第23話 顕現

 魔王ヴァールは魔王城の自室で布団に丸まっていた。

 このところエイダが起こしに来てくれないので意地になっている。


「エイダが起こしに来るまで起きないのじゃ。起こしに来たって起きないのじゃ!」


 布団の中でぐるぐる回って、布団団子はいよいよ丸まっていく。


「どうしてエイダは来てくれないのじゃ…… 出たくないってがんばりすぎたじゃろうか。朝ご飯に好き嫌いを言い過ぎたかもしれん……」


 本当のところは見当がついている。

 魔族と人間が競争するという提案をなし崩しに認めてしまったからだ。


 そんな争いを見たくなくて魔王は引きこもり、エイダはそんな魔王の情けない姿に怒っているに違いない。


 魔王の目に涙がにじんでくる。


 封印されていた三百年、魔王は裏切った人間への復讐にたぎることで長い歳月を耐え抜いてきた。

 しかし思いもよらず人間のエイダに助けられ、迷宮を築くことになり、失った民の代わりに冒険者たちと親しくなった。


 安らぎを得た魔王は怒りを忘れ、戦いを避ける安易な道を望んだ。

 そのあげくが魔族と人間の争いを招いている。


 三百年前も失敗した。

 やはり魔族と人間は相容れぬ運命なのであろうか。


 ヴァールはぎゅっと縮こまる。


 そのときだった。胸に鋭い痛みが走り抜ける。

 肉体よりも心が切り裂かれるような痛み。


 ヴァールは布団を振り払って立ち上がった。

「エイダになにかあったのじゃ!」


 ベッドから飛び降り、重いドアに小さな体重をかけて開き、ポータルがある大広間へと急ぐ。

 ちょうどポータルからイスカやクスミたちが現れるところだった。


 クスミが血塗れのものを抱きかかえている。

 魔王は認めたくなかった。

 そのずたぼろのように切り裂かれたものがエイダであることを。


 恐怖を我慢して直視する。

 エイダはぴくりとも動かない。

「治療魔法は……!?」

「やれるだけのことは……それでも……」

 青ざめた顔でイスカが答える。


「早く蘇生魔法をかけるのじゃ!」

 悲鳴のように魔王が言う。


 イスカが静かに語る。

「何度もかけて肉体は修復しましたわ…… それでも命が戻ってこないのです」


 魔王は命じた。

「……余のベッドに運ぶのじゃ」


 何があったのかをイスカが魔王に報告しつつ、一行は魔王の部屋へと移動する。

 クスミはエイダを魔王のベッドに運んで横たえた。

 白いシーツに赤黒い血がにじむ。


 エイダの胸は動いていない。


 魔王は両手でシーツを握りしめる。

「余は…… どんな魔法でも使える…… でも回復は得意ではないのじゃ。魔力が強すぎて回復が暴走してしまうーー」


 歯を食いしばった魔王の唇から血が流れる。


「血…… そうじゃ、魔力を漏らしてしまえば! クスミ、刀を貸すのじゃ」

「刀です? このクナイでいいですか」

「うむ」


 クナイを受け取った魔王は小さな手で柄を握り、白刃に目を凝らして、

「鋭い刃じゃな」


「よく研いでますから」

 クスミは自慢げだ。


「うむ、よく斬れそうじゃ」


 魔王は刃を自分の左胸に向け、黒いローブの上から力を込めてむんずと突き刺した。

「ぐぬ…… 確かに……」


「「魔王様!!」」

 驚いてイスカとクスミが叫ぶ。


 魔王は脂汗を流しながらゆっくりクナイを引き抜いた。

 傷口から真っ赤な血が迸る。

 血はローブを濡らし、ベッドに滴り、そして魔力に昇華し始める。

 魔王の血は魔力そのものなのだ。


「これで…… どうじゃ」

 

