第2話 何も知らない


 あり得ない、と言う気持ちと。


 またか、と言う気持ちがないまぜになるしかない美兎みうであった。


 にしきの裏社会ならぬ、妖界隈にある小料理屋・楽庵らくあんへと、仕事も順調な週末の金曜日に訪れたのはいいのだが。


 店主の猫人・火坑かきょうの都合により、しばらく閉店休業の貼り紙がしてあったのだった。理由は言うまでもなく、今も店にうようよするように張り付いている小さな毛玉の集合体。ケサランパサラン達。


 先週の振替休日の時にもなっていたのだが、その日は火坑の元同僚らしい地獄の閻魔大王の第一補佐官である、亜条あじょうにより事なきを得たのに。


 それがまた元の木阿弥と言う感じで、店先にうろついてしまっているのだ。


 今日も界隈に来る際に、守護についてくれている座敷童子の真穂まほがついて来てくれたが。到着するなり、原因がさっぱりなのか首を捻っていた。



「先週より酷いね〜?」

「今日は……今日は火坑さんに会えると思って頑張ったのに……!」

「けど、休業のお知らせは変だね? ケサランパサランはまた戻って来てるし、亜条は多分帰ってるから」

「うん……。でも、火坑さん……いなさそうだよね?」



 今日もまた、差し入れ用の手土産を持ってきてしまっている。中身はショコラフィナンシェだが、ビターティストなのできっと火坑の口にも合うと思う。そう思って購入したのだが。これではまた以前の大神おおかみの貸し切り状態のように、自分達で食べるか常連仲間の美作みまさか辰也たつやと交換すべきか。


 その辰也とも、先週以来会ってもいないので今日会えるかはわからない。そもそも、連絡先をツインも交換していないのに仲間と言えるのかは怪しいが。



「ひとまず、火坑は解決策を得るのに出かけているだろうから。しばらく会えないと思うよ? 再開したら、真穂がまた知らせに来るから」

「うん……お願い」

「よぉ! 美兎の嬢ちゃん達じゃねぇか!」



 仕方ないから、真穂と自宅に帰ろうと立ち上がろうとしたら。恩人である夢喰いの宝来が、久しぶりに顔を見せてくれた。


 これは、と思い、美兎は近づいてくる彼に駆け寄り、小さな両手を掴んだ。



「宝来さん!」

「お、おう?」

「火坑さんについて、何かご存知じゃありませんか!?」

「……お、おぅ。知ってるぜぃ? 今日辺り嬢ちゃんが来るんじゃないかなーと、俺っちも来たわけだし」

「じゃあ!」

「美兎、落ち着いて。宝来は逃げもしないから」

「あ」

「まあ。年頃の嬢ちゃんに、手ぇ握られるのはちと恥ずかしいぜぃ」

「ご、ごめんなさい!」



 妖相手とは言え、なんて大胆な行動を。


 この前、火坑にもやってしまったし。どちらかと言えば、恥ずかしがり屋な美兎なのに。この界隈に関わってきてからは、色々と大胆な性格になってきているような。けれど、不思議と嫌じゃない。


 とりあえず、宝来の手を離してからもう一度謝った。



「はっはっは! 嬢ちゃんがそれほど、あの旦那を気に入っているとくれば。やーっぱり、想っているんだろぃ?」

「え」

「ま、美兎の恋心は全身で表現出来るくらいだもんね?」



 宝来にまで見透かされていたとは。


 いつ、いつだと恐る恐る聞けば、雨女一行が帰っていった日だと告げてきた。



「あん時の嬢ちゃんの顔つきは、ぜってぇ『恋する乙女』って感じだったぜぃ?」

「お、乙女って年頃……では」

「真穂達からしたら、美兎の年はまだまだ子供と変わんないよ? ねえ、宝来? 火坑はどこに行ったの?」

「へえ、真穂様。旦那は幽世あの世に向かわれました」

「あの世!?」

「落ち着いて、美兎。真穂とか火坑は妖だから、地獄とかを行き来するのは大丈夫よ」

「そ、そう……」



 てっきり、恐ろしい想像をしてしまったのだが、死んだわけじゃないのなら良かった。


 思わず、肺の空気循環が止まったくらいに息を止めてしまった。だが、無事だとわかったら大袈裟なくらいに深呼吸をした。



「おそらく、閻魔大王様の知恵をお借りに行かれたのでしょう。旦那は元獄卒でもあり、第四補佐官だったですからねぃ?」

「あの……火坑さんは、地獄では偉い人だったんですか?」

「そうだよ〜? 今は猫の妖だけど、閻魔大王の補佐官の一人だったからねー? 結構高官だったらしいよ?」



 好きになった相手だけど、料理の腕前がピカイチの猫人以外、甘過ぎる味が少々苦手なことくらいしか知らない。


 かと言って、ズケズケと相手のプライバシーを聞き出せられる性格ではないから、こう言う機会が少し有り難かった。



「その……このケサランパサラン達をどうにかするために。あの世に行かれちゃったんですか?」

「俺っちはそう聞いているぜぃ? 悪いが、詳細はそんなに聞いてないんだ」

「いえ、ありがとうございます」



 けれども、いつ戻って来るかは宝来にもわからないらしいので、今日はこれで帰ろうかと真穂に声をかけようとしたが。


 宝来にスカートの裾をくいくいと軽く引っ張られた。



「せっかく、界隈に来たんだ。たまには、違う店はどうだい?」

「違う、お店?」

「どこ〜?」

「ピザが美味い店ですぜぃ!」



 とりあえず、来な、と誘われたからには。恩人の誘いには乗るしかない。もともと少し空腹気味だったので、自宅に戻って自炊しようにも時間がかかるから有り難かった。


 楽庵から離れ、左の角を三回程曲がった先に、目的の店に着いたのだった。



「サルーテ……?」



 カタカナで表記されていた看板に、店名がそう書かれていた。


 店構えは、どちらかと言えば喫茶店のような趣き。大きなガラス窓の向こうには、美兎には見慣れない妖達が思い思いに飲み食いをしていたのだった。

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