第2話


 いつからだろうか?

 私が見る人の中に、生者以外のものが混ざるようになったのは。


 最初からなのか、あるいは途中からなのか。正確なところは私にも分からない。はっきりとしているのは、私が見る人の中に、他の生者には見えない人がいることだ。


「おーい」


 彼等彼女達が一体なんなのか、その正体は分からない。どういう理屈で見えるのか、どういう理由でそこにいるのか、私には全く分からないが、便宜上私は彼等をこの世に未練を残した死者、つまり幽霊だと思っている。


「おーい、聞こえてんでしょう?」


 公園にいたお兄さん然り、今私に必死話しかける謎のお姉さん然り。


 私がお兄さんと公園で別れてから暫く。学校への道を順調に歩いている途中、車通りの多い交差点で、道路のど真ん中に突っ立っていた彼女とうっかり目があってしまったのが運の尽き。


「ねぇ!返事してよぉー」


(しつこい)


 こうしてかれこれ5分以上、ずっと私の後を追いかけて話しかけてきているのだ。


「……なんなんですか?私、学校行かないと行けないんですけど」

「やっぱり聞こえてんじゃん!なんで見えない振りなんてするかなぁ」


(この言い方、やっぱり幽霊だったわけね)


 人と霊の区別は見た目ではあまり判別しにくい。彼等は別に透けているわけでも宙に浮いているわけでも青白い光を放っているわけでもないからだ。生者と対して変わりはしない。強いてあげれば彼女のような幽霊からはほんの少し変な違和感のようなものを感じる程度だ。


「なんでって言われても。一人で喋ってたら変に見られるからに決まってるじゃないですか」

「誰に変に見られるのよ?今この通り歩いてるの貴方一人だけなのに」


 呆気カランとした様子で彼女にそう言うわれて、ぐるりと通りを見渡してみると確かに誰もいない。


(ああ、しまった)


 適当な言い訳を使ったのだが、どうにも間が悪かったようだ。


「……めんどくさい」

「ああ!今の絶対本音でしょ!?めんどくさがって返事しなかったわね!」


 ボソッと思わず呟いてしまった私の言葉を、鋭く拾い上げてきた彼女がヒステリックな姑のようにツッコミを入れてくる。

 どうにも彼女は感情表現の豊かなタイプの幽霊のようだ。経験上、この手の幽霊は目的を果たすまでひたすらにしつこく追い掛けてくる。流石に学校までついてこられて、耳元で煩く騒がれてもたまらない。


(めんどくさいけど、話を聞いてあげないと駄目そうだなぁ)


「はぁー。で、何の用ですか?」


 早々にこの幽霊の用事を聞いてしまおうと、彼女の追求を無視して私は幽霊の話を聞くことにした。


 この世界に存在する幽霊は大まかに2種類のタイプに分別出来る。

 一つは公園のお兄さんのように目的があってこの世界に留まり続けている霊。もう一つは何の目的もなくただ彷徨うようにこの世界を渡り歩く霊。


 こうして、積極的に話しかけてくるのは前者のタイプが多い。それも自分では解決出来ないから、手伝ってくれないか的なことを軽ーく、そしてしつこく言ってくる厄介なタイプだ。


「やっと聞いてくれる気になったのね!貴方に御願いしたいことがあるのよ!」


 (やっぱりね)


 こういうことになるから、普段は気持ち視線を下にして歩いているというのに。今日は余りにも暑いのでぼーっとして思わず目線を上げてしまったからこういう災難が起きる。


 誰だよ上を向いて歩こうって言った人。


「何ですか?いっときますけど私これから学校に行くところなので直ぐにはどうこう出来ませんよ」


 解決しないと彼女はしつこく御願いしてくることに間違いないだろうが、私にも都合というものがある。あまり振り回される訳にもいかない。


「あぁ神様!良かった!

あのね、私の婚約者に結婚するって伝えて欲しいの!」


(聞いちゃいないよ、この女。てかまた無理難題な御願いが来たよ)


「……婚約者って誰ですか?それからどうやって伝えるの?プラスで言うなら貴方は死んでるのに結婚出来るの?」


「……へ?」


 私は怒涛の勢いで思いついた疑問点を挙げてみたのだが、どうにも彼女の方で処理しきれなかったようで、私の言葉に彼女はポカーンと口を開けて、間抜け面を晒している。


 そもそも彼女の婚約者の顔すら知らない私が、それを伝えられる訳がないし、万が一彼女の婚約者と出会えたとして、見ず知らずの少女から突然「貴方の死んだ婚約者は貴方と結婚したがっていましたよ」なんて言われて、はいそうですか、なんてことには当然ならない。見えない人からすれば、そんなものはただの冷やかしにしかならない。死んだ人の想いを勝手に語って、生者を馬鹿にしているとしか捉えられないだろう。


 そしてそんな非道極まる行いへの対象方法など限られてくる。その場でビンタならまだいい方だ。最悪の場合は名誉毀損とかで訴えられる可能性すらあるのだ。


(こういう伝えてくれっていうのが、簡単なようで一番大変なんだよね)


「つまり、無理ってことです。諦めて成仏してください」


 この手の問題は解決するのが非常に困難だ。だから、諦めてもらうのが私にとって一番手っ取り早い解決方法になる。私はその場でぽけーっとしたまま固まっている幽霊女性を置いて、スタスタと歩いて学校へと道を急いだ。





