第126話 勇者エリカ

 新魔王城最上階の大広間。

 そこを牙剣が壁のように埋め尽くして、エイダへと突き進んでくる。

 どれだけ体術を駆使しようとも、密集した牙剣に避ける隙間は無い。

 エイダはただ長銃ヘクスカノーネを構えて立ち尽くしている。

 押し寄せた牙剣の壁はエイダを一瞬で呑み込んだ。


 大広間は牙剣に満ちみちた。

 ルンは虚ろな目をして無感情につぶやく。

「異端者候補Eは消滅。異端者Rよりも低能力と評価。評価リストより削除」

 

「また遊び相手がいなくなった……」

 ルンの声に感情が戻ってきた。だが沈んだ声だ。

「いいんだ、これからは僕が大魔王さ。星中に流星と銀血を雨あられと降らしてやろう。世界中が僕を止めに来るんだ。ふふふ、遊び放題さ。きっと最初はヴァールだな」


 ルンは肩を落とす。

「戦ったら、ヴァールも消えちゃうのか……」


「そんなことは絶対にさせません!」

 声が響き渡った。


 光条が走り、無数の牙剣を切断していく。

 龍の腕が光条に斬られて次々と床に落ちる。

 光条に切り裂かれて牙剣の壁が崩れ、そこに立つ者の姿が露わになる。

 エイダがヘクスカノーネを構えてそこにいる。

 光条はヘクスカノーネから発されたものだった。銃口から放熱の蒸気が上がる。


 ルンは急いで龍の腕を生体甲冑に戻す。

「その光で身を守ったのか! ただの光魔法じゃないね?」


 エイダはヘクスカノーネを掲げる。

「ヘクスカノーネ、誘導放射光増幅照射モード。鬼魔族の血によってコヒーレント光を誘導励起し、龍魔族の血による媒質で光を増幅して照射します。バオウさんとジュラさんに協力してもらって作ったモードです!」


