第3話 後輩がくれた理由

 フロントの人に渡された通り、503号室の部屋前に到着。

 カードキーを差し込み口に投入し、カチャリと施錠を解除する。

 ドアを開けて、入り口近くにあるカードキー差込口にカードキーを挿入して、部屋の明かりをつけた。


 中はいたって簡素で質素なビジネスホテル。

 シングルベッドが二つ、人一人分ほどの間を開けて並んでいて、手前側にユニットバスの配備されている部屋。

 ベッドの足元側にはカウンターがあり、上には湯沸しポットとティーパック式のお茶やコーヒー類が置かれており、小さなテレビも設置されていた。


「まあ、こんなもんですかねー。先輩どっち側がいいですか?」


 部屋を一通り見渡した西川はくるりと佐々木に向き直り、どちらのベッドがいいか尋ねてくる。


 しかし、佐々木はここにきて怖気づいていた。

 あまりにも密閉的な空間の狭さと、何といっても西川と同じ部屋で宿泊するという行為に対する背徳感を感じずにはいられない。


「西川。やっぱり俺は他の宿探すわ」

「ほえっ!?」


 佐々木はくるっと反転して西川に背を向けた。ポケットからスマホを取り出して、近くの宿を検索し始める。


「ちょっと待ってくださいよ先輩! もうお金払っちゃってるんですよ!?」

「最悪自腹でもいい。やっぱり、何もないにしても異性同士同じ部屋で泊まるのはまずい」

「だから先輩なら私は平気だって言ってます! 何も問題ないじゃないですか」

「いや、これは俺の気持ちの問題だ」

「へっ?」


 しまったと思い、佐々木は思わず口元を抑える。

 西川相手に、緊張でドキドキして胸の高まりが収まらないなんて、先輩として示しがつかない。


 視線を逸らして、黙りこくっていると、西川がふいに佐々木のスーツの裾をくいくいと掴んできた。


「私は……先輩と一緒に泊まりたいです」


 か細い声ながらも、はっきりとした口調で西川は言った。

 佐々木は唖然として目を瞬かせて振り返る。

 西川の目は真っ直ぐ佐々木を見据えて、意思のあるように訴えてきていた。

 しかし、自分の言ったことが恥ずかしくなったのか、ぷいっと顔を伏せる。


「に、西川・・・・・・今のは・・・・・・」

「私、初めて泊りの出張で緊張してるんです。だから、先輩に傍にいてくれると心強いんです。それじゃあ、ダメですか?」


 佐々木の袖から手を離して、チラと顔を上げ潤んだ瞳で見つめてくる西川。

 彼女はいきなり出張に連れてこられ、見知らぬ土地で一人緊張しながら一夜を過ごすことになる。となれば、西川の心の支えになれる存在は、目の前にいる佐々木しかいない。西川はそれほどに、佐々木のことを信頼してくれている。

