第9話 魔王笏

 洞窟の奥から強い気配がする。

 魔王は奥へと駆ける。

「待てです!」

 後ろからクスミの叫び声と共に手裏剣が飛来してきた。

 左右に入り組み、根が多く下がる洞窟内を手裏剣は通り抜けてくる。

 魔王は間一髪で手裏剣を避けた。

 だが次々に手裏剣は飛来してくる。

 手裏剣が魔王のローブをかすめる。


 奥へと進むほどに収納されている品々はより貴重な物になっていく。


 魔王は風を巻きながら剣の棚が並ぶ列を抜ける。

 手裏剣が棚にカツカツと刺さる。


 棚に並んだ剣が磨き抜かれているのに魔王は気付く。

「よく手入れされておる。宝をずっと守ってきてくれたのじゃな」


 魔王は風に乗って走り続ける。


「剣は使えぬな。宝を守ってくれていた眷属を傷つけることはできぬ。厄介じゃ!」


 宝石棚の列を進む。

 クナイが棚の中に飛び込んで、宝石が弾けた。


 後ろから叱責の声がする。

「宝を傷つけてはだめです!」

「しかし風が邪魔をして」

「言い訳無用です!」


 足元に手裏剣が刺さるのを跳んで避ける。


 魔王は盾の棚を前方に見つけた。


「いてくれるかや……?」


 魔王は呼びかける。

「魔王の盾よ! 風の盾よ!」


 棚に収められていた丸い盾ががたがた震えだす。


「おるではないかや! 余じゃ、魔王が還ってきたぞよ!」


 風の盾は主人を迎える犬のように棚から飛び出した。


「いい子じゃ!」


 飛び出してきた盾には飛行の魔法陣が描かれており、自在に宙を飛んで手裏剣を受け止める。

 追ってくる忍者たちに盾はぶつかっていく。


「うお!」

 忍者の数人が転倒。しかし他の忍者たちが追ってくる。


 魔王はさらに叫ぶ。


「風のマントよ! おるのならば返事をするのじゃ!」

 棚からマントがばたばたと波打ちながら飛び出す。

 

「おってくれたかや! 来るのじゃ!」

 マントは魔王の肩に舞い降りて装着される。


 マントは生き物のようにうねって、飛来する手裏剣やクナイを弾き落とす。

「愛いやつじゃ!」

 魔王にほめられてマントはうれしそうに震える。


 忍者の一人が不安そうな声で、

「クスミ殿、魔王様の御宝物をお使いになられているあの方はもしや」

「そんなわけないです!」

 クスミは聞く耳を持たない。


 洞窟の奥の奥、行き止まりに魔王は来た。

 十人がかりでも手が届きそうにない太い根が洞窟を塞いでいる。

 根には螺旋にうねる金色の杖が刺さっていた。


「見つけたぞよ!」

 魔王は嬉しさに叫ぶ。

「永遠に失われたものとばかり思うておった……」


 杖を前にした魔王を忍者が取り囲んでいく。


「もう逃げ場はないです」

 クスミが荒い息で言う。

 遅れてやってきたイスカが横に並ぶ。


「お前が魔王様と言うのでしたら、その魔王笏を抜いてみなさい。クスミの力でも抜けなかったけど、本物ならできるはずです」

 クスミは勝ち誇った表情である。


 イスカが冷たい目になって、

「クスミちゃん、御神器に触ったのね~?」

「いや、ちょっと試してみただけで、あ!」


 魔王はゆっくりと歩み、感慨深げに金の杖をなでる。


「抜いてしまっては魔王笏ではなくなるのじゃ」

「なんですって!?」

「杖よ、戻るがよい、本来の姿に」


 魔王は金の杖を太い根へと押し込んでいく。

 押し込むにつれて根が細くなっていく。


 洞窟に垂れ下がっている無数の根が縮む。細くなる。

 洞窟の上をふさいでいる神樹も細くなっていき、隙間が現れて外が覗く。

 

 忍者と巫女が絶句する。

 村全体を覆うほど生い茂っている神樹の枝葉が幹へと吸い込まれるように消えていく。 

 幹が縮み、細くなる。

 神樹が消えていこうとしている。


 幹が消え、根が消え、皆の頭上にはぽっかりと大きな穴が開いた。

 大木は今や細い白木の棒と化していた。

 その白木を軸として螺旋上に金色の棒が取り巻いている。


 魔王は満足げに杖を握る。


「この森のあらゆる木を統べるのが神樹じゃ。その神樹を封じた杖、魔王笏こそは森の支配者たる魔王のあかし。余の手から離れていたことで元の神樹に戻っておったのを、余があらためて封じた」