 魔王は小さな右手をエイダの胸に当てる。

 魔法陣が展開する。

 みるみる魔法陣が大きくなろうとするのを魔王は懸命に押しとどめようとする。


「まだ血が多すぎたかや」

 魔王は左手に持ったクナイを今度は右胸に突き立てる。


「「お止めください!」」

 イスカとクスミの悲鳴。


 魔王は血の気を失った真っ白い顔でにやりとする。

「これぐらいでよさそうじゃ」


 魔法陣が安定した。

 蘇生魔法が発動する。

 暖かな光がエイダを包む。


 だがエイダの様子に変化はない。


「どうして効かないのじゃ!」


 魔王は左手もエイダの胸に当てる。

 新たな魔法陣がそこに生じた。


 イスカが驚きに目を見開く。

「同一魔法の多重詠唱、そんなことが現実に可能だなんて!」


 さらに魔法陣が現れた。

 さらに、さらに、さらに。


「足りぬ!」


 魔法陣は無数に重なり合い、もはや球を成している。

 白い輝きがエイダを包み込んでいる。

 だがその胸は動こうとはしていない。


「足りぬ足りぬ!」


 己の力不足に魔王は喘ぐ。

 ああ、封印前の力があれば。

 今だけでいい、真の姿を!


 魔王の身体から流れ出る血は昇華され、魔力となって散っている。

 あまりにも莫大な魔力であるために魔王城に満ち、あふれ、迷宮街から森へと拡散していく。

 魔王の悲痛な願いはその魔力に乗って広がっていった。


 魔王城に。

 ダンジョンに。

 迷宮街に生きる者たちに。


 その願いは送られた。


 イスカは、クスミは、魔王城のダンジョンに住まう者たちは、魔族の冒険者たちは、森のエルフたちは、そして人間たちも魔王の悲痛を受け取った。


 愛する者にただ生きていてほしいという純粋な願い。


 胸が潰れそうになる切ない想いにヴォルフラムは団長たちを喪った悲しみを思い出し、願いよかなえと祈った。


 魔族たちも共に祈る。


 アンジェラの胸中に、ハインツが重傷を負った時の苛立ちが蘇る。彼女はただ救いを祈った。


 人間たちも祈りを重ねる。

 

