第131話 大魔王エリカ その二

 新魔王城の六階大広間で、大魔王エリカと魔王ヴァールが対峙する。


 ヴァールは問う。

「汝は何者じゃ」


 大魔王はせせら笑う。

「繰り返す、我は大魔王エリカ」


「そうではない、エイダの身体を使っている汝は何者じゃ」

「対象E、エリカ」


「違う、エイダの魂に入り込んだ汝は何者かと問うておるのじゃ!」

 ヴァールの声が激しい怒りをはらむ。


「回答する。我はアトポシス、星神の過ちを正して星を継ぐ神」

「人の中に収まる神などおるかや、どこぞの悪霊であろう!」


 大魔王はため息をつく。

「ーー個体Vとの通信確立に問題ありと判断、インターフェースを変更するーー」


 大魔王の雰囲気が一変した。

「ヴァール、三百年ぶりに会えたのに喜んでくれないんですか」

 先ほどまでの大魔王でもなければエイダでもない。エリカの声だった。


「……エリカ、嬉しくないわけがなかろう!」

 そう言うヴァールの目じりには涙が浮かんでくる。


 大魔王はかつての勇者エリカとしか思えない雰囲気をまとって、ヴァールに歩み寄る。

「待たせてごめんなさい、ヴァール。エイダに抑えられていて記憶を取り戻せなかったんです。もう大丈夫です」


 ヴァールは後ずさりそうになる。

 この者はエリカだとしか思えない。しかしエリカとは何かが異なる。

「エイダはどうなってしまったのじゃ」


 大魔王は自分の身体に目をやって、

「エイダは過去の記憶になりました。所詮、この身体に転生してからの一時的な記憶にすぎませんから」


「ふざけるでない!」

 思わずヴァールは大魔王につかみかかった。前後に強く揺さぶる。

「エイダ、戻ってくるのじゃ! もう勇者ルンは斃れた、ネクロウスも敗れ去った、やりたかったことはもう十分に果たしたであろ!」


 大魔王は眉根を寄せる。

「エイダは人生に満足したから消えたんじゃないですか」

「そんなことはない! 約束したではないかや! まだこれからではないかや!」


 大魔王に怒りの火が灯った。

「約束って、二人でダンジョンをやろうって誓ったことですか。その約束をしたのはエイダとじゃないでしょう。エリカとの約束ですよ!」


 ヴァールの顔が蒼ざめる。

「しかし…… しかし余はエイダと共に迷宮を築き、エイダと共に運営してきたのじゃ…… エイダと生きてきたのじゃ!」


「死んでしまったあたしをほったらかしにしたあげく捨てるんですか!」

「そんなことは言うておらぬ! それに余を封印して身動きとれなくしたのは汝ではないかや!」


 二人は後ずさり、にらみ合う。怒りで呼吸が荒い。


 大魔王は深く深呼吸してから、

「いいでしょう。今までは今まで、これからはこれから。あたしからの提案です。約束どおりにダンジョンを二人で運営しましょう。あたしは最奥のボスとして戦い、ヴァールは魔王としてダンジョンの魔族を率いるんです」


「……そしてどうするのじゃ」

「決まっているじゃないですか! 強い勇者や冒険者たちを効率的に殲滅して魔力を回収し、いずれ溜まった魔力を使って極大魔法を行い、この星の間違った生命を一掃するんですよ! そして正しい生命を創造し直します」


 ヴァールは肩を落とす。

「やはり、汝は本当のエリカではないのじゃな」

「どうしてそんなことを言うんですか!」


 ヴァールは大魔王を見据える。

「正しい生命を創造するという汝自身は間違っておらぬのかや」

「あたしは過ちを正す神、あたしだけは正しいんです!」


「エリカはいつも己の正しさに悩んでおった。決してそんなことは言わぬ」

 そう言われた大魔王は何かを言おうとして、苦悶の表情を浮かべた。言葉を出そうとして、上手く言葉が出てこない。激しい苦痛に苛まされているようだ。

「あたし、あたしは、あたしを否定するなんて、あたしなのに、あなたが」

 頭をかきむしる。

「あたし、あたしは、正しい、だって、ああ、心が、ああ、止めて、ああああ、ヴァールのば、ばかああああっ!」


 大魔王の手に剣が現れる。かつてヴァールがエリカのために鍛えた聖剣ヘクスブリンガーだ。

「ヴァール、約束、を、守って、くれないん、です、か」

「世界を滅ぼす約束などしておらぬ!」

 ヴァールは悲しい叫びを上げる。


「嘘、つき! だったら、ヴァールも、滅ぼす!」

 大魔王はヴァールに斬りかかった。

 ヴァールは防御結界を張りながら避ける。防御結界は易々と聖剣に切り裂かれた。聖剣は魔力を吸収し、魔法の発動を妨害する。特にヴァールに対して効果を発揮するよう調整されている。そのようにヴァールが作ったのだ。和平の印として。