 魔王が杖を振ってみせる。

「祝うがよい。森の王者、魔王ヴァールの帰還じゃ」

 呼応して森がざわめく。あたかも魔王を称えるかのように。 


 クスミは大きく目を見開き、全身を震わせている。


「よくぞ…… 三百年も守り抜いてくれた」

 小さな魔王が村の民へと長い魔王笏を掲げる。

 穴の外から差し込む光が魔王の影を作る。

 影の形は社に飾られていた魔王像と同じ姿を描いていた。


「魔王様!」

 クスミが土下座して他の忍者も続く。


 イスカが前に出て深々と頭を下げる。

「大変なご無礼をいたしました。この罰は村長たる私にお与えくださいませ」


「よい。皆の者、頭を上げよ」

 

 マントをひるがえし、盾に守られ、杖を掲げた姿で小さな魔王は立つ。

 その目は優しく皆を見ている。


「汝らは城の宝を守り抜いてくれた。このありがたさは言葉に尽くせぬ。三百年…… 長かったであろう」


 魔王の言葉に皆は泣いた。

 魔王の頬を熱い涙が伝う。

 号泣しているクスミは顔を上げられなくてずっと土下座のままだった。



 その夜、神社の境内で宴が行われた。


 魔王たちはかがり火を囲んで車座に座っている。

 地面に敷かれた布の上に村人たちは座り、魔王は分厚い座布団の上にちょこんと鎮座している。


 村で採れた新鮮な野菜や忍者が狩ってきた鳥の肉などが料理されて皿の上にずらりと並ぶ。


 魔王の隣には巫女イスカが座っている。


「城が落ちるときに宝を運び出して、この地に封印して待っておったのかや」

「はい、四天王サスケ様の命であったと言い伝えにございますわ」

「サスケはどこに行ったのかのう……」


 焼きたての小さな芋を魔王は摘まむ。皮をぶちっと噛み切るとほくほくの香ばしさがあふれる。甘くみずみずしい味わいだ。

 村人の深い愛情を感じさせる出来栄えだった。


「魔王城は復活した。森魔族エルフにはまた仕えてほしいのじゃ。鍛冶の腕を振るってほしい」

「もちろんでございます。鍛冶の腕ならば宝を手入れするために鍛えてまいりました」


 端のほうでまだ土下座しているクスミに魔王は目をやる。

「忍者にもぜひ頼みたいことがあるのじゃ。他の去っていった者たちのことを調べてほしい」

「ははっ!」


 こうして魔王は新たにエルフの助力を得たのだった。


 迷宮町に戻った魔王が、何も言わず出かけたことを涙目のエイダに叱られて大いに反省したのはまた別のお話。



◆北ウルスラ王都 聖教団本部


 聖なる神を称え、邪な魔を滅さんとする聖教団。

 人類の守護者を標榜する彼らの大寺院は城塞とも見まがう厳つい造りである。


 その一室で枢機卿と騎士が会話している。

 対魔族の戦闘を管轄するサース枢機卿と聖騎士団の部隊を率いる騎士のハインツだ。


 枢機卿は豪奢な椅子に座って重厚な机に肘を乗せており、騎士は枢機卿に向かって直立不動の姿勢である。


「北辺で魔王ヴァールが復活したとの噂、確認はできたか、ハインツ」

「魔王城跡に迷宮が現れて冒険者が集まっていることは確かですが、魔王の実在は確認できておりません」


「寺院を設置し、聖騎士団を駐屯させて不測の事態に備えよ。状況によっては迷宮を潰す。辺境の地とはいえ、どのような魔族の動乱を呼ぶとも限らん」

「かしこまりました。騎士団から部隊を編成いたします。寺院には神官を連れて行かねばなならないのでしょうか」


「大神官からアンジェラを配置するようにと言われておる」

「アンジェラですか…… 面倒な女ですが」


「そう言うな。優秀な治療師だぞ。迷宮探索には欠かせぬ存在だ」

「はっ…… 勇者は派遣されないのですか」


「勇者は心の赴くままに戦うものなのだ。今、どこにいるのかも定かではない」

「かしこまりました。騎士団から部隊を編成いたします。寺院には神官を連れて行かねばなならないのでしょうか」


 枢機卿は聞かなかったふりをして話を続ける。


「まったく魔族は厄介だからな。いくら魔王を滅ぼしても、またぞろ湧いてくる。騎士の仕事には休みがないな。すまんが頼むぞハインツよ」

「魔族を滅ぼすのは我が喜びです」


 ハインツと呼ばれた騎士は部屋を退出していく。


 サース枢機卿は誰にも聞こえない小声でつぶやく。

「ヴァール陛下…… どうかこのサスケめをお許しください」

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