 捧げられた。

 皆の思いが。


 魔王は受け取った。

 皆の祈りを。


 神が起こすのは奇跡ならば、魔王が起こすのはどう呼ぶべきか。


 魔王の姿が変貌していく。

 額に二本の煌めく銀角が生じる。

 黒いローブから長くしなやかな脚が現れる。胸がはちきれそうになり、すらりと腕が伸ばされる。

 紅玉の宝石を細く束ねたかのごとき輝く髪が垂らされてベッドにまであふれる。


 この世の者ならざる乙女へと成長した魔王の姿。


 人を超えてあまりにも美しき存在。ゆえに魔。

 魔の化身、すなわちこれこそが魔王。


 強い魔族だから、魔法に長けているから、だから魔王なのではない。

 魔族のみならず人の心までをも捉えるからこそ魔王なのだ。


 それを目の当たりにしたイスカとクスミは絶句している。


 真の姿を現した美しき魔王は光背のように魔法陣を背負い輝かせている。


 魔王はエイダの顔にそっと唇を寄せた。

「余の命、受け取るがよい」


 魔王はエイダにそっと顔を寄せた。

 その唇から命を吹き込む。


 エイダの服や顔を汚していた血が消えていく。

 切れていた服が元に戻る。

 傷が跡形もなく消え失せる。

 肌にじわじわと赤みが増してくる。


「戻るのじゃ、エイダ!」


 成すべきことを成した魔王は待つ。


 聞こえた。

 エイダの心臓がとくんと打った。

 胸が微かに動いた。


「エイダ!」


「あれ…… 魔王様……?」

 ゆっくりとまぶたを開いたエイダは、絶世の美女が自分の上で泣きじゃくっているのを見た。


 エイダはやおらに起き上がろうとする。

「そのお姿、ああ美しすぎる! 撮らなきゃ!!」


 魔王は仰天してエイダを押さえ込もうとする。

「な、なにをしているのじゃ、動くでない! 絶対安静じゃ!」

「でも撮像具を」

「ええい、クスミ、頼むのじゃ」


 クスミが慌てて撮像具を取りに行ってきた。

 エイダの代わりに魔王を撮像し始める。


 そうしている内にもみるみる魔王は小さな姿へと戻っていく。

 全身が幼くなり、声は舌足らずに変わる。

 角も消えてすっかりいつもの小さな魔王様だ。


「かわいい魔王様」

 エイダがうれしそうに言う。


 それを見た魔王の目からまた涙があふれてきた。


 魔王はエイダの隣のシーツをぽかすか叩きながら、

「エイダの馬鹿! 馬鹿馬鹿! 自分を傷つけるようなことをするでない!」


 エイダは魔王を見つめて優しく微笑んだ。

 微かな声で時間をかけて答える。


「ーーダンジョンを作ろうとあたしが言い出して……  魔王様を倒そうと、強い冒険者がたくさん集まってきました……」


「無理に話すでない、エイダ」


 エイダは時間をかけ深々と深呼吸してから続けた。


「ーーダンジョンを続けるためには、魔族と人間に力を合わせてもらわなきゃいけなくて、でもーーそしたら彼らはもっと強くなります。ーーいつの日にか彼らは魔王様の前に敵として現れるんです。あたしが言い出したせいで」


 エイダは身体を少し起こし、魔王と目を合わせて言った。


「そのとき、魔王様の前衛には一の手下であるあたしが立ちます。強い冒険者全員を相手にするんです。だから魔族と人間の争い程度から逃げちゃいけないって思ったんです」


「エイダよ…… 間違っておるぞ」

 魔王はせいいっぱい怖い顔をする。


「魔王様……?」


「最後の戦いでエイダが立つのは余の隣じゃ! 共に生き共に滅びるのじゃ! だからもう、こんな危ないことはしてくれるな」


 魔王は小さな手でエイダの手を握る。

 エイダは握り返す。


「ごめんなさい、もう一人じゃやりません」

「余は本当に怒っておるのじゃぞ! 許さないのじゃ!」


「どうしたら許してくれますか」

「一緒に朝ご飯を食べるまでは許さんのじゃ!」


 そんなエイダの元気な姿に、イスカはただ驚愕していた。

 骸となっていたエイダが何もかも元の姿ではないか。


 これはもはや治療魔法でも蘇生魔法でもない。

 そんな技術を超越している。

 ただ元に戻しているのだ。

 これは神の域だ。


 エルフの一族がなぜ神社を建てて崇めてきたのか、人間がなぜあれほど恐れるのか、イスカは心の底から実感した。

 自分は途轍もない存在に仕えている。


 クスミが床に頭を擦りつけひざまいている横で、イスカは目を閉じてそっと両手を合わせた。


◆聖騎士団本部 サース枢機卿の執務室


 年老いたサース枢機卿は部屋で一人、滂沱の涙を流していた。

「あれは確かに魔王様の御力…… お帰りになられた…… 計画は成功したのだ。もはやエイダを呼び戻さねばならん」


◆西方 魔族の都市


 燃え盛る街。

 一人の少女が無造作に歩きながら魔族の兵士たちを一刀両断にしていく。

「あ奴め、一瞬とはいえ真の復活を遂げたか。しぶとい奴よ」


 少女は返り血に塗れた姿で凄絶に笑う。

「今度は殺す。完全に殺す。二度と復活することが無いよう、この世からきれいに消滅させてくれる」


◆魔王城 大広間


 大きな玉座に座った魔王様はパンケーキをもりもり食べてから一息ついて言った。

「余の覚悟が足りなかったゆえに冒険者を争わせてしまったのじゃ。迷宮には倒すべき敵がおらねばならぬ。余は宣戦布告を行うぞよ」

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