第107話 新魔王城 三階 その四

 新魔王城三階の魔法研究施設。

 キルギリアの変じた服装をまとったヴァールは、鏡を前にくるりと回って見せる。

 マントとスカートがふわりと広がる。


「妾の魔装はいかがであるか、妹背よ」

「ちと足元が寒いのじゃが」

 するとヴァールの足先からタイツが伸びていって足を包み込む。

「あったかくなったのじゃ!」

「重畳である。さすが妾なのである」


 突然、ヴァールは刺すような視線を感じた。

 しかしこの場にいるのは魔装のキルギリアと聖騎士指揮官ハインツだけ。

 ハインツはキルギリアに生命を吸われたせいか蒼い顔色で調子は悪そうだが、それでも剣と盾を構えて周囲を警戒している。


「気配を感じます。油断されませんよう」

 ハインツがヴァールに警告する。


 だが、しばらく待ってみても敵が出てくる様子はない。

「この階は結界に魔力を使い過ぎて、妾の召喚でもう限界のはずである」

 キルギリアの説明を聞いて、ヴァールは先を進むことにした。


 ハインツはキルギリアの魔装に警戒の目を向けている。できれば倒しておきたそうだが、なにせヴァールが着込んでいる。手を出しようもない。


 ヴァールが魔法施設の奥にある扉を開くと、その先の通路は通常結界だらけだった。


「妾は認証されている。そのまま通れるはずである」

 キルギリアの言葉どおり、魔装キルギリアをまとったヴァールが近づくと通常結界は消えた。

 ヴァールは通路を右に左に進みながら結界を解除していく。


「後ろから見られているような気がするのじゃが」

 ヴァールは後ろからの気配を感じる。

 ハインツもそれを気にしてか少し遅れてついてくる。

「尾行されているかもしれません。ご注意を」


 しばらく歩くと、通路の奥に暗黒洞結界が見えてきた。

「あの先に三階の統御結晶がありそうじゃな」

「御意」


 ヴァールが近づくと暗黒洞結界の一面が解除された。

 その先の通路は全体が暗黒洞結界に包まれている。

 そこへ踏み込んだときだった。解除したばかりの暗黒洞結界が再び張られようとする。今までとは異なる動作だ。


「ヴァール殿!」

 距離を置いていたハインツは暗黒洞結界の向こう側だ。

 

