第3話
「夢がどうかしたの?」
私の小さな呟きを拾ったのか、誰かが背後からそう問いかけてくる。
急に掛けられたその言葉に、私はしまったと表情を大きく歪める。こういう想いはなるべくなら他人に聞かれたいものではない。悩み事なんてものはどんな些細なことでもその人間の弱点、弱みの様なものになり得るのだ。それを他人に握られたとあっては、おちおちゆっくり眠ることすらできない。
膨れ上がって漏れ出していた不安の心に、いつもの様に一旦蓋をしてにっこりと笑って誤魔化そうと、私はゆっくりと振り向く。
「別に。ただ、夢があるっていいなぁって!?」
なんの気なしに振り向いた先にあった、予想打にしない驚きに、私は思わずガタッと大きな音をたてて椅子から立ち上がる。
だって、振り向いた先にいたのはクラスメイトでも、他のクラスの生徒でも、ましてやこの学校の教師でもない。というより生きている人間ですらなかったのだから。
「ヤッホー!さっきはどうも」
お気楽で、なんとも能天気な声を掛けてきたその人物は学校に来る途中の交差点で出会った、あの厄介な女性の幽霊だった。
「ちょっ!なんでついてきてるんですか!?」
いきなりのドッキリイベントに、私は思わず大きな声でそう問いかけてしまう。しかし、問いかけた後になってようやく私は気づいた。クラスがシーンとしていることに。私はハッとした表情で口を塞ぎ、ゆっくりと周囲を見渡すもそれは既に手遅れだった。視界に映り込む光景にやってしまったと私は冷たい汗をだらだらとかく。
今、クラスのみんなは参考書や他の友達に向けていた視線を、突然大声を上げた私へと向けている。無理もない。彼等からすれば、突然私が誰もいない空間に向けて怒鳴り出したように見えるのだから。視線を集めるのはある意味当然といえる。
「ユッ、ユッキー?どうしたの?」
クラスメイトの奇異の視線に晒されて、背中にびっしりと冷や汗をかく私を見て心配そうに由莉奈が声をかけてくれる。
「あ、あははは、なんでもない、なんでもないの。ちょっと嫌なことを思い出しちゃっただけで、その、大声出してごめんなさい」
なんとか誤魔化そうと、引き攣った笑みを浮かべながら、私はみんなに向けて懸命に謝罪する。今回は完全に私の失敗だ。最近は周りに人がいる時に、彼女のような存在に会うことがなかったから、完全に油断していた。
(最悪っ、こういうことがないように気をつけていたのに)
私の脳裏に嘗ての懐かしくもとても嫌の光景が過ぎっていく。ヒトという生き物はどんな些細な違いでもそれが大衆と違うのであれば、区別し、否定する残酷な生物だ。見えないものが見えてしまう、たったそれだけのことで私はいつも区別され、否定されてきた。
私がどれだけ見えると言っても、そこにいると言っても、見えない人にはわからない。だから彼等は見えると言い張る私をこう呼んだ。
『嘘つき』と。
「そうなの?何か力になれることがあったら言ってね」
「う、うん、ありがとう。でも大丈夫だから、ありがとうね」
私はもう二度とそう呼ばれたくなかった。だから私は私が『嘘つき』と呼ばれないために今日も誰かに嘘をつくのだ。
私が嫌なことと言ったのを由莉奈は真に受けてしまったようで、随分と心配そうな瞳で私を見つめている。
(のぉぉ〜そんな目で見ないでよ)
100%嘘というわけでもないのだが、80%は嘘なのでそんな純粋無垢な瞳で見つめられると妙な罪悪感を覚えてしまう。
「ちょっと、嫌なことって何よ」
(あんた以外に一体何が当てはまるっていうわけ!?)
私の後ろで腰に手を当てて全く悪気がなさそうな様子で、不満気にそう言ってくることの元凶が、私は腹立たしくて仕方がない。
誰のせいでこんな下手な言い訳をするハメになったと思っているのだろうか。百歩譲ってこれでみんなが騙されてくれたとしても、私が1人で勝手に怒り出したヤバい奴という印象は拭きれない。それはつまり、私がクラスメイトから変な人認定を受ける事は、なにも変わらないということだ。
(せっかく中学は無難に乗り切れると思ったのに!最後の最後でコイツ〜!!どうしてくれようか〜!!)