「へええ、それが君の本気かい」


「あなたへの物理攻撃は、物理法則の操作能力で回避されてしまいます。でも物質じゃない光を避けられますか?」


 ルンは心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「できないと思うのかい」


 エイダは光条を発射して返答した。

 ルンの前で光条が曲がり、あさっての方向に走る。


「重力レンズ! でも分かってました」

 エイダはヘクスカノーネを操作する。 

 束ねられているヘクスカノーネの銃身がばしゃりと音を立てて六方向に分かれる。

 それぞれの銃口から光条が発される。

 六条の光が狙うのは、壁や天井にめり込んだオリハルコニウム弾。

 命中した光条は角度を変えながら反射されて光の壁を成す。


 六つの光の壁が生じて、ルンを取り囲むように縮小していく。

 ルンを囲んで守っている龍の腕が焼かれて消失する。

 ルンは周囲の空間を歪ませて重力レンズを作りだし、光の壁を曲げようとする。しかし全方位から迫りくる光の壁に対処しきれない。


 遂に光の壁がルンを焼こうとした時だった。

 光の壁が逆に拡大し始める。

 光自体が逆走してヘクスカノーネに戻る。

 焼かれて消失したはずの龍の腕が元の姿を回復する。

 全てが逆転していく。


 時間が戻っているのだ。

 ただし心を除いて。


 エイダは物理現象が逆転する様を目の当たりにして、ごくりと唾を飲む。

「これが時間を操作する力! よく見せてもらいました。知っていてもびっくりです……!」


 時の逆転が終わった。

 ヘクスカノーネは光条を発射しておらず、光の壁は無く、ルンは健在。


 ルンは大きく息を吸った。

「いいねえ、君は本当に凄い、気に入ったよ。だから僕も本気を出してあげる」


 ルンの身体が急速に成長していく。十三歳ぐらいに見えた身体から十八歳ほどの完璧なプロポーションへ。

 白銀の髪は伸びて踊り、生体甲冑は身体に吸い込まれるように消えて、代わりに金色に輝く鎧が身体を覆う。

 ルンは神々しいまでに美しい姿となった。


 圧倒的な覇気と神気が空間に満ちる。

 エイダの肌がちりちりと帯電したかのように痺れる。


「例え神様が相手でも!」

 エイダは改めてヘクスカノーネの引き金を引く。光条がオリハルコニウム弾へと走る。


 ルンが手を銃の形にして、

「ばん! ばん! ばん! ばん! ばん! ばん!」

 全てのオリハルコニウム弾が爆散した。光条は散ってしまう。


「空気を物理操作で弾にしたんですね」

 エイダの額を冷や汗が伝う。

 この大広間には空気が満ちている。無限に弾があるも同然だ。


 ルンが手をエイダに向けた。

「ばん!」


 エイダはとっさにヘクスカノーネで身を守る。空気弾が銃身に当たり、銃身はへし折れた。もうヘクスカノーネは使えない。エイダは放り捨てる。


「ばん! ばん! ばん!」

 空気弾がエイダの腹部に直撃。エイダは身体をくの字に折って苦悶する。

 倒れそうなところをなんとか気力で支えて立つ。

 口から赤い血を吐いた。


「さあ次はどんな芸を見せてくれるのかな?」

 ルンは一歩一歩とエイダに近寄ってくる。


 エイダは拳を握り締める。

「クグツの力も、ヘクスカノーネも壊れてしまいました。もうちょっと持つと思ったんですが計算違いでした。だから…… 後はあたしの全力で勝負します!」


 エイダは拳に力を込めてルンに殴りかかる。

 黄金の鎧に当たった拳はぺたりと音を立てた。

 ルンが顔をしかめる。

「え、今のって本当に殴ったの? さすったんじゃないの?」


 エイダは必死にルンの鎧を連打する。

 軽い音が響くだけだ。

 エイダの拳からは血が滴っている。


「なんだ、もうネタ切れかあ」

 ルンが指先でエイダの拳をちょんと突いた。

 エイダはもんどりうって壁に叩きつけられる。


「まだ…… まだ!」

 エイダはふらつく足で立ち上がる。


「もういいよ。ばばばばばばばばばばん!」

 空気の連弾がエイダの身体を打つ、打つ、打つ、打つ、エイダの身体はずたぼろになりなあらも踊る、さらに連弾が打つ、打つ、打つ、打つ、打つ、打つ、右へ、左へ、踊り続ける、打つ、打つ、打つ、打つ、打つ、打つ、打つ。


 攻撃が終わった。

 エイダは血に塗れ、要所を守る紫水晶もひび割れている。

 骨は折れ、内臓は破裂しているだろう。

 それでもエイダは立っていた。

 その目はルンをにらんでいる。


「はい、おしまい」

 ルンは両手を払う。


 エイダの目はもう動いていなかった。

 開いているだけだ。

 何も見えてはいない。

 もはや意識は沈み、闇の中にある。

 それでもエイダは拳を動かそうとする。

 まだだ。早すぎる。まだ倒れるわけにはいかないのだ。


 力が欲しい。

 力があればヴァール様を守れる。

 ……そうだったろうか。

 力のせいで皆を不幸にしたのではなかったか。

 思い出せない昔、ヴァール様を裏切ったのではなかったか。

 アウランを殺し、バオウを、サスケを斬り。

 なによりもヴァール様を封印したのは誰だ。

 思い出せない記憶が責める。それはエリカだと。

 エリカとは誰だ。それは自分?


 力が求められるときにはあえて自分を傷つけてきた。

 力を取り戻さないように。


 ただヴァール様のことだけを見ていたい。

 戻りたくない。

 思い出したくない。


 だけど。

 ヴァール様を守ることができるのなら。

 ヴァール様が元気でいてくれるのなら。

 ヴァール様さえ失ったものを取り戻せるのなら。

 自分を捨てよう。力を掴もう。


 手を伸ばす。

 剣を掴む。

 勇者の力を。



 エイダの意識が闇から浮上する。

 エイダの周囲に小さな魔法陣が生じる。

 魔法陣は無数に増えていき、エイダを包み込んでいく。

 一、十、百、千。

 一万、十万、百万、千万。

 一億、十億、百億、千億、一兆、十兆。

 増え続けた魔法陣は三十七兆にも達した。

 魔法陣が全身の細胞に融合していく。

 エイダは魔法と肉体が合わさった存在となる。

 エイダ本来の姿、勇者エリカに。


 血に塗れていたエイダの身体から、凝固した黒い血がぱらぱらと剥離して落ちる。

 その後には傷跡ひとつなかった。


「どうなってるんだ!?」

 ルンが特大の空気弾を放つ。

 エイダ、いや、エリカは片手を軽く振って空気弾を打ち消した。


「来なさい!」

 エリカの叫びに呼応して床から剣が現れる。

 四階に刺さっていたはずの聖剣ヘクスブリンガーだった。

 かつてヴァールがエリカのために鍛えた剣だ。


 エリカはヘクスブリンガーを掴み、構える。


「なあんだ、まだまだ芸があったんじゃない。よし、やろうよ!」

 ルンの手に黄金の槍が現れる。 

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