「ぬ!」

 飛び出ようとしたヴァールを再び張られた暗黒洞結界が妨げる。

 前後左右上下、全てを暗黒洞結界に囲まれてしまった。

 いずれも近づいても解除されない。


「ハインツ!」

 ヴァールは叫ぶが、声が向こう側に届いた様子はない。ハインツの声ももう聞こえない。


「どういうことじゃ、キルギリア!」

「あうう、妾の認証を切られたようである…… おのれネクロウス」


 ヴァールはこれがキルギリアによる罠という可能性も考えたが、だまそうとする気配はキルギリアから感じられない。

 危険な領域に警戒せず踏み込んだ己の粗忽ぶりにヴァールは口角を下げる。


 ヴァールは周囲を確認する。

 回り全てを暗黒洞結界に囲まれている。

 暗黒なはずなのに、薄ぼんやりと明るい。

 視線は相変わらず感じる。


「ぐぬぬぬぬ!」

 あっさり閉じ込められてしまった情けなさにヴァールは腹を立てる。

 暗黒洞結界に入るのはそう難しくないが、出るのは困難だ。

 三百年間閉じ込められていた経験を活かせば解除できる自信はあるものの、かなり時間がかかる。下手すれば年単位だ。力任せに破壊すれば新魔王城を崩壊させるかもしれない。


 封印されるのは嫌で嫌でたまらないのに。

 ヴァールは唇をかみしめる。

 悔し涙が頬を伝う。

 天井のほうから感じる視線をにらみ返す。

 すると視線を感じなくなった。

 向こうが目をそらしたのだろうか。


「……妹背よ。この結界には穴がある!」

 キルギリアが偉そうな声で言う。


「なんじゃと?」

「空気の流れを感じる。どこかに穴があるからである!」

「道理じゃな」


「霧に変じれば穴から出られる!」

 キルギリアは自慢げである。


「余はどうすればいいのじゃ?」

「霧になればいいではないか」

「それができるのは汝らの一族だけじゃ!」


 キルギリアは少し考えて、

「では小さくなればいい!」

「嫌じゃ!」

 ヴァールは力強く即答した。


「できないのであるか?」

「小さくなれば背が低くなるであろ。お断りじゃ!」


 キルギリアの魔装が困ったように揺れる。

「妹背よ、背が低いのも愛らしいのである」

「余は大きくなりたいったらなりたいのじゃあ!」

 ヴァールは両腕を振り回して地団駄踏む。


「ではーー 妾は助けを探しに出る。妹背はしばし待つのである」


 キルギリアの魔装が霧に溶ける。

 霧は結界の中を蠢き、やがて微小な穴を見つけて吸い込まれるように出ていった。


 黄色いワンピース姿に戻ったヴァールはぺたりと座り込む。

 独りでおのれを抱く。

「…… 寒いのじゃ。どうしてこんな意地悪をするのじゃ、エイダ……」



◆新魔王城 六階 エイダの居室


 エイダは耐えきれなくなって、居室の空間に投影していた映像を消した。ヴァールを捉えた映像だ。三階に仕掛けてある撮像具によるものだった。


「ごめんなさい…… でもヴァール様を傷つけたくないんです……」

 エイダはつぶやく。


 ネクロウスが召喚した吸血鬼の王はルンを倒すどころか素通ししてしまった。

 ここまでルンに来てもらわないと困るエイダとしては願ったりな展開だが、ヴァール様も一緒に上がってくるのは止めたい。

 そのためにこの六階から三階の結界を直接制御していた。計画通りにヴァール様を閉じ込めることには成功したものの、泣いて睨まれるのはあまりにも辛い。


 その辛さと合わせて、エイダは怒りに燃えている。

 吸血鬼の王がヴァール様になれなれしいどころか、妹背呼ばわりしたあげく服になってヴァール様を包み込んでしまった。犯罪的な事案だ。

 ヴァール様の黄色いワンピースはエイダがプレゼントしたものなのに、それを覆い隠してあんな服を。

 正直、あのいかにも魔王っぽい恰好のヴァール様もまたいいなと思ってしまった事実がエイダの感情をさらに揺さぶる。許せない行為だというのに。


「エイダ、そろそろ行くのダ。準備を頼むのダ」

 鏡の中からビルダの声が呼びかけてくる。


「う、うん。分かってる」

 エイダはまた別の映像を空間に投影する。

 そこには新魔王城の四階とルンが映っていた。



◆新魔王城 三階 入口


 通常結界で閉ざされていた三階入口は、龍人ズメイに結界を解除された。暗黒洞結界はさておき、通常結界であれば魔法の熟練者であるズメイにとってさほど難関ではない。

 そこにすばやく冒険者が入り込む。


「その場所を押えておいてください。動くとまた結界が復活してしまいますから」

 巫女イスカが指示する。


 その先の通路にも一定間隔ごとに冒険者たちが配置されていく。

 人がいる場所には結界が張られないと分かっているからだ。


 ところどころ残っている通常結界にはズメイや他の魔法使いたちがあたって解除を進めていく。

 こうして三階の制圧を進めていった彼らは、魔法研究施設の部屋でハインツに遭遇した。

 ハインツの顔はすっかり血の気が引いて真っ青だ。


「ハインツ! ヴァール様は?」

 女神官アンジェラの問いにハインツは苦悶の表情で答えた。

「この奥で、結界に阻まれて……」


「妹背は暗黒洞結界に閉じ込められているのである」

 声が響き渡る。

 寄り集まってきた霧が凝集し、その場に女の姿が出現した。わずかな布しかまとっていない。その口には大きく鋭い牙。


「吸血鬼! 気を付けて! 魅了されますわ!」

 アンジェラが叫ぶ。

 その声、その姿に蠱惑されそうになった冒険者たちは慌てて目を伏せ、耳をふさごうとする。


 聖属性の魔法が使える者たちは魔道具の狙いを吸血鬼に定めて浄化の攻撃を準備する。


 吸血鬼は呆れた様子で、

「妾は魔王の妹背。敵ではないというに」

 

「騙そうとしています! 言葉を聞かないように!」

 アンジェラが皆に注意する。


「妾は吸血鬼魔族ヴァムパイアの王、キルギリア・ジュウム・ガウレリア。誇り高き高位魔族の頂点に立つ者である」

 キルギリアは名乗りを上げる。


「妾の妹背、魔王ヴァールは暗黒洞結界の中にいる。微小な穴が外に通じているが、小さくなって出るのは嫌と仰せである。そなたらの力でお助けせよ」

 キルギリアは堂々と命じるが、冒険者たちは殺気立つばかりで聞く耳を持たない。


 冒険者たちが一斉攻撃しようとしたところで、間にハインツが立ちふさがった。

「待て。この吸血鬼が信じるに値するかは分からないが、ヴァール殿については真実を語っていると思う」


 ズメイが前に出る。

「私はこの方を存じております。吸血王キルギリアであることは間違いございません」


 キルギリアがズメイに目をやる。

「そなた、確か東海龍王国の悪龍…… かようなところにいるとは驚きである、ズメイ」

「陛下の元に案内をお願いできますでしょうか」

「来るがよいのである」


 アンジェラは訝しみつつも、ハインツの様子を見ていったん吸血鬼攻撃を止め、ハインツの治療を始めた。

「体力が全然なくなってるじゃないの。何にやられたのかしら」

「あの吸血鬼に」

「殺す! やっぱり殺す!」

「止めろ、今は敵ではない!」

 ハインツは必死にアンジェラを止める。


 イスカはこの魔法研究施設にも冒険者たちの配置を進める。

「クスミ、ついていって」

「はいなのです」

 クスミがキルギリアを追う。その肩には小さなビルダが乗っている。


 キルギリアに案内されて、ズメイたちは暗黒洞結界にたどりついた。

「この中で妹背は待っているのである」

 キルギリアが説明する。


 しばらく結界を確認してからズメイは結論を出した。

「これを破るのは厄介ですな。三階の統御権を確保して解除した方が早いでしょう」


 三階の残り通路を確認していった彼らは、統御魔力結晶の部屋を発見した。すぐそばには四階への出入口もある。今は閉ざされているが統御魔力結晶を使えば開放できるはずだ。


 クスミは自分の肩に乗っている小さなビルダに頼む。

「じゃあ、統御魔力結晶をよろしくなのです」

「嫌なのダ」

「……え?」


 ビルダは肩から統御魔力結晶へと飛び移った。

「今は忙しいのダ。四階には誰も行かせないのダ」


 クスミは唖然とする。

「ビルダ、魔王様が待ってるですよ?」

「エイダとの約束なのダ。ビルダがルンと戦うのダ!」

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