第129話 勇者エリカ その四

 時は戻った。

 エイダが光の壁の多面体に勇者ルンを閉じ込めた時点にまで。

 勇者ルンは生体甲冑をまとった姿、まだ傷を負っていないエイダは長銃ヘクスカノーネから発射した光条を反射させて光の壁を生成している。

 ただし戻ったのは状況だけ、意識はそのまま時を進めている。


「なんで? 結界に掴まる前まで戻しただけのはずなのに!?」

 ルンは天井の先に目をやる。


「おかしいよ、星の環のロールバックタイムは命令した通りじゃないか! どうなってるんだ!?」

 ルンはあせる。

 ルンを閉じ込めた光の多面体はルンを焼き尽くそうと縮まっていく。

 ルンは物理操作で重力を変化させてレンズを作りだして光を曲げようとするが、全方位から迫る光の壁に対しては部分的な効果しかない。


 エイダ、いやエリカは長銃ヘクスカノーネから光条を放ち続けて光の壁を制御しながら、

「ふふふ、教えてあげます。あなたが星の環を動かして時を巻き戻していることはエイダが分析済みでした。そして星の環の回転する角度と時間が巻き戻る長さが比例していることもエイダに見抜かれていました。だから後は簡単」


「簡単?」

「星の環との角度がずれるようにこの大広間を動かしたんです」


 ルンはしばし絶句した。

 エリカは勝ち誇ったように語る。

「この城はエイダによって設計され、城を構成するブロック構造は魔法によって制御されています。あらかじめプログラムしておけば階層を動かすことだって自由自在です。星の環の動きと合わせてこの階が動くようにですね」

「……」


「あなたが四階でビルダと戦って時を戻したとき、エイダから何もかも分析されていたんです。星の環の動きもね。あなたは自分の力を見せすぎたんです」

「……ただの研究者とエイダを侮った僕の負けだ。それも研究に負けた。完敗だ」


「もう時は戻さないんですか」

「分かっているくせに」

 ルンは時をもう戻そうとしない。できないのだ。


「やっぱり連続して時を戻すことはできないんですね。エイダが予測していたとおりです」

 そのエイダはエリカに乗っ取られた身体の中で無言の叫びを上げていた。

 身体を返して。

 計画どおりだけど、このままではルンを殺してしまう。

 きっとヴァール様は悲しむ。

 ルンを降伏させないと。


「かわいそうだけど、あなたはヴァールの天敵。ここで逃がしてもまたすぐ戦いに来るでしょう。とどめを刺します」

 エリカが宣言する。


 縮まっていく光の壁がルンを焼き尽くそうとする。

 ルンの目から意志の光が消える。

 ルンは己の手を己の胸に向け、静かに突き刺す。

 手刀は生体甲冑を貫き、まっすぐに心臓を破壊した。

 心臓からの血が胸から噴き出す。

 血は光の壁に滴り落ちて焼かれ煙となる。

 ルンの心臓は機能を停止し、呼吸は止まり、生命活動が速やかに停止する。

 あれほどの生命力がまるでスイッチを切ったかのように失われた。


「潔いですね、自決ですか」

 血みどろの戦場で戦ってきたエリカにとってはさほど珍しい光景でもない。

 さきほどまで暴れまわっていたルンが確かに死亡していることを確認した。


 エリカはヘクスカノーネの射撃を止める。

 ルンを包んでいた光の多面体が消え去る。

 エリカはヘクスカノーネを放り捨てた。

 時が戻ったために聖剣ヘクスブリンガーも失せている。


「さあ、ヴァールを迎えに行くとしようかしら。六階の階段を降ろさなきゃいけないけど、エイダの専門的な記憶は引き出しにくいわね。……ちょっとエイダ、出てこないで。ヴァールとの約束を果たすの。あなたじゃない、約束していたのはあたし。あなたはただの表層記憶にすぎないわ」

