第130話 大魔王エリカ

 新魔王城の六階。

 勇者ルンの攻撃で高熱で焼けただれたはずの大広間も、今や時間操作によって元に戻っている。


 ルンは自ら胸を抉って血の海に斃れ、黄金の装備も失せ、十四歳ぐらいの姿に戻っていた。

 ルンに吸収されていた生体甲冑も復元されているが、主を失って動くことは無い。


 そしてルンと戦っていたエイダもまた動けなくなっていた。


 エイダは前世の記憶を蘇らせたことで勇者エリカの力を得て戦いには勝利したものの、自らの意識は閉じ込められてエリカと化した。


 そのエリカの意識は今、暗い虚空の中にある。

 空間の歪みから生まれた触手に襲われ、無敵のはずの勇者が身動きも取れない。

 

「くうっ……! この虚空…… 別の場所に飛ばされたんじゃない…… 世界の見え方が違うだけ……!?」

 

 エリカにまとわりつく歪みの触手がうなずくようにざわめき震える。

<対象Rから対象Eへの転生シーケンス実行のため、魂レイヤーでのネゴシエーションを準備中>


「世界が魂の相で見えているのね……! あそこの空間の歪みはルン? でも、じゃあ、歪みから出てきたこの触手は!?」

 エリカはもがくが、触手に包み込まれていく。


<我はアトポシス、星を継ぐ新たな神。対象Eの魂を我が新たな器とする>

「対象Eってあたしのこと!? あたしの魂はあたしのものよ!」


<対象E・魂レイヤーとのネゴシエーションを開始、拒絶……>

「ほらね、魂には独立境界があるの、外から操ることはできたって、魂の中に入ることは絶対に不可能なの! それが魂の不可侵法則なのよ!」


<対象Eは前回も同じことを主張した>

 触手からは嘲りの気配が伝わってくる。


「前回!?」

 

<エラー発生、対象E・魂レイヤーとのネゴシエーションをスキップ、強制上書きに移行>

 触手がエリカの中に入り込み始める。


「そんな、魂の独立境界が破られる……!? 間違ってる!」

<我はエラー管理者、異端の神ゆえに>

 高笑いが聞こえるかのようだった。

 

 触手に浸蝕されながらもエリカはもがき、虚空の世界に手を伸ばそうとする。

 はるか上に見える光の川は星の環。

 エリカをとりまいて星のように輝いている光は人々の魂。

 下の方で一際強く輝いている光は、もしかして魔王ヴァール?


「ヴァール!」

 エリカは叫んだ。届かない。反応はない。


 エリカの記憶が駆け巡る。

 ウルスラ王国と魔族の戦争。

 勇者の力に目覚めた時の驚き。

 先陣を切って戦った日々。


 恐るべき魔王との遭遇。

 繰り返した激突。

 二人だけでの決闘。


 互いを知り、友となった。

 手を取り合って和平を目指した。


 そう、和平の日。

 思い出そうとして、頭を刺すような痛み。


 国王を使って罠にかけた。魔王を。……なぜ?

 魔王国の首都ヴァリアを襲った。……どうして?

 数多の魔族を殺戮し、守りの四天王たちを返り討ちに。……あたしが?


 そして、ああ、魔王を封印した。愛する友、ヴァールを。

 どうして。


<対象Eは高性能な器であった。再び確保できたことは高く評価できる。もう逃がしはしない>

 

 自らを奪われていく恐怖、魂を削られる耐えがたい苦痛。

 エリカの意志が、想いが、夢が、愛が、全て上書きされていく。


「うあああああああっ!」

 声なき絶叫は誰にも届かない。



◆新魔王城五階 広間


 魔王ヴァールたちの一行は六階での階段操作が成功するのを待ちながら、投影映像に映されたエイダとルンの戦いをただ観ていた。


 瀕死のエイダがエリカの力で復活し、エリカがルンを封印しようとし、ルンが時を戻し、罠に賭けられたルンが突然自決。

 ヴァールは卒倒しそうになったり、歯ぎしりしたり、目をぐるぐる回しながらエイダを応援している。


「エイダがんばるのじゃ! がんばれ、いや、おかしい、あれは…… エイダではない……? エリカ!?」

 エイダの身体がエリカに乗っ取られていると気付いて、ヴァールははなはだ困惑した。


「エイダは大魔王エリカと名乗りを上げてはおったが…… はったりではなかったのかや? 本当にエイダの前世がエリカ……? エリカに会えるのはうれしい…… でもエイダはどうなってしまうのじゃ……」