 私が学校につくと、ちょうど対策授業の休憩時間だったようで、教室の中はざわざわとした喧騒に包まれていて、それぞれがグループになって会話をしていた。



「おはよ」


 私は教室の窓側一番後ろの席なので、入り口からは少し遠い。ドアを潜って席に着くまで、途中通り過ぎるクラスメイトの子達に「おはよー」と挨拶をしながら私は自分の席へと向かっていく。


「ユッキー、おはよう!」

「おはよう、由莉奈」


 私が席に着くと、前の席に座っている篠原由莉奈ちゃんが元気にそう挨拶をしてくれる。私もそれに合わせて元気良さげに見えるように挨拶を返す。


 彼女はこのクラス1の人気者で、将来はモデルですかって聞きたくなるほどの美少女だ。肩口までのミディアヘアに少しウェイブがかかり、それがもともと小顔で幼気な雰囲気を持つ彼女に少し大人っぽい雰囲気を与えていて、非常に可愛いらしい。


 ちなみにユッキーというのは私のニックネームだ。私の元々の名前が雪菜なのでそこからとったらしいけど、普通ニックネームって言いやすいようにつけるはずなのに、私の場合なんだか元の名前より長くなっているので少々不思議だ。


「髪型変えたんだね。とっても可愛いよ」

「ありがと!ほんの少しだけどね」


 ニッコリと笑う由莉奈の表情はとても快活で、元気に満ち溢れている。これが彼女の素晴らしいところだ。見ているだけで心が休まるような可愛らしい微笑みを浮かべ、周囲を元気にする。その上本人はとても純粋で誰にでも優しい、普段教室でぼっち気味の私にもこうして明るく声をかけてくれる。美少女でしかも気立てまで良いとなれば、クラスで人気ものになるのもある意味当然と言えるかもしれない。


 でも、だからこそ由莉奈の周りにはいつも人がいる。良くも悪くも。


「ちょっと秋月さん」


 少しきつめの口調で私に声をかけてきたのは黒髪ロングに黒縁の丸メガネをかけた、いかにも優等生といった感じの雰囲気の少女、高木翔子だ。


「高木さん、おはよう」

「おはようございます。ってそうじゃありません!どうしてこんなに遅れていらっしゃったんですか?」


 このようにノリツッコミが得意なこのクラスの素晴らしい委員長様でもある。


(そんなに遅くなったっけ?)


「こんなに」と彼女は言っていたが、今はまだ一限が終わったところのようだし、それほど遅れているわけではないと思うのだけど。


 委員長になった責任感からなのか、或いは彼女の元々の人柄からなのか、彼女はこの手の遅刻や風紀を乱す行為にはやたらと敏感だ。他にも宿題忘れの生徒や制服を着崩すような行為にも彼女はよく反応して突っかかっていく。


「今朝は……ちょっと用事があってね」

「今、妙な間がありましたけど、本当に用事があったんでしょうね?」


 ノリツッコミはとてもいいのだが、このように妙に鋭いところが玉に瑕だ。

 咄嗟に言い訳を考えたので確かに若干妙な間が空いてしまった。

 しかし、まさか人と話すのが面倒で公園で英気を養っていました、なんてそんな話(真実)を彼女に言えるはずもないので、致しかたなかったのだが……


(あー、もっと上手に嘘をつけるようになりたいなぁ)


 私が疑惑を深めている高木さんになんと返そうかと思い悩んでいると、


「まあまあ、翔子ちゃんもそんなに追求しなくても。用事があったんなら仕方ないよ」


 私達の会話を聞いていた由莉奈が私を庇うように会話に割って入ってくれる。


(ああ、素晴らしい)


 これが由莉奈のカバー能力。人が突かれたくないところを突かれている時に巧みにフォローしてくれる。これこそ私が彼女と仲良くしていたい最大の理由でもある。下衆な私をどうか許してほしい。


「……仕方ないですね」


 クラス一の人気者にそう言われては、さすがの委員長もこれ以上の追求は出来なかったようだ。彼女は由莉奈の方を見ると少し困った風に頬をかいて席に戻って行ってしまった。



「ありがとう、由莉奈」


 私は心の底から由莉奈に感謝の気持ちを伝えた。実際のところ幽霊に会いに公園に行くことを用事と言えるかは怪しいし、よしんばそれが用事に該当したとしても学校に遅れる理由にはなり得ないだろう。


 まあ、そもそも幽霊なんて誰も信じたりしないのだから、言うだけ無駄なんだけどね。


「うんうん、全然大丈夫だよ」


 由莉奈はにっこりと微笑んでそう言うと机の中からある教材を取り出した。真っ赤に染まったその本は、所謂赤本というやつで今や受験生必須のアイテムだ。私は持っていないけど……。

 彼女の目指す高校は私立の名門校で、そこに入学すればとある有名大学への推薦を得やすいのだそうだ。将来の目標とやらに向けて着実に歩みを進める彼女をみて、私は少し羨ましい気持ちになる。


 この時期、ほとんどの生徒はもう目指す高校なんて決まっている。

 念のために言っておくが私も一応受験する高校は決めている。けれど由莉奈のように目標があってそうするわけじゃない。ただ何となく自分のレベルに合いそうな無難な高校を選んでいるに過ぎない。


 だから彼女達のように目標を見つけて努力している人を見ると、焦燥感のような劣等感のような、なんとも表現しがたい気持ちになるのだ。


「……夢、かぁ」


 だからだろうか。私は気がつくとボソリと小さく呟いてしまっていた。

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