第41話 巨像
地下六階に降り立った魔王は、階段のすぐ先にある床を目指した。
床には魔法陣が描かれている。
空間と空間をつなぐポータルとは異なり、
魔王は小さな身体で懸命に走って、ぴょんとテレポーターに飛び乗った。
直ちに魔法が発動して魔王の姿はその場から消える。
「逃げるのはさああ、良くないよねええ。ばちが当たるぞおお」
鈴の鳴るような美しい声で呪いの言葉を吐きながら、ルンが階段を降りてきた。
「魔力が使われた跡…… こっちだね。そうか、テレポーターで逃げたつもりなのかな」
ルンはすぐにテレポーターを見つけて上に乗った。
その瞬間。閃光、雷撃、爆炎が通路を満たす。
◆地上の祠
テレポーターの転移先は地上の祠近くに設定されている。
転移した魔王はそこで待つ。
荒い呼吸がなかなか収まらなくて小さな肩を上下させる。
疲れた体を長い杖につかまって支える。
魔王のマントはゆっくりと揺らめき、円い盾は周囲を浮遊していた。
時刻は昼、空は晴れ渡って夏の日射しが肌を焼く。
暑さに汗が流れる。
街からは活気にあふれたざわめきが伝わってくる。
ここから望む大通りは楽しげに行き交う人たちであふれて見えた。
平和な昼下がりの光景だ。
だが魔王の前には、焦げて煙を上げる物体が転移してきた。
ルンだ。
ルンの鎧は溶融し、その下の服は半ば炭化している。
女神の彫像を思わせるその美しい肢体はすっかり煤けていた。
汚れた顔に真珠のような瞳がぎらついている。
ルンはふらつきながら、
「この僕が魔法を受けるなんてね」
「くくく」
魔王は笑う。
「汝、さきほど指輪が魔法で生成されるのを止めなかったであろ。常に魔力を吸収しているのではなく、自分の都合で制御しておるということじゃ。であればテレポーターを使うときにも転移魔法を発動させるために魔力吸収はせぬはず」
「テレポーターに魔法攻撃を仕掛けておいたわけかい。いいね、本当に君は面白いよ。だけど…… 甘すぎる」
ルンの見た目はひどいが、怪我は負っていない。
「もう、十分に遊んだであろ? そろそろ終わって昼ご飯にでもせぬかや」
魔王は優しく呼びかける。
「いいや! もっと遊びたくなったね!」
ルンから鎧が落ち、音を立てて地面に転がる。
黒焦げの服が剥がれ落ちていく。
肌の汚れが拭い去られるように消えていき、完璧なプロポーションの白い裸身がさらされる。
その姿を輝きが包み込んでいき、それは全身を覆う白銀の鎧となった。
「勇者の鎧、ミスリウムアーマーかや……」
「そうさ、詳しいね! 魔法を弾くからさっきみたいな手はもう使えないよ」
ルンはくるりと回ってみせた。
魔王は胸に手を当てて心の痛みに耐える。
勇者の鎧をまとったルンの姿はまさしく三百年前に友と呼んだ勇者に瓜二つ。
魔王は三百年の間ずっと考え続けてきた。
勇者が裏切ったのかと。
封印を破って脱出したら勇者と戦わねばならないのかと。
そして戦うならばもはや容赦はできないのだと。
ありとあらゆる戦い方を検討し、ありとあらゆる勇者の最期を思い描いてきた。
勇者とは魔王の天敵。
相容れざる存在。
次に戦うならば確実に倒す。
魔王は三百年かけて己に誓ってきたのだ。
この勇者はあの優しくも勇敢だった彼女とは違う。
紛れもない敵、倒すべき相手。
でも同じ匂いがする。
友になれるのだとまた信じていた。
なにかが魔王を躊躇させる。
あのとき自分が間違ったのではないか。
なにかを見落としたがために彼女を喪ったのではないか。
「ぼんやりしてないでよ」
ルンは間合いに踏み込んできた。
魔王の浮遊する円盾が自動防御機能でルンの蹴り込みを遮ろうとする。
円盾はルンに蹴り飛ばされ、甲高い金属音を立てて空を舞う。
魔王が装備する円盾は四つ。
ルンの連撃を受けて次々に弾き飛ばされる。
一つは祠にぶつかって凄まじい音を立てた。
戦闘音は街まで響き、冒険者たちが気付き始める。
ルンは容赦なく攻撃を繰り出す。
拳の連打が魔王に襲いかかり、今度はマントが自動防御。
マントは拳の衝撃を包み込んで殺そうとするが、魔力を奪われて飛散する。
「あれはギルマスちゃん!?」
「ギルマスちゃんが襲われているぞ!」