 自分の中のエイダを押し殺そうとしていたエリカは奇妙な声に耳を留めた。


「ーー逃げるのです」

 動かなくなったルンから男らしき声が聞こえる。


「一刻も早くここを去り…… グガッ!」

 ルンの口から一筋の煙が上がり、声は止まった。

 エリカの中のエイダには分かる。ルンに吸収されてしまったネクロウスの声だ。 

 だが部分的にしか記憶を共有していないエリカには分からないのか、それとも取るに足らないと判断したのか、エリカはむしろ近づいた。


不死者アンデッドが体内に隠れているのね。やっぱりきれいに焼いておこうかしら」

 エリカはヘクスカノーネを拾おうとして動きを止めた。


 そのとき、また別の声が響いた。

<対象Eの復元を認定>

<対象Rの死亡を確認>

<転生プロトコルに従い対象Eへの魂引継ぎシーケンスを開始>


 突然、ヘクスカノーネがエリカの目の前から消え失せた。

 それだけではない。

 床も壁も天井も、大広間自体が見当たらない。

 果てしない虚空に浮いている。

 天を仰げばはるか高みで光が川のように流れている。

 下には底の底にぼんやりとした光。


 そしてルンがいたはずの場所には、ルンの形をした奇妙な空間の歪みが浮かんでいる。


「結界? 違う、何かに閉じ込められてはいないですね」

 エリカは自分の手を見てみる。

 手は透けて見える。手の中には光の粒が走ってその流れが線になっている。

 手だけではなく身体全体がそうだった。

 光の粒が全身の中を動いて神経網のような線を成している。


「魔法にかけられた? そうじゃない…… あたしは魔力の流れを見ているの?」


 ということは、ルンの形をした空間の歪みも、ルンの身体がそのように見えているのだろう。

 よく見れば空間の歪みは細く線のように伸びていてエリカにまで何本もつながっている。

 歪んだ線を伝って、エリカの身体からあふれる光の粒が空間の歪みに吸い込まれていく。


 エリカは手刀で線を断ち切ろうとするがすり抜ける。物理的な存在ではない。

 魔法で結界を張るが、線は止められない。魔法的な存在でもない。


 空間の歪みは大きくなり、隙間を開けて、そこから何かが現れようとしている。

 おぞましいものが覗く。

 それはエリカに触手を伸ばしてくる。

 触手から意識が伝わってくる。


<対象Rは不適格であったがゆえに処分した>

<生命は生命力を持ち、それは即ち魔力である。しかし対象Rは魔力を全く持たない極めて稀な欠陥品であった>

<対象Rはこの欠陥を用いる異端者である>


 エリカに触手がまとわりついてくる。

 触手に実体はなく、魔法でもない。

 勇者の能力をもってしても振り払うことができない。


<魔力欠陥によって、対象Rは無制限に魔力を吸収するが使用することはできない。効率的にこの星の生命から魔力を回収することが可能である>


 触手からエリカに意識が流れ込んでくる。

 エリカはもがきながら考える。

 対象Rとはルン?

 魔力を吸収とは、ルンの魔力喰らいのこと?


<対象Rが星の管理機構にアクセスした場合、管理機構は想定外の欠陥に対応できず不具合を生じる>


 ルンが使う力は不具合?


<星の管理機構『星の環』は対象Rからのアクセス要求を受けると誤作動として検知、正常値に修正するための物理定数の変更を行う>


 ルンの物理操作能力を意味している?


<極めて重大な誤作動が連続した場合、星の環はロールバックを行って誤作動をなかったものとする>


 ロールバックとは時間の巻き戻し?


<この星の魔族は魔法を用いる強力な生命ではあるが、対象Rの異端能力には対抗できないと想定された>

<しかし対象Eに敗退した>

<この星の生命絶滅により貢献しうるのは対象Eであると認定する>

<我、アトポシスは対象Rから対象Eへの転生を決定する>


 エリカは理解した。

 対象Rはルン、対象Eはエリカ。

 ルンの中にいたアトポシスと名乗る存在がエリカに乗り移ろうとしている。

 アトポシスとは聖教団が戴く聖女神の名前?


 エリカは必死にもがく。

 だが抵抗できない。

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