 大魔王が聖剣を大きく振り上げたとき、数本のクナイが飛来した。大魔王は聖剣で払い落とす。


「ヴァール様!」

 忍者クスミが駆けつけてきて、ヴァールの前に立った。その手にはクナイがあり、大魔王に次の狙いを付けている。その肩には小さなクグツのビルダが乗っている。


「陛下!」

「魔王様!」

「ヴァールちゃん!」

「お姉ちゃん!」

 龍人ズメイ、巫女イスカ、鬼王バオウ、龍姫ジュラが続き、ヴァールの前をずらりと固めた。


 ヴァールはイスカに、

「あそこにルンが斃れておる。蘇生が間に合うかもしれぬ」

「まさか、ルンを救うとおっしゃるのですか!?」

「余を友と呼んでくれた者じゃ。頼む」

「かしこまりました!」


 ルンの元に駆けつけたイスカは、うつ伏せに斃れているルンを仰向けに起こして容体を調べ始める。生命活動は完全に停止している。ただ心臓が壊れているだけでなく、全身がずたずたに破壊されていてとても蘇生できそうもない。

 だが、おかしな気配がある。身体の中に別の何かが潜んでいる。それが何かに気付いたイスカはぞっとして離れようとする。


 何かが微かな声を発した。

「……お待ちください。私は愛しの君の忠実なる臣下、ヴァール魔王国の四天王が一人、ネクロウス。アトポシスの支配からは解放されています。あなた方に逆らうつもりはありません」

「銀血のネクロウス!」


「この身体を復活させたいのであれば、ひとつ手があります。生体甲冑に残っている魔力を私に移すのです。そうすれば私が内部から身体を修復できます」

「私をだまそうってたって、そうはいきませんわ! 魔力が手に入ったらまた銀血で皆を操るつもりですね!」


「信用されないのも無理はありませんが…… これでもかつては蘇生を極めて冥王と呼ばれた者でして…… 見ていただければ……」

 ルンの心臓に開いた大穴がふさがり始める。

 ネクロウスが銀血にわずかに残った魔力を消費して修復し始めたのだ。

 心臓が治癒していくに従ってネクロウスは力を失い、銀血の気配が薄れていく。このままでは直に完全消滅するだろう。


 芝居をしているのだろうと不信の目を向けるイスカの前で、ネクロウスは留まることなく治癒を続ける。

 もはやネクロウスが最後の一滴になった時、

「分かりましたわ! 魔力を移します!」

 消えかけているネクロウスは返事をする力もない。


 ルンが着ている生体甲冑からルンの体内にいるネクロウスへと、イスカは魔力を移し始める。銀血の気配が強まっていく。

「ありがとうございます……」

「少しでも変な真似をしたらすぐに焼きますわよ!」

 イスカは幣を掲げてネクロウスを威嚇する。


 ルンの体内に銀血が広がって血管や神経を修復、本来の血の代わりに銀血が巡り始める。蘇生は着実に進んでいるようだった。



 一方、エリカとヴァールは距離を置いて対峙していた。四天王たちがヴァールを囲んで守っている。


 エリカはじろりと四天王たちを見回して、

「エイダが記憶をあちこち閉ざしていてよく分からないんですよね。あなたたちは誰?」


 クスミがクナイを構える。

「新四天王の一人、新魔族忍軍の長、忍者クスミ。貴様こそ誰です。エイダですか、それともヴァール様の敵ですか」


 エリカは首を傾げた。

「何度言えばいいのかなあ。あたしは大魔王エリカ=ダークフォース。エイダではありません。ヴァールとは未来を誓い合った親友です」


 クスミはヴァールに目をやる。

 ヴァールは気が重そうに、

「エリカは親友じゃ。しかしエリカを中から支配しておる悪霊は敵じゃ」

「エイダさんを取り戻す方法はありますか」

「分からぬ……」

「悪霊を祓うにはどうすればいいですか」

「それもまだ分からぬ……」

「分かりました。ヴァール様を襲ってくる以上、戦うしかないです」


 クスミは躊躇なくクナイをエリカへと放つ。

 エリカにクナイが届いたかと思いきや、クナイは聖剣で弾き返された。


「そんな攻撃、無駄ですよ」

「そうでしょうか。クスミのクナイはオリハルコニウム製、魔法結界をも貫きます」


 弾き返されたクナイは壁や天井に当たってさらに跳ね返され、再びエリカに向かう。

 クスミはさらにクナイの投擲を続ける。


 エリカに向かうクナイ、反射されたクナイ、反射を繰り返してまたエリカに向かうクナイ。無数のクナイによる濃密な射線がエリカを捉える。

「忍法奥義、鏡衾かがみぶすま


 全方位からエリカに命中したクナイはそこでぴたりと静止し、ゆっくりと落ちていった。床に当たって、がらがらとうるさい音を立てる。

 一つたりともエリカの身体に刺さってはいない。


「これは…… 剣技ではない、結界でもない、まさかなのです」

 クスミの額に冷や汗が浮かぶ。


 エリカはクスミに哀れみの目を向ける。

「無駄って言ったでしょう」

「これはルンの……!?」

「そう、勇者ルンの能力はあたしが継承しました。あそこに転がっているのはただの残りかすです。今さら蘇生しても役に立ちませんよ」


 ズメイは唸る。

「むうう、エリカといえば最強無比の魔法と剣技を誇った勇者。それがさらに勇者ルンの力すら得たとは恐るべきことです」


 ヴァールは怒りをたぎらせる。

「エイダ、エリカ、ルン…… アトポシスよ、余の友をどこまで侮辱するのじゃ!」

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