊する敵。神殺しのシステム…… 対象をシステム『魔王』と認識する>

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