第40話 最悪
地下五階の中央、ヴァールは構え、ルンは自然体。
イスカ、クスミ、エイダ、ズメイは隅にいて動けない。ヴァールの作り出した何層もの魔法防壁に囲まれ守られているからだ。
「ヴァール様、防壁を外してください!」
エイダは必死に叫ぶが、その声すら防壁に阻まれて届かない。
いつもは飄々としているズメイが珍しく苦い顔だ。
「実にまずいですな。魔王陛下は魔法生体でございます。あらゆる属性の魔力が自らの魔法によって形を成した特別なる存在…… 全力を出せばその魔法は最強無比でございましょう。それゆえに極めてまずいのです。敵は魔力喰らい、魔法は敵に力をあたえるようなもの。陛下にとってこれは最悪の相性」
「だから! あたしが行かないと!」
エイダは防壁を力の限り叩く。拳には血が流れている。
エイダは慟哭する。
ダンジョンを運営していればいつか来るであろう最悪の敵がやはり来た。
わかっていたから、決戦の時は隣に立つ覚悟だったのに。
魔王様は自分を共に戦わせてはくれないのか。
また防壁に叩きつけられようとするエイダの拳をイスカとクスミの手が止めた。
穏やかな声でイスカが言う。
「魔王様は私たちにここで待てとおっしゃっているのですわ」
力強い声でクスミが話す。
「クスミたちが行っても足手まといなのです。魔王様を信じるのです」
「でも……! でも……!」
エイダは歯を食いしばり、戦いに挑む魔王を凝視する。
ルンと対峙する魔王はマントをなびかせながら宣言する。
「余はこの森を守り、街を守り、迷宮を守る者じゃ。汝の好き勝手にはさせぬ」
ルンはその神々しく美しい顔に無邪気すぎる微笑みを浮かべて、
「僕は魔族をクリアして、迷宮をクリアして、全ての魔力をクリアするんだ。こんなに面白い遊びは他にないよ。最高の勇者ごっこさ」
「勇者…… 人にしてあらゆる魔を打ち払うという者…… ルンよ、そうか、汝は噂に聞く勇者…… かのルーンフォース二世!」
「その名前で呼ばれるのは好きじゃないんだけどなあ」
神聖なまでの美しさとは不釣り合いなおどけたポーズをルンはとってみせる。
「ここも面白かったけど、もう潮時かな。ほら」
ルンは落ちていた小さなものを拾った。
指でつまみ、目の前にかざす。
七つ目の指輪だ。
倒されたビルダからドロップされたものだった。
ルンの手にはめていた六個の指輪に魔法が発動し、七つ目の指輪と融合する。
最後の指輪が生成された。
ルンは楽しそうに、
「これでコンプリート。キャンペーンは僕の勝ちだ」
自慢げに指輪を振ってみせる。
「さあ、ご褒美にどんなお願いを聞いてもらおうかな。あ、でも、君をこれからクリアしちゃうから聞いてもらえるチャンスはなくなるのかあ」
小さな魔王は胸を張って大きなルンを見上げる。
「たっぷりお仕置きしてからゆっくり聞いてあげるのじゃ」
「へえ。お仕置きされるのは君のほうなのに」
魔王とルンはまだ遠く、剣の間合いではない。
だがルンは剣を魔王に振り下ろす。
見ていたエイダは叫び声を上げそうになる。
剣が魔王を真二つにするのではないかとの恐怖。
ルンの剣は届かないように見えても空間を超えるのだ。
だが、ルンの剣は途中で止まっていた。
「あれ?」
ルンは剣に力を込めるが空中に縫い留められたように動かない。
剣には無数の細く白い根が絡みついていた。
「邪魔だな」
ルンは空間を跳んで魔王に迫ろうとし、しかし上手くいかず怪訝な顔をする。
「どこにも空きがない?」
根が絡んだのは剣だけではなかった。
ルンの周囲の空間にも細い根が張り巡らされている。
今や地下五階の空間全体に根が満ちつつあった。
「根の結界じゃ。どこにも跳べないであろ」
魔王が掲げる杖、魔王笏から無数の根が伸びていた。
「余には長い長い時間があったからのう。次に戦うときにはどんな技を使われてそれをどう破るか、ありとあらゆる可能性を考えていたものじゃ。これは五万三千七百二十一番目の戦術じゃ」
魔王はにやりとする。
「魔法って面白いねえ。でも無駄さ」
ルンは剣から手を離して素手になった。
「僕の力ってさ、本当はこっちだからね」
ルンが軽く手を振るだけで周囲の根が消失していく。
根を生み出した魔力がルンに吸収され、魔法によって生成された根が崩壊してしまうのだ。
さらに根が伸びてきてルンを包み込もうとする。
だがルンが両腕を掲げると根は解けるように消えてしまう。
「さあ、次は僕の番さ」
ルンは魔王へと突進した。
それを阻まんとする根の結界はルンが近づくだけで解けるように消えてしまう。
ルンは腕を伸ばす。
開いた掌が魔王の黒いローブを軽々と貫く。
ローブは切り裂かれて飛び散る。
「ん?」
手ごたえの無さにルンは怪訝な表情を浮かべた。
ルンの後ろから魔王の声。
「これは戦術分岐のδじゃ。とにかく暇じゃったからな。魔法を吸収する技が使われる前提も当然ながら想定しておる」
ルンが貫いたはずの魔王は根の塊によって作られた囮だった。
「へええ。僕をだますんだね」
ルンが魔力を吸収しつくして、偽の魔王は崩れ去る。
「おかげで魔力がまた増えたよ」
「もっと吸収してみるがよい」
地下五階に無数の魔王が現れる。
「ふん、付き合ってあげるよ」
ルンは俊敏な動きで次々に偽魔王を消し去っていく。
残る魔王は一人。即ち本物。
その魔王は階段のところにいた。
これまでは無かった階段、指輪が七つコンプリートされたことで解放された地下六階行きの階段だ。
「くくくっ、ひっかかったようじゃな、余はここまで来たかっただけじゃ」
そう言うや魔王は階段を地下六階へと降りていく。
ルンは怒りをあらわにした。
「ヴァール、逃げるのかい! 僕と遊んでくれるんじゃないのか!?」
ルンは魔王を追って階段を降りていく。
地下五階には、エイダ、イスカ、クスミ、ズメイが残された。
まだ防壁に囲まれていて動けない。
「なるほど、これが陛下の狙い。勇者をここから引き離すおつもり。魔王様が十分に遠ざかればいずれこの防壁も消えましょう」
ズメイが感心する。
「それじゃ遅いんです!」
握りしめたエイダの拳には指の爪が痛いほどに食い込んでいた。
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