第31話 僕は敗者じゃない!?
僕はハッとして、現実に戻った。なんだか、懐かしい出来事を思い出していた。でもたぶん、時間はほとんど経ってない。その証拠に、目の前のアナグニエ副学長は変わらず天井付近で僕らを見下ろしていたままだ。
すごく懐かしい記憶だった。あの頃はただ変だなって思ってただけなんだけど、今なら分かる。冒険者のお兄さんが名乗ってた『エリクス』は、偽名なんだよなぁ。だって、エリクスはずっと昔の人なんだから……ん、エリクス? そうだ、『エリクシール』!
僕は気がついて、ラディアさんのリュックサックに手を入れる。『エリクシール』はすぐに見つかった。そういえば、ラディアさんは念の為『エリクシール』を持ち歩いてるって言ってた。さっきもリュックサックを見せてもらった時に、『エリクシール』があったのを確認したんだ。
僕は『エリクシール』を手に取り、じっと見つめた。これを使えば、ラディアさんの傷は回復できる。そうすれば、反撃の糸口も出てくるだろう。けれど……
「フフフ……次の一手は『エリクシール』か。それでラディアを回復させるつもりかね?」
アナグニエ副学長が言った。
アナグニエ副学長は、僕を止めようとしてこない。……きっと、アナグニエ副学長は試しているんだ。僕が、『エリクシール』をそう簡単に使えないことを分かっているから。
こんなピンチな状況だ。今までの感覚だったら、ためらいなく『エリクシール』をラディアさんに飲ませるだろう。しかし、僕はもう知ってしまったんだ。『エリクシール』が、回復と引き換えに寿命を縮めてしまう薬であることを。
今の僕がラディアさんに『エリクシール』を使うということは、ラディアさんの寿命をあえて縮めるということだ。この状況を打開できたとしても、ラディアさんはその結果を受け入れてくれるだろうか……。
「フフフ……そうだ、ハルガード。君はもう『エリクシール』がどういう物かを十分に理解している。それを使うということは、我々と同じく冒険者を殺すため、冒険者に手を下すことと等しいのだ」
アナグニエ副学長は呪詛のように呟いた。アナグニエ副学長の言葉が僕に重くのしかかる。
……そうなんだ。僕は、この薬が冒険者を殺すために作られたことを知ってしまったんだ。もう、純粋に命を救うためだと思って使えない。
「卒業式の日に、私は君が泣いているのを見ていたのだよ。ナクトルやニルバ、そしてレグサにも冷たくあしらわれていたな。君にも、彼らを恨む気持ちがあるはずだ。『エリクシール』はそんな彼らを殺すためにある。全ての憎き冒険者を殺すためにあるのだ。さあ、ハルガード。君の選択を見せたまえ。その殺人剤をどうするのか」
アナグニエ副学長がたたみかけるように、言葉を浴びせてきた。たしかに、僕はナクトル達をひどい奴らだと思った。もし、ここで僕が『エリクシール』を使わず、僕らが負けてしまえば……今の現実はずっと変わらない。きっと、ナクトル達も『エリクシール』によってすぐに死んでしまうだろう。それはそれで、アリなんだろうか。憎きナクトル達はみんな『エリクシール』でざまぁされて、僕達も闇に葬られて、問題は揉み消されて平和に戻る。……そうだよ、歪ではあったけれど、もともと世の中は平和だったんだ。
それを僕が【薬識】で掻き乱したせいで、こんな事になってるんだから。僕が居なくなれば、全部解決するんじゃないか……。
「……そんなわけ、ないだろう!」
僕は叫んだ。
「そもそも僕はそんな気持ちで彼らを見てたんじゃない! 僕は、ナクトル達を恨んじゃいない!」
僕は叫び、『エリクシール』の封を解いた。そして、ラディアさんの肩を抱き寄せる。
「僕は、皆を助けるために冒険者になるんだ! ナクトルもニルバも、レグサも! そして、ラディアさんも!」
アナグニエ副学長の言葉なんかに惑わされちゃダメだ。僕の推測が正しければ、これが最善手のはず。僕はそう信じて、ラディアさんの口に『エリクシール』をそっと流し込んだ。
「んくっ……んくっ……」
ラディアさんは、『エリクシール』を飲み込んでいく。『エリクシール』を無事に飲みほしたラディアさんは、ゆっくりと目をあけた。
「ハルガード、君……」
「ラディアさん、よかった……」
僕はラディアさんの様子を見て安堵した。どんな傷もたちまちに治してしまう『エリクシール』の回復力は、やっぱり凄い。
つかの間の安心を得て、僕はアナグニエ副学長を睨みつける。
「アナグニエ副学長! 僕は、あなたに負けません! 僕は『エリクシール』の作用機序に気が付きました。この一手で、形勢は逆転します!」
僕はアナグニエ副学長に言い放った。
「ふむ。『エリクシール』は身体に溜め込まれている様々なエネルギーをかき集めることで、驚異的な回復力を生み出す薬だ。人間が本来持つ再生能力を極限まで高め、あらゆる損傷部位の再生を速める。その代償として、もとある無事な身体の一部を消耗させる。それが、『エリクシール』の作用機序だが……」
アナグニエ副学長の解説は、僕が考えた通りだ。『エリクシール』を研究してきたアナグニエ副学長が言うのだから、間違いない。これに僕は、勝機を見出した。
「そうです。だから……」