 ヴァールにとってエイダはかけがえのない伴侶、しかしエリカもまた三百年前に誓い合った親友だ。


 ヴァールが途方に暮れる中、投影映像の中では、勝利したはずのエリカが動かなくなった。なにやら苦悶している様子だ。

 投影映像に表示されるデータ類が異様に変動している。

 何か極めて重大な事象が進行しているのだ。


「エイダが本当に見せたかったのは、きっとこれじゃ!」

 ヴァールは目を皿のようにしてデータを読み取る。


 通常映像の他に、特殊な映像も投影開始された。

 虚空の中に星のような光がまたたき、その中に光の塊が浮かんでいる。

 光の塊はエイダの形をしている。

 そしてまた人間の形をした空間の歪みも浮かんでいた。

 こちらはルンの形だ。


 特殊映像を見たズメイが解説する。

「これは物理相ではなく魂相で世界を捉えた映像ですな。エイダ殿の形をした光の塊は、彼女の魂でありましょう」


 ヴァールは特殊映像をにらむ。 

「ううむ。ではあの歪みはルンのなんなのじゃ?」


 ズメイは顎に手をやって考える。

「魂に光が無く、まるで空虚な穴のようでございますな。まるで勇者ルンの魂が食い荒らされているかのような」


 歪みから触手のようなものが這い出てきて、エイダ=エリカの魂に絡まりつく。

「あれに食われてしまったのかや!? まずいぞよ、エイダの魂も食われてしまうのじゃ!」


「勇者エリカともあれば、あのようなものに遅れは取るまいと……」

 映像の中でエイダ=エリカはもがき苦しんでいる。


「遅れを取っておるではないかや!」

 触手はエイダ=エリカの魂に潜り込み始めた。斃れたルンから鞍替えしようとしているとしか思えない。


「おかしいのじゃ、勇者ならずとも魂は不可侵のはずなのじゃ」

「独立境界による魂の不可侵法則ですな。こちらのデータをご覧ください、触手による浸蝕を確かに拒絶しております」


「それなのに浸蝕が始まっておる。これではまるで、生命が生まれて身体と魂が結びつくときのような…… 法則の例外…… そういうことかや? ぬうう、エイダが調べようとしていたのはこれなのじゃな!」


 ヴァールが映像を凝視している中、五階の天井に線がすっと走った。

 線は割れ目となり、そこから階段が降りてくる。

 階段は静かに接地した。


「待たせたのダ。六階行きの階段ダ」

 小さなクグツのビルダが告げる。


「でかしたのじゃ!」

 ヴァールは階段を駆け上がる。

 一行もそれに続く。


「妙に長い階段じゃな?」

 ヴァールは全力で階段を上がるが、なかなか六階につかない。額に汗をかいている。

「まるで五階と六階の位置がずれているみたいなのです」

 忍者のクスミも訝しんでいる。


「本当に大きくずれているのではないでしょうか」

 巫女イスカが走りながら言う。


「城の構造は制御されているのダ、六階の位置を動かすことも可能ダ」

 クスミの肩に乗ったビルダが答える。


「とにかく急ぐのじゃ……!」

 喘ぎながら走るヴァールに、

「妾を頼るのである」

 ヴァールの服に変じている吸血王キルギリアが声をかける。


 魔装キルギリアのマントがふわりと広がり、ヴァールを浮上させる。滑るように飛び始めた。


 高速飛行していくヴァールの前方に光が見える。

 ヴァールはより加速して、遂に六階の出入口から飛び出した。


 六階の大広間。

 そこは異様な気配に満たされている。

 血だまりの中に斃れているルン。

 そして異様な気配の中央にいるのはエイダ、いやエリカ。目を閉じて静かに立っている。


 エリカの周囲には濃密な魔力が渦巻いていた。

 彼女は身体の要所のみを紫水晶で覆っている。

 その紫水晶が膨大な魔力を注ぎ込まれて成長していく。

 紫水晶は身体を取り巻き、棘を伸ばす。

 紫水晶は膨大な魔力を得て闇色に変異する。闇水晶はその中に闇の炎を燃え上がらせている。

 

 闇結晶で編まれた繊維が網のようにエリカの手足を覆う。

 肩や肘、膝からは鋭い棘。

 彼女が放つ魔力の流れに沿って闇結晶は伸びていく。


 エリカの額にサークレットが形成されて、そこから二本の棘が長く成長する。


 魔力の渦巻が収まった。

 完成したエリカの姿は魔力の化身。

 その額に二本の黒い角を持つ闇の王。


「エイダ!」

 駆け寄ろうとしたヴァールの足をキルギリアが止める。


「邪魔するでない! ようやっとエイダに会えたのじゃぞ!」

「あれはそのような者ではないのである!」

  

 闇の者が見開いた瞳は漆黒の闇。エイダは碧眼だったのに。

 闇の者が口を開く。

「我はエイダではない。勇者エリカでもない…… 今ここに誕生した我こそは大魔王エリカ=ダークフォース。世界を滅ぼし再生する神の化身」

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