 これで、佐々木は西川に不安で傍にいて欲しいという正当な理由を付けてもらったのだ。

 彼女の信頼を裏切ることは、佐々木にはできない。

 佐々木は、はぁっと大きくため息一つついてから、頭を掻く。


「わかったよ。一緒に泊まってやる」

「……ありがとうございます」


 お礼を述べる西川の表情は、明かりに照らされてほんのりと赤みを帯びているような気がした。



 ◇



 腹を括ったまでは良かったが、そこからは災難続きの連続だった。


 一緒に外で夕食を済ませて、酒やつまみをコンビニで見繕い部屋に戻った後、テレビをつけてベッドに寝転がりながら缶ビールを煽る佐々木。


「せんぱーい。先シャワー入りますか?」

「んー? このテレビ見てるから先いいぞー」

「はーい」


 見ていた番組の放送が終わり、リモコンでチャンネルを変えるものの、あまりいい番組をやっていなかったのでテレビを消すと、壁越しからシャワー音が聞こえてきた。

 意識しないようにしていたのに、テレビの音が消え、一気に意識が壁越しでシャワーを浴びている西川の方へと向いてしまう。


 出張先のホテルで、後輩の女の子と一緒の部屋に泊まってるんだよな……。

 そこでふと酔いが覚め、改めて冷静になる。


 ホント、何やってるんだろう。

 佐々木が自暴自棄に陥っていると、扉が開いてバスタオルで髪を乾かしながら西川が出てきた。


「お先でーす」


 お風呂上り特有の女の子の匂いとシャンプーの香りが鼻腔をくすぐり、思わずどきりとしてしまう。

 さらに言えば、西川の濡れた髪や火照った顔も見るのが新鮮で思わず見惚れてしまいそうになる。


「先輩、どうしたんですか?」


 どうやら、西川の姿をじっと見つめてしまっていたらしく、佐々木は何でもないと首を振り視線を逸らす。


「お、俺もシャワー浴びてくるわ」

「は、はい」


 佐々木は逃げるようにして、ユニットバスへと駆け込んだ。



 シャワーを浴びたら、酔いは完全に冷めた。

 ユニットバスの中に残る、ほのかに香る西川の香り。

 それを感じるだけで、ここで西川がシャワーを浴びていた姿を妄想してしまう。


 って、何やってんだ、相手は会社の後輩だぞ!

 西川に信頼してもらっているのに、こんなことを考えてしまうのは失礼だ。

 シャキっとするために佐々木は顔をペチペチと叩く。


「よしっ」


 意を決してシャワーを止めてバスタオルで体を拭き、寝間着を着る。

 バスルームの扉を開けて寝室へ戻ると、西川は椅子に座ってスキンケアをしていた。

 佐々木は見てみぬふりをして、バスタオルで頭を拭きながら自分のベッドに座りこむ。


 お互いに動きを止めていないものの、沈黙が続いて少し気まずい雰囲気が漂う。


「そう言えば、明日って何時でしたっけ?」


 その沈黙を破るようにして、西川が尋ねてきた。


「えっと、9時過ぎに着いてなきゃいけないから、大体8時にホテルを出れば間に合うと思う」

「そうですか……なら、そろそろ寝る支度した方がいいですね」


 ふとベッドの間にある時計を見ると、夜の11時を回っていた。


「そうだな。歯磨くか」


 西川に言うでもなく、一人ごとのように言ってベッドから立ち上がり、バスルームへ向かう。


 お互いに歯磨きを済ませて、佐々木は一足先にベッドへ入って寝転がる。

 しばらくして、西川も寝る支度が出来たのか、隣のベッドに横たわった。


「電気消していいですか」

「ああ、頼む」



 西川が明かりを消して辺りが真っ暗になる。

 佐々木は西川と反対側を向いて眠りにつく。

 静寂な暗闇の中で、後ろからモゾモゾと絹擦れの音が聞こえる。


「先輩……起きてますか?」

「……なんだ?」


 狸寝入りしてもよかったのだけれど、声を上げてしまった。

 西川は数秒間沈黙を保った後、申し訳なそうな声で聞いてきた。


「先輩って今。彼女さんとかいたりします?」

「な、なんだよ唐突にそんなこと……」

「いや、もし彼女さんがいるなら、私のお願いで一緒に泊まってもらったの迷惑だったかなと思いまして」


 なんだ、そんなこと気にしてたのか。

 だが、西川の心配は無用だ。


「別に、彼女なんていない。だから気にしなくていい」

「そうですか……」


 西川は納得したように、安堵したような吐息を吐いた。


「先輩は・・・・・・いや、やっぱりなんでもないです」

「何、途中で止めるなよ。すげー気になるじゃねーか」


 佐々木は寝がえりを打ち、思わず西川の方を向いてしまう。

 西川は既に佐々木の方を向いていて、暗闇の中で微かに見える西川の顔。

 視線が交わり、無言で見つめ合う。

 しばらくして、西川がふっと破顔して目を閉じた。


「やっぱりなんでもないでーす。おやすみなさい、せんぱーい」


 嬉しそうに微笑み、西川は寝がえりを打って逆側を向いてしまう。


「おう、おやすみ・・・・・・」


 佐々木は一息吐いてから、再び寝返りを打って眠りについた。


 結局この後、西川が何を言おうとしていたのか、悶々と考える羽目になってしまい、佐々木が寝不足だったのは言うまでもない。

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