由莉奈に向けて引き攣った笑みを浮かべながらも、私の内心は背後に立っている女性幽霊への呪詛でいっぱいだった。
そうやって懸命に私が誤魔化していると休憩時間の終わりを示すチャイムが校内に鳴り響き、それと同時に先生が教室に入ってきた。楽しくお喋りに興じていたクラスのみんなもそれに合わせて慌ただしく自らの席へと戻っていく。
私もこれ幸いとばかりに席につき、鞄の中から教材を取り出していく。
「私のお願い、聞いてくれる気になった?」
授業が始まって暫く、相も変わらず私の席の後ろに立っている女性幽霊の言葉に私は溜息をつきたくなる。どうして私の背後にだけ常に人が立っているのだろうか。1人で授業参観を受けているような気分だ。もっとも、背後の幽霊は家族、親族は勿論、知り合いですらない訳だけど。
本来なら「ならないわよ!」と、声を大にして言いたいところだがあいにくと今は授業中だ。こんな時に大声を出せば先程の二の舞いになる、どころか更にヤバいやつ印象を与えることになるだろう。それはなんとしても避けたい。
この状況でで私が取れる戦術など既に限られている。その答えは……
「…………」
『無視』である。
これはその別名を『シカト』とともいい。日常では気に入らない者や嫌いな人、あるいはどうでもいい人に対して多用される究極奥義の一つ。やることこそ相手の言動に一切の反応を示さないだけと、非常に単純ではあるが、その効果は絶大!これをやられて喋り続けることなどほぼ不可能と言っていい。現に私は、これをくらってから暫くクラスメイトは愚か家族ですら話しかけるのが怖くなった。
「ねぇ、ちょっと返事くらいしてくれたっていいじゃない?」
(誰が返事なんかするか!どうだ、これが無視の威力!首を垂れて跪けっ!!)
そもそもこのしんみりとした静かな授業の中で会話なんてできるわけがない。声なんてだそうものなら目立ってしまうし、周囲からは1人ごとを喋っているようにしか見えない。授業中にボソボソと1人で喋ってる奴なんて「えーあの子1人で何喋ってんの、気持ち悪っ」とかなるに決まってる。ただでさえ私は先程の件で変人認定を受けてしまったばかり、これ以上の悪目立ちは私の平穏な中学生生活を終わらせかねない。
(絶対に返事なんかしてやるものかっ!永遠に1人で喋ってろ!!)
〜15分後〜
「それでね、私の婚約者ったら—」
(確かに思ったよ、思ったけどさ。……本当に永遠に喋るやつがあるかー!?)
この幽霊、私の究極奥義、『無視』が全くもって通用しない。先程から既に15分以上、女性幽霊は延々と1人で自らの婚約者の話を喋り続けている。しかも私の背後から私の右横へと微妙にポジションチェンジまでしている。おかげで先生の声ではなく、女性幽霊の声の方が耳にダイレクトに入ってくるので、既に私は授業どころではなくなっている。
(もううるさいよ!いつまで喋ってるわけっ!?)
そこで私はふと気付いてしまった。これは既に彼女のお願い事の話でも授業中の楽しいお喋りなどでもなく、完全なる授業妨害にすら当たる。私の真横に移動し、私の表情を確認するかのようにずっと私の顔を見続けるこの動きは……
(これ完全に対抗措置だー!!!)
『無視』という技は、一見すれば完全無欠の究極奥義のように見えなくもない。だがそれは間違いである。この技はとある行為を行えば報復措置のようなものが可能な技なのだ。その行為の名は『喋り続ける』だ。
言葉だけ聞けば喋るだけと、非常に簡単のように思えるが、その実この行為は究極的難易度を誇る。『無視』をし続ける相手に喋り続ける行為というのは、常人からすれば難しいどころではない。ヒトという生き物は相手の反応を気にして生きる生物だ。自分の言動による反応を逐一確認し、その反応を糧にして次の原動力とする生き物なのだ。ところが『無視』をされてしまうと、この反応が見れない。何しろ何を言っても無反応なのが『無視』なのだから。そうなれば当然次の行動への原動力が得られない。だからこそ普通はそこで諦めてしまうのだ。
ところが稀にこの諦めをせず永遠と喋り掛けてくる恐ろしい例外がいる。外部からの原動力を必要とせず、内部に半永久機関でも持っているんですか?と問いたくなるほど、永遠と喋り続けるこの行為の前に、『無視』という奥義は脆くも崩れ去る。「もう分かったから静かにして!」となるのだ。この技の前に、数多くの黙り系キャラ達が籠絡されていった。そしてどうやら私もその例に漏れないようだ。
私のHPは既にイエローゲージを超えレッドラインに到達していた。かつてこれほどまでに、先生の話が聞きたいなどと思ったことが一度でもあっただろうか。それほどまでに私は今普通に授業を受けたいと思っていた。授業中にやたらと話しかけてくる友人に「ごめん、今、授業に集中したいから」と言って、話やその後の関係性なども諸々含めて全て切ってしまいたくなるほど、今の私は授業を渇望している。
そもそも勘違いしていたのだ。真横にいるのは幽霊。普通の人からは存在を認知されることのない謎の存在。言ってしまえば、彼ら幽霊は常に無視されているようなものなのだ。私達生者とは『無視』に対する耐久性が違う。初めから私に勝ち目はなかったのだ。
「もうちょっー可愛くてさ、たまんないんだよねー」
尚も私の隣でにっこりと笑いながら、嘗ての楽しい記憶を語る女性幽霊の様子に、私はそっと息を吐いて降参の白旗をあげるのだった。
私は開いているノートにペンを走らせて「後で聞くから今は静かにしてて」と大きく書き記した。それを見た幽霊女性はフッと勝ち誇ったような笑みを浮かべると、ようやく長い間開いていたその口を閉じた。なんか悔しい……。
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