僕の言葉を遮るように、ザンッ!という音をたてて白蛇の尾が宙を舞った。
「なにっ!?」
アナグニエ副学長は何事かと、輪切りされた尻尾の方を向く。
そこには、虹色のオーラを纏うラディアさんの姿があった。
「ばかな……エインガナの肉体を切断するなど、低レベル冒険者にできるわけが無い!」
アナグニエ副学長は、驚きを隠せずに言った。
「ハルガード君、『エリクシール』を使ってくれて、ありがとうございます。私、いま凄く力が漲ってます!」
ラディアさんは僕にお礼を言った。そして、ラディアさんは闘気をたぎらせた瞳をアナグニエ副学長に向ける。僕はラディアさんの様子を見て、確信を得た。
「ラディアさんの【加速する熱意】は、戦闘時間によってステータスが上昇するんだ。いま、『エリクシール』によってラディアさんの回復速度が急激に高められた。それはつまり、ラディアさんの身体の時間を急速に早めたことになる。これによって、ラディアさんの【加速する熱意】の効果は、一気に段階を駆け上がったんだ!」
僕は拳を握り、アナグニエ副学長に言った。
僕は何度かラディアさんと共闘して、ラディアさんの固有スキル効果を把握していた。ラディアさんはしばらく一緒に戦うパートナーだ。ラディアさんからも詳しいことを教えてもらっていた。
ラディアさんが言うには、ステータス上昇は十段階あるらしい。最終段階まで上がれば、ステータスは五倍ほどに跳ね上がるというのだから驚きだ。
たぶん、最終段階まで駆け上がった今のラディアさんは、レベル60相当の力がある。もはや、百戦錬磨の冒険者に匹敵する能力値だ。
ここから、ラディアさんのターンが始まった。ラディアさんの斬撃がアナグニエ副学長の蛇腹を切りつける。アナグニエ副学長の上半身を乗せた頭部が身悶えして揺れた。
アナグニエ副学長はエインガナの首を引いて後方へ逃げる。ラディアさんは、大蛇と化したアナグニエ副学長の身体を伝い、その頭部へ向かって駆け出した。
「はぁぁぁあああああっ!」
ラディアさんが雄叫びをあげた。ラディアさんの渾身の一撃がエインガナの首を切り落とすべく、ついに大蛇の首をとらえる。
――――パキィッ!
斬撃音じゃ無い。確実に鎌首を切断せんと振り下ろされたラディアさんの剣は、硬質な音をたてて砕けてしまった。
「……ここまでやるとは大したものだ。だが、『エインガナ』には、ひとつ能力があるのだよ」
アナグニエ副学長は言って、不敵に笑った。僕らは、アナグニエ副学長を乗せたエインガナの首を見る。あれは、蛇の鱗じゃない。まるで、首だけ違う生き物になったような……?
「『エインガナ』は、変身能力を持っているのだ。咄嗟ではあったが、首をドラゴンのそれへと変身させた。そんななまくらでは、ドラゴンの鱗を傷つける事などできん。残念だったな」
アナグニエ副学長は言った。まさか、まだ奥の手を用意していたなんて。くそ、倒したと思ったのに!
「ハルガード君、まだ負けたわけじゃありません。諦めちゃダメです」
ラディアさんが僕の隣に着地すると、激励の言葉をかけてくれた。
僕らのいる場所に、アナグニエ副学長の反撃が飛んでくる。それに対し、ラディアさんは飛び上がって回し蹴りを放った。振り落とされる白い胴体は、ラディアさんの回し蹴りによって弾き飛ばされた。すごい、素手でも十分に渡り合ってる。
とはいえ、相手は軟体生物だ。素手では決定打を与えられないようだった。
ラディアさんのパワーアップにより、不利だった形勢は拮抗するまでに戻った。その状態で、しばらく互いの攻防が続いた。
エインガナの攻撃自体は、その長い胴体や尻尾を振り回すくらいしかない。手数が少ないからか、大体はアナグニエ副学長が急所である頭部への一撃を避け続ける形だった。たまにアナグニエ副学長から反撃が飛んでくるけれど、ラディアさんは蹴りや拳でそれら全てを叩き落としている。このまま粘れば、アナグニエ副学長の変身が解けるだろうか……?
そのまましばらくやり合っていると、アナグニエ副学長は【創薬】で『M・E・D』を作り出した。やはり、アナグニエ副学長は予備をストックしていたようだ。
ラディアさんの攻撃を避けながら、アナグニエ副学長が薬を飲み干す。まだしばらくアナグニエ副学長の変身が解けることは無さそうだな……。
一方で、ラディアさんの息が荒くなってきている。逃げ続けるならともかく、戦い続けの持久戦は不利かもしれない。どうにかして、この拮抗した戦局を変えなければ……いずれラディアさんの方が疲弊して負けてしまう。何か良い方法は無いだろうか。
剣でアナグニエ副学長に傷を与えられたからと言って、僕の剣をラディアさんに渡しても駄目だろう。こちらの手の内を知ったアナグニエ副学長のことだ。今度は全身をドラゴンにだって変えてきそうだ。そうなれば、もう傷ひとつ付けられなくなってしまう。
くそ、あとちょっとなのに……
僕は、次の一手を考える。これだけじゃ、まだアナグニエ副学長を倒せない。正面からぶつかるだけじゃ、駄目なんだ。僕の手持ちで、何か他に手はあるだろうか……?
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