第32話 僕は復讐者じゃない!?

 ラディアさんがアナグニエ副学長を引き付けてくれている間に、僕は自身のリュックサックを漁っていた。リュックサックには、これまでの探索で手に入れた素材やらが乱雑に詰め込まれている。あー、こういうのもちゃんと整理した方が良いよな。必要な時に必要な物がすぐ出てこないって、すごくもどかしい。


 アレでもない、コレでもないと。僕は次々と道具を取り出していく。すると、二つのアイテムが目に止まった。僕は、『バーサク・エキス』と『鎧兜蟹の血』が入ったそれぞれの瓶を取り出す。


 これだ! もしかしたら、これでアナグニエ副学長を止められるかもしれない!


 僕は【創薬】スキルで、これらのアイテムの精製を行った。精製された『バーサク・エキス』と『鎧兜蟹の血』は少し量が減っている。量が減るというデメリットはあるものの、【創薬】を使うことで古くなった素材アイテムを、利用可能なレベルに戻すことができる。この機能は地味に便利だ。


「ラディアさん! これをアナグニエ副学長の顔に叩きつけて!」


 僕はラディアさんの方へ、『バーサク・エキス』を放り投げた。ラディアさんは『バーサク・エキス』が入った小瓶をキャッチする。

 ラディアさんはアナグニエ副学長の攻撃をかいくぐり、『バーサク・エキス』をアナグニエ副学長の本体へと投げつけた。


「今度は飛び道具かね。私に飛び道具は通用しない」


 アナグニエ副学長が乗ったエインガナの額から、小さな蛇の頭が伸び上がる。うわ、器用だな。変身能力を使って、あんな事もできるのか。


 伸び上がった蛇の頭が『バーサク・エキス』の入った瓶を叩き落とした。エインガナの額で割れた瓶から、気化した『バーサク・エキス』が立ちのぼる。


「むぅっ!? コレは、薬品か!」


 アナグニエ副学長は、仰け反りながらも『バーサク・エキス』を吸いこんだようだ。よし、ひっかかった!


「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 アナグニエ副学長を乗せたエインガナの身体から、無数の蛇が伸び出した。げぇ、なんだあれ! レアモンスターの八岐大蛇なんて比じゃないぞ。ワサワサと這い出てくる蛇の頭がすごく気持ち悪い。


「ラディアさん、離れて! 今のアナグニエ副学長は『バーサク・エキス』の影響で興奮状態だ!」


 ラディアさんは、おぞましい姿になったアナグニエ副学長から身を引いた。


 アナグニエ副学長から伸びる蛇達は、周りの瓦礫やらビーカーやらを手当り次第に食べ始めた。


「クハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! 分身の薬かね! 君たちがどれだけ分身しようと、エインガナは全てを食べ尽くす! 無駄な足掻きだ!」


 ちょっとアナグニエ副学長が何言ってるか分からない。たぶん、『バーサク・エキス』のせいで幻覚を見ているんだろう。

 アナグニエ副学長の固有スキル【消失半減】は、薬品の作用を無効化するわけじゃない。短い時間かもしれないけれど、必ず効果を受ける。


 それにしても、これがエインガナの真の姿なのか。なんて恐ろしいんだ。これだけの蛇の頭に囲まれたら、ラディアさんひとりじゃどうやっても太刀打ち出来なかった。僕らがあんまりにも貧弱すぎて、めちゃくちゃ舐められてたんだと分かる。


 それはそうと、今度はこっちの出番だ。今のアナグニエ副学長なら、この『鎧兜蟹の血』も僕らに見えてしまうかも。


「喰らえ、アナグニエ副学長!」


 僕は振りかぶって、アナグニエ副学長へ向けて『鎧兜蟹の血』が入った瓶を投げつけた。


 アナグニエ副学長の一部である蛇の頭が、僕の投げた瓶に食らいつく。そのまま、瓶を飲み下した。


「ご、オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!」


 離れてアナグニエ副学長の様子を窺っていると、奇妙な叫び声を上げてアナグニエ副学長の動きが止まった。そして、エインガナの身体が黒く染まっていく。そのまま、エインガナの身体はボロボロと崩れだした。


 エインガナの身体が崩れていく様子はまるで、十分に伸びきってグズグズになった蛇玉を眺めているようだった。


 『鎧兜蟹の血』は、あらゆる毒物に直接作用して解毒する。『鎧兜蟹の血』が作用するのは身体を巡る毒に対してであり、アナグニエ副学長本体ではない。だから、『鎧兜蟹の血』の効力は百パーセント発揮されている。

 とはいえ、『鎧兜蟹の血』自体は【消失半減】の効果でそのうち消えてしまうだろう。副作用としての高熱は、アナグニエ副学長本体に対する作用だからだ。『鎧兜蟹の血』が包み込んで無毒化した『M・E・D』と共に、アナグニエ副学長の身体を巡る毒は全て無くなる。


 これで、アナグニエ副学長は無力化されるはずだ!