「相手は誰だ?」
冒険者たちがぞろぞろとやってくる。
その中には狼魔族ヴォルフラムの姿もあった。
ヴォルフラムはルンを見て目を剥いた。
いつものルンが成長した姿、これこそがヴォルフラムが追い求めてきた相手。
かつてヴォルフラムが属していた狗神旅団はこの少女に滅ぼされたのだ。
「狗神旅団の、ダンテス団長の仇!」
ヴォルフラムは叫ぶ。
集まってきていた冒険者たちはヴォルフラムからさんざん飲み話に仇の話を聞かされていた。
その一人の女重剣士グリエラは大剣を抜き放つ。
「そうかい、この女があの。次はこの北辺で悪さをしようってことかね」
ヴォルフラムは人狼に変化して両腕を構える。
様子を見に来ていた聖騎士が急いで寺院へと報告に走っていく。
「ギルマスちゃんを守るぞ!」
他の冒険者たちは続々と抜剣してルンを囲もうとする。
ルンは肩をすくめて、
「君たちはお呼びじゃないのに」
殺気に満ちた目で冒険者たちを眺めまわした。
「近づくではない、喰われるぞよ!」
ヴァールが冒険者たちに叫ぶ。
「喰われる?」
戸惑う冒険者たち。
そこに問答無用でルンに襲いかかるヴォルフラム。
両手の鋭い爪が月光の輝きを引いてルンを切り裂かんと迫る。
ルンは瞬時に跳んでヴォルフラムを背中から殴りつけた。
自分の勢いに殴られた勢いが加わって、ヴォルフラムは盛大に吹っ飛ぶ。
「ヴォルフお兄ちゃん、だから邪魔だってば」
ルンは冷え切った目でヴォルフラムをにらむ。
グリエラが大剣で斬り込む。
ルンは片手で大剣を弾き、グリエラの胸甲に拳を見舞った。
グリエラは口から血を吐いてもんどりうつ。
「ルンよ、汝の相手はこっちじゃ!」
魔王は後ろへと駆けだす。
ちぎれかけたマントが風を生み、飛ぶように走らせる。
「まだ逃げるの?」
ルンが追ってくる。
魔王が目指すのは、かつて魔王城がそびえていた広場。
今やそこには大魔王の巨像が建っている。以前、魔族と人間を団結させるために敵の象徴として魔王が用意したものだ。
高さ数百メルにも及ぶ巨像が魔王を出迎える。
巨大な手を差し伸べ、そこに魔王が飛び乗る。
巨像の手は魔王を肩に導いた。
魔王はしっかりと肩につかまる。
追ってきたルンが巨像を見上げた。
「こんなご馳走を用意してくれてたなんて君はやっぱり最高だ!」
ルンの声は高揚している。
冒険者たちも騒然としていた。
「大魔王の像を操るなんてさすがギルマスちゃん!」
「がんばれギルマスちゃん!」
声援を送ってくる。
「図らずも大魔王と勇者の決戦というわけかや」
魔王は巨像の魔力回路と同調した。
巨像の手足が魔王の手足となる。
巨像は地響きを起こして歩き出した。
「エイダ、ありがとうなのじゃ」
魔王はつぶやく。
この巨像はクグツの一種、魔王の意志で動かすことができる人形だ。
エイダはいずれ超大型の敵が現れたときも想定の上で設計していた。
「勇者相手に使うとは思わなんだが」
はるか下の地面に立っているルンに狙いを定める。
「魔力を消し去り、魔法を受け付けない相手とどう対するか。可能性を八万通り考察して、有効な戦術は三。これはそのひとつじゃ」
巨像は足を上げ、そしてルンへと降ろす。
ルンは空間を跳んで避けた。
足はルンを追い、ルンは避け続ける。
「そうじゃ。魔力を喰らおうとも物理的な力は止められぬ。魔法を弾こうとも大重量は弾けぬ。魔法が直接通じぬ相手は物理で倒せばよい!」
巨像はしゃがんでその腕を振った。
ルンが跳ぶよりも腕のほうが速い。
巨像の拳がルンをつかみ取った。
巨像は立ち上がり、ルンを高く掲げる。
「おしまいじゃ。これの動力源は魔力じゃが、体を動かしているのは物理的な機構じゃ。いかに魔力を喰おうとしても拳を止められはせぬぞ」
拳の中に捕らえられたルンは身動き一つできないように見える。
だがルンは楽しくてたまらないといった様子だ。
「ヴァール、君はまだ勇者がわかっていない。勇者に魔法は無効、それだけだと思ったのかい」
巨像の拳にひびが入った。
「力には力さ」
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