第5話 移動の移動

 紗凪さな翠雨すいうと別れて水族館を後にした、美兎みう火坑かきょうは。


 場所を移動すると、火坑に言われてまた電車に乗ろうとしたのだが。



「電車でゆったり、少々急ぎ目でバスも使ったりとありますが」

「急ぐ場所なんですか?」

「ええ。ひょっとしたら、いい品がなくなるかもしれませんのっで」

「? 食材ですか?」

「いいえ。食材ではありません」



 なら、少々急ぎ目で向かいましょう。と、火坑に強く手を握られてから電車に急いだ。


 金山に戻り、わざわざ名古屋駅に向かい。そこからあおなみ線という滅多に乗り換えない路線に乗った時、美兎はひとつ思い出したことがある。同僚が作っていた、大型ポスターの内容を。



「クリマですね!」

「……クリマ?」

「あれ?! 違いました? えと、クリエイターズマーケットですけど」

「ああ、すみません。略称を存じていなかったもので」

「私もすみません。うっかり、いつもの調子で」



 クリエイターズマーケット。


 それは、つくるひと達の『発表の場でありたい』と言う想いからスタートした、クリエイターを応援するイベントである。


 ジャンルを問わず、多種多様なクリエイターが出店出来るイベントなので、一般客も気軽に訪れられるのである。夏と冬、各季節二日間行われるので、東京の俗に言うコミケとはまた違うとされているが。


 デザイナーであれ、クリエイターのひとりでもある美兎は少し憧れていたのだが。学生時代も、就活や卒論に明け暮れていたので無理。


 新卒の今年も無理だと思っていたのに、出来立ての彼氏様は本当に妖であれ、出来た存在である。



「ふふ。美兎さんはデザイナーでいらっしゃいますからね? きっと気に入るのではないかと」

「……火坑響也さんのお誕生日の日なのに、私が喜んでばかりです」

「いえいえ。美兎さんが喜んでいただけたのなら、僕も嬉しいです」

「……もぉ」



 本当に、出来過ぎた彼氏様でいらっしゃる。


 そんな、デート文句でもテンプレで王道な台詞でも様になるとは、美兎の心臓をキュンキュンさせるばかりだ。


 とにかく、金城ふ頭に到着したら徒歩でゆっくりと移動して。会場であるポートメッセなごやに着くまで、美兎と火坑は指を絡めて手を繋いでいたが。


 少し、紗凪が翠雨にしていたことを思い出したので、ひとこと断ってからぎゅっと彼の利腕に抱きついてみた。



「……おや」

「迷惑ですか?」

「いいえ。人混みの多い場所だと動きにくいでしょうが、今は大丈夫ですしね?」

「じゃ、マーケットに入ったら手でいいですか?」

「もちろん」



 猫の頭ではなく、人の顔ではあるが。笑い方はそっくりだったので、美兎の胸も自然と熱くなっていく。



「あ、チケット」



 が、すぐに大事なことを思い出したら、火坑にくすくすと笑われた。



「今日は、僕と美兎さんの大事なデートですよ? 前売り券は既に入手済みです」

「さすがです! けど、あんまり告知されていないのに」



 どちらかと言えば、通常のポスターよりもWebでの告知が多い昨今では。クリエイターにもよるが、広告での告知よりもWebで確認することが多い。


 妖でもある火坑なのに、と思うが。既にスマホなどを持ち歩いている時点で、現代社会に溶け込める要素はあるなと考えを改めた。


 楽庵らくあんに、わざわざビールサーバーを導入するくらいだから。充分今風であるし。


 その考えを読まれたのか、火坑にもまた、ふふと笑われた。



「ネットサーフィンはよくしますよ? SNSもごく一部ですが、料理人同士でやり取りをしますし」

「人間用ですか?」

「いえ、妖用です」

「妖でもあるんですか?」

「ふふ。妖には寿命の限りがありませんからね? にしきだけでなく、他府県の界隈でも妖の料理人は多数いますよ? その彼らから得る情報はまさに宝の山です」

「お店のお料理も、霊夢れむさん達から教わった以外のが?」

「ええ。近頃は、京都のおばんざいを参考にしています」

「京都!」



 古都。美しい風景、美味しいもの。


 メインは最後になってしまうくらい、食い意地が張るのは仕方がないが。もし小旅行などで彼と京都に旅行出来たらどんなにいいことか。


 その前に、まずは彼御用達の市場に行くことが先だが。



「ふふ。冬場はかなり冷え込むので、おすすめしにくいですが。春辺りに桜を見に行きませんか?」

「春の京都!?」



 桜満開の季節。


 古都の春。


 そして、やはり美味しいもの。


 けど、今の火坑が着物姿になったらきっと様になるだろう。美兎は、ちょっと舞妓さん体験も出来たら、と思ったところでやめた。きっと、絶対似合わない。



「ふふ。美兎さんのお着物姿、とか。見てみたいものです」



 なのに、この猫人は。美兎の頑な心を上手に溶かしてしまうのだから。



「に、似合いますかね?」

「ええ、きっと。いえ、絶対」

「……響也さんもお似合いだと思います」

「ふふ。僕の方は着物に少々慣れていますからね?」



 それか、予行演習で名古屋でもお着物デートしますか。


 と聞かれたものだから。


 美兎はあと少しで、会場に到着する手前で火坑に強く抱きついたのだった。

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