黒い翼

晴れ時々雨

🌑

黒い蓮の花の刺青の入った女の美しさに見蕩れた。腰から腹にかけて複雑に施された皮膚の芸術に縄がかかり、更に繊細に絵柄を浮き立たせている。

とある催しを訪れ、私の視線に気づいた男は言った。

「おまえには相応しくない」

男は私が身を飾ったり傷つけることを嫌う。自分の手に掛けない女のことには賛辞を述べるのに私には口紅しか許さない。朱色がかった真紅の口紅の芯を私に押し当て、私の唇を作るのが男の仕事だった。

猛烈に刺青が入れたくなった。

初めて突き上げる激情に身を委ねたくなった。私は他人にすべてを委ねる種類の人間だが、今は自分の意志で刺青を入れたいと思ったのだ。

これはどういうことだろう。

種類は変化していくものなのだろうか。私の属性は彼がいてこその区別なのだろうか。自分の属性に気づいたときはすっかり彼の言いなりで、まさかこれに疑いを持つようになる日が来るとは想像もしていなかった。

体のどこに彫ったとしても彼を騙し遂せるとは思えない。彼はきっと私が知る以上に私の体を知っている。

彼は私を縛り上げるのが上手かった。初めは痛みで朦朧としたが今ではもう、彼が縄を手にした途端に肌が疼く。疼きは皮膚を通して血流に乗り、全身に痺れをもたらす。けれど彼は湿気を嫌うので、感覚に溺れることを脳で遮断し、限界まで人形になりきる。

私の皮膚と関節は柔軟に彼の要求に応じた。縄の痕が残りにくい私の体は彼の気に入るところとなった。罰を受けたことはない。私に傷をつけまいと徹底していた。

同じ趣向を持つものが集まる倶楽部では、その中でも仔細に分類される趣味を持つ人たちがいて、それは人数と同じ数だけ枝分かれしているので、一つ一つを理解するなど到底無理な話だった。

複雑な欲求を満たすための下準備と道具。貧しい者には真似できない、持つ者だけが耽溺するめくるめく快楽と執念が蔓延る世界。


刺青を入れたい。

小さな火種は消えることなく、初めて沸き起こる情念を糧に、静かに青く燃え広がった。


数日微熱が続き彼に会うのを控えなければならなかった。彼は電話口で不審がった。私の体調をも管理している彼からすれば当然のことだ。しかしそれからの私は毎日のように冷水を浴び続けた。この機を逃す手はない。

微熱から3日目、とうとう指に刺青を彫った。左薬指に小さな一羽のシギ。この図案は彫り師を悩ませはしたもののいい出来だった。2日かけて生まれたシギを手を開いたり閉じたりして眺め、悦に浸る。

それからすぐ、熱は下がらないままだが彼に連絡を取った。

電話を切った1時間後、彼は慌ただしく部屋にやってきて顔を見るなり脱げと言った。予定外に会えないことがあるとこうしてまず私の体に変化がないか調べる。今回は体ではないが私は大人しく言うことに従い、無造作に手早く下半身の服を脱いだ。薬指の傷がまだ安定していないので少し痛み、手がもたつく。彼は指に巻かれた絆創膏を目敏くみつけ、手を捻じあげて言った。

「これは何だ」

いつになく厳しい口調で、彼の語気に動揺が現れていたのでたまらず下半身の力が抜けてしまった。

彼に握られた痛みとそれによる傷の鬱血で声を洩らす。力をこめた彼の爪が白い。それを見ると体の奥からさざ波のように何かがせり上がり、鳥肌が全身を覆った。上半身に残るシャツの布が触れるのが痛いくらいに。強い刺激によって引き出される弱い刺激が底からしぶとく泡立つ。鋭敏になった乳首が奴隷頭のように頭を擡げ、それが擦れるたび喘いだ。

彼は私に怒っている。意に反した心掛けに腹を立てている。それが縄の責めより遥かに私を興奮させた。

まだ彼の行為の最中ではないので、私の恥壁は野放図に氾濫を起こし、そのまま飽和した液体が足を伝った。

「売女が」

そう吐き捨てながら絆創膏を毟りとる。

暫く指のシギを凝視して彼はため息をついた。

「趣味は悪くない。結構な代物だ」

言いながらシギを眺め尽くす。こうされるのは、出会った頃のことを彷彿とさせる。あの頃よくこんなふうに私の体を隅々まで吟味した。彼の視線は昔と何一つ変わらない。それが嬉しいと同時に悲しかった。

ふと彼が離れ、手にナイフを持って戻った。キッチンにある肉切り用の洋包丁だった。

彼は固定するように私の上に乗り、

「動くなよ」

と言って他の指を曲げさせ薬指に刃を押し当てた。

視界が真っ黒になる。暗転した景色の中、一瞬で沸騰した血液が身体中を駆け巡って出口を探し、たどり着いた穴から噴き出る。その勢いが強すぎて傷口が裂けた気がした。

彼は覆い被さり、その時初めて私の女を穿いた。

私たちは官能を共有した。千切れるほどの快感だった。腰の動きが止まり彼は暫く中で震え、自分を抜き、素早く身支度を整えると去っていった。

病院に行かなければ。激しい疼痛を堪えながら電話を取ろうと手を伸ばすと、左手に私の脱いだ服が巻き付けてあり、ぐっしょりと血を吸っていた。

シギはどこを探しても見つからない。




シギ(鴫)……旅鳥。繁殖も越冬もせず、その地点を通過するだけの鳥のこと。日本には春と秋、南北への移動途中に羽を休ませるために立ち寄る。

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黒い翼 晴れ時々雨 @rio11ruiagent

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