 アナグニエ副学長の様子を眺めているうちに、広い実験室の半分を埋めていたエインガナの体躯はみるみる小さくなっていった。黒い灰の中央には、アナグニエ副学長の上半身だけが取り残された。急な無毒化により、アナグニエ副学長の身体は元に戻る暇が無かったんだ。こんな体になってしまったら、もうどうする事も出来ないだろう。


 僕とラディアさんは、黒灰の中央で横たわったアナグニエ副学長の傍まで歩み寄った。


「アナグニエ副学長、勝負はつきました。あなたの負けです」


 僕は、アナグニエ副学長を見下ろして言った。アナグニエ副学長は、空虚な眼差しで実験室の天井を見つめていた。下半身が無くてちょっと不気味だけど、出血などは見当たらない。命に別状は無い様子だった。


「私の負けだ。フフフ、私としたことが、君たちを見くびって随分と油断してしまったな」


 アナグニエ副学長は自嘲するように言葉を吐き出した。それと同時に、ラディアさんの身体から虹色のオーラが消える。アナグニエ副学長は完全に戦意を喪失したようだ。


 ようやく、終わった。さすが、アナグニエ副学長だ。とてつもなく強大な相手だった。でも、いくつか腑に落ちないことがある。


 僕は、アナグニエ副学長に疑問を投げかける。


「アナグニエ副学長……あれだけの力を隠し持っていたのなら、僕らなんてすぐにやっつけられたはずです。どうして、こんな試すような戦い方をしてたのですか?」


 今にして思えば、始めから怪しいことだらけだ。上流貴族の思惑なんて話す必要は無かったし、【創薬】を使った戦闘方法だって説明する必要は無かった。『M・E・D』を使ったあとも、常に僕らの出方を窺いながら、わざわざ後手に回って戦っていた。


「フフフ……君らの師である私に対して、それは愚問であろう。生徒を教え導くのが、教師の役目であるのだから。戦闘経験の浅い未熟な君に指導を施すのは、当然のことではないかね」


 アナグニエ副学長はそう言うけれど、なんだかはぐらかされている気がする。いまいち納得できないなぁ。僕は、食い下がってアナグニエ副学長にたずねた。


「僕らは世の中の秘密を知ってしまった。そして、アナグニエ副学長は秘密を知った僕らを消そうとした。そうではないのですか?」


「フフ……私は、君たちが役立たずであれば、そのまま処分するつもりでいた。だが、君たちは私の予想を上回る実力を見せつけてくれたのだ。私は、そんな君たちを評価している。そして、優秀な君たちであれば未来を託すことも出来よう」


 アナグニエ副学長は、僕らを見つめて言葉を続けた。


「所詮、私は成り上がりの貴族だ。成り上がりの貴族には役目がある。それは、正式な血統を持つ貴族たちの身代わりだ。彼らのために策謀し、実行することを条件に、上流貴族の座と権力が与えられる。すなわち、彼らにとって私は使い捨ての駒に過ぎないのだよ。……だが、私にとってはそれで十分だった。力のない私は、復讐のために権力を手に入れる必要があったのだ」


 アナグニエ副学長は一度言葉を切った。アナグニエ副学長は昔を思い出すように、虚空を見つめる。


「そうして私は復讐に生きた。だが、それも既に果たされた。そのために、たくさんの悪事を行ったものだ。だが、燻り続ける冒険者への憎しみの炎は、私の中から消すことが出来なくなってしまった。『エリクシール』は、そんな私の邪な心を満足させるための薬でもある。だが……今の私はもはや、何のために生きているのかも分からぬのだ」


 アナグニエ副学長は言って、目を閉じた。少し間を置いて目を開けると、アナグニエ副学長は再び僕らに顔を向ける。


「だから、君らには期待しているのだよ。上流貴族たちの奴隷である私を退けるだけの知恵が、君らにはある。もしかしたら、君らはこの世界を根本的に変えてくれるのかもしれぬ。そんな期待を、君らには持たせられた。答えになったかね」


 アナグニエ副学長は話を終えた。


 なんて言うか、意外だった。教師として僕らの前に立っていたアナグニエ副学長からは、復讐心なんて微塵も感じられなかったからだ。


 ……そういえば。戦いの最中にアナグニエ副学長は『君にも恨む気持ちがあるはず』と言っていた。あの言葉にはアナグニエ副学長の心境も反映されていたのか。


「……アナグニエ副学長は、なぜそんなに冒険者を憎んでいるのですか?」


 僕は、アナグニエ副学長に聞いた。


「フフフ……きっかけは君と同じだ、ハルガード。私も、昔は冒険者を目指してアカデミーを卒業したのだよ。その後の境遇は、君とは随分と異なるがね……。年寄りの昔話になるが、聞いていくかね?」


「……はい、お願いします」


 アナグニエ副学長の提案に、僕は少し間を置いて答えた。


 僕もナクトル達に裏切られたくちだけれど、ここまでの事をしようとは思わなかった。僕の場合は、あの薬師見習いの冒険者さんや、ラディアさんと出会えたことが大きかったんだと思う。もしかしたらだけど……一歩間違えていたら僕もアナグニエ副学長と同じように、ナクトル達への復讐心に燃えて似たような境遇に陥っていたのかもしれない。


 それにしても、『エリクシール』が市場に出回り始めたのは、僕が産まれるよりも前のことだ。もう二十年以上も前から、こんな事をしているんだ。生半可な気持ちで、ここまでの事をしでかすとは思えない。


 アナグニエ副学長の身に、何があったんだろう……。

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