地下二階
第7話 森からの殺気
◆ダンジョン管制室
ダンジョン操作卓についている魔王は、浮かび上がった魔法陣を細かく制御している。
エイダはそれを後ろから見守っていた。
「全階層シフト設定良し、座標にずれ無し。くくく、これを失敗すれば魔王城全体が消し飛ぶ」
「だ、大丈夫ですよ魔王様、何度も見直しましたし」
「ダーマよ、準備はよいかや」
<蓄積MP総量がステージ2を超えました。階層追加と階層シフトの機能が使用可能状態にあります>
「では、始めるがよい!」
魔王は高らかに叫ぶ。
エイダは唾をのむ。
ダンジョン管制室に魔王城ダンジョン各階の映像が浮かび上がる。
各階が下の階へとシフトしていく様を映し出している。
地下二階が地下三階に、地下三階が地下四階に、地下四階が地下五階に、地下五階が地下六階に、ダンジョン管制室のある地下六階が新たな地下七階に。
空白となった地下二階に新迷宮が作られていく。
これまで迷宮といえる階層は地下一階だけだった。冒険者たちから魔力を集めたことで地下二階を増設できるようになったのだ。
地下二階には今までよりも強いアンコモン級魔物のポップサークルも多数設置した。
「冒険者どもめ、歯ごたえのある戦いを楽しむがよいぞ」
魔王はにやりとする。
◆迷宮町の酒場
数日後、冒険者たちの反応を楽しみに魔王は酒場へとやってきた。
昼過ぎでランチタイムは終わりかけているが客は多い。
あちこちのテーブルに冒険者たちが数人ずついて雑談にふけっているようだ。
魔王が入ると冒険者たちの注目を集める。
「ギルマスちゃんだ!」
「ヴァール様とお呼びするのだ。ああ、なんとかわいらしいお姿」
「ヴァール様って昔の魔王と同じ名前だよね」
「そこがクールじゃん」
「まお、じゃなかったヴァール様、こっちです!」
エイダが手を振って彼女一人のテーブルに招く。
エイダの昼休みにランチを一緒に食べようと約束していたのだ。
魔王が席に着くとウェイトレスのマッティがやってきた。
「なんになさいます?」
「パンケーキ、たっぷりクリームを乗せるのじゃ」
「同じのをお願いします」
「はい、クリームたっぷりパンケーキね」
しばらく待つと、バターのいい匂いをさせてパンケーキが二皿やってきた。
よく泡立てた白いクリームがたっぷり乗っている。
魔王は目を輝かせて、
「いただくのじゃ!」
パンケーキにナイフを入れる。口が小さいのでちょっとだけ切って、フォークで口へと運んだ。
パンケーキは香ばしくて暖かくて柔らかい。とろけるクリームの甘さとあいまって、それはもう口の中が幸せいっぱいの美味しさ。
焼きたての熱々パンケーキをはふはふと食べて、二枚終わったころにはもうおなかいっぱい。
椅子に寄りかかって満足している魔王をエイダは楽しそうに見ている。
眠くなってきた魔王は、しかし耳に飛び込んできた会話で目が覚めた。
「地下二階は魔物が強すぎるわドロップアイテムが渋いわ、がっかりだよ」
「せいぜいアンコモンしか拾えないんじゃなあ。このままだと潜るだけ赤字だ」
「別のダンジョンを探すか」
魔王は跳ね起きた。
「エイダよ、どうなのじゃ」
エイダは表情を曇らせて小声で、
「KPIを達成できていません」
「けーぴーあい?」
「
魔王は目をぱちくりさせる。
「DAA? MPO?」
「あ、すみません、説明します。KPIはキーパフォーマンスインジケーター、ダンジョンがうまく運営できているかどうかの目安にする数字です」
「ふむ?」
「
「ふむむ。この人数が大事ということじゃな」
「MPOはマジックペイアウト、冒険者が消費したMPとHPの合計に対して、彼らに与えている魔石MPの割合です。たくさん魔石をあげれば冒険者には喜ばれますが、これが100%を超えるとダンジョンは魔力が赤字になってしまいます」
「うむ。赤字ではダンジョンを運営している意味がないのじゃ」
「なので冒険者側が赤字になるよう設定するのですが、そうなると彼らは冒険する意味がありません。そこで一部の者には大当たりさせたり、別にドロップアイテムをあげたりします」
「そのドロップアイテムがしょぼくてがっかりなのじゃな」
「はい……」
魔王は腕を組む。
「ドロップアイテムはひょいひょい魔法召喚できる仮初の存在ではない。手間暇かけて作られた実物じゃ。魔力が尽きれば消えてしまう召喚アイテムなんぞに価値はないからのう」
「でも魔王城にはもう在庫がないんですよね」
「根こそぎ荒らされてしまって、残っていたのはダンジョン管制室の倉庫にあったわずかな分だけじゃ。冒険者どもが落としたコモン装備にエンチャントして、アンコモンとしてドロップアイテムに回してきたのじゃが、さすがにもう限界のようじゃな。どうしたものか……」
魔王は遠い目をして過去を振り返る。
かつての魔王城は鍛冶師や防具師を多く抱えていて、恐るべき力を込めた武器や防具が作られていたものだった。今はすっかり空っぽだ。
エイダの昼休みが終わり、答えが出ないままに魔王は町を歩く。
共同市場の建物を覗いてみるが、確かに活気がない。大したアイテムが並んでいないのだから当然なのだろう。
とぼとぼと街はずれの森近くまで歩いてきた魔王は急に立ち止まった。
「またかや」
森のほうから誰かが殺気のこもった視線を向けてきている。
殺気はふいに消える。
しかし魔王はそちらへと駆け出した。
以前にも同じことがあり、忙しくて見逃したが今回は時間の余裕がある。
森の中に入って、気配の残り香を追う。
「すぐに追わねば気配は消えてしまいそうじゃな。ううむ、エイダに知らせる暇はないかや」
困り顔の魔王は、
「ようやく溜まってきた魔力をあまり使いたくはないのじゃが……
魔王の靴底に風の魔法陣が現れた。
魔法の風が魔王を飛ぶように走らせる。
ここは北辺の大森林だ。
馬でも抜けるのに数日かかる。
「いったいどこまで逃げ続けるつもりかや」
何時間も走って、ようやく終わりが見えた。
気配がより大きな気配に飲み込まれたのを感じる。
魔王はいったん止まった。
目の前に見えるのはごく普通の木々。
しかし妙な気配がする。
魔王がゆっくり進むと結界の強い抵抗を感じた。
この先には結界が張られている。
魔王は笑う。
封印結界を破ろうと三百年苦労してきた魔王にとって、そこらの結界を抜けるなど造作もないこと。
結界を構成する魔法術式を読み取り、組み替え、魔王を受け入れさせる。
「さて、なにが待ち受けるかや」
戦闘意欲満々で結界を通り抜けた魔王の目前には穏やかな農村が広がっていた。
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