第3話 心の欠片『カルボナーラ』③


 美作みまさか辰也たつやは、どちらかと言えば不運な人生を今まで歩んできた。


 よくつまずくし、転ぶし、傷はできるが血は出ない。


 血は出ないのだが、傷痕は時々残ってしまう。シミになりにくい薬剤などを使っても、どうしても消えない。


 だから、夏でも仕事では長袖のシャツを着ていることしかできないでいた。事情を聞かれる時は腕をまくったのだが、ディスカットかと思われることもあったがすべて違うと否定しても哀れんだ目で見られることも少なくない。


 今日も今日とて、夏なのにTPOを考えた格好をしろとも赴任したばかりの先輩に言われたのだが、腕を見せたら哀れんだ目で見られてしまった。そして、少しぶりに転んでいつものような傷痕が新たに増えた。


 慣れたつもりではいたが、哀しくなることに変わりないので、たまには酒でも飲むかとひとりでにしき町の界隈に足を運んだら。


 今いる、猫のようなヒトのような、妖怪らしい料理屋に迷い込んでしまい。一応先客に人間の女性はいたのだが、ずいぶんとこじんまりしているのに居心地のいい店だった。


 だが、先客のもう一人。かまいたちと言う水緒みずおと言うものが、辰也が妖、しかも自分とは違うかまいたちに好かれやすい体質だと言われて驚いた。



「風で転ばせ、鎌で傷を作り、秘薬で癒す。ってのが定番だが……あんさん、傷痕だけは残ってるような感じでやんすあ?」

「な、なんでそこまで!?」

「そりゃぁ、同族だからなあ? ちょうど良かった。同族のよしみでわてが治療するでやんす」

「へ、え?」



 水緒がどこからか取り出した素焼きの壺をカウンターの上に置き、有無を言わせない勢いで辰也のきっちり締めていたシャツの袖をめくった。



「あーりゃりゃ。こいつぁ、若けぇ衆だなあ? 他の傷痕も出来はわるくねぇが、薬の担当だけが不出来だぜ」



 湖沼こぬまと名乗った女性もいるから見られたくなかったのに。水緒は小さな手でも動物じゃない妖怪でいるからか、辰也が引っ込めようとした腕をびくともしない力で抑え込んでいて、壺の中にある水色の軟膏のようなのを空いてる手ですくった。



「すぐ治る。ちょいと我慢しな?」



 そうして、その軟膏を塗られた瞬間。


 辰也の腕が一瞬白く光ったかと思えば、消えてしまったと同時に、腕にあれだけあった傷痕が跡形もなく無くなってしまっていた。



「え、え、え!? み、水緒さんが薬塗っただけで!?」

「わてはかまいたち兄弟でも、傷痕を癒す担当だっただけでやんす。偶然な出会いやけど、今日わてがおって良かったなあ? 反対の腕も出しておくんなせえ」

「は、はい!」



 同じように反対の腕にもその軟膏を塗っただけで、綺麗さっぱり傷痕が消えてしまったのだった。



「あんさんの担当になっているかまいたち兄弟には心当たりがあるでやんす。わてが口利きしとくんで、もう傷痕に悩むことはねーでやんす」

「あ、ありがとうございます!」

「良かったですね」

「そうですね」



 湖沼や、店主の方もにこにこ笑ってくれただけで、哀れんだ表情とかが一切ない。


 巡り合わせとは言え、今日は辰也にとってなんて幸運だったことか。祝い酒でも飲みたい気分になってきたが、先に例の心の欠片とやらで出てきたベーコンで作ったカルボナーラがやってきた。



「うわ、湖沼さんのもだったけど。美味そうっす!」

「心の欠片ごとに味が違うので、同じとまではいきませんが」

「い、いただきます!」



 貧乏学生の頃は、うまく作れなかったカルボナーラだったが。この店は和食が多いらしいのに本当に美味しそうだった。


 受け取ったフォークで迷うことなくベーコンとソースをよく絡めたパスタを巻きつけて口に運ぶ。


 途端、頭を占めた感情といえば。



「うっま……すっげ、美味!?」



 パスタのアルデンテ。黒胡椒のアクセントに負けない卵と生クリームの濃厚なソース。極め付けは、例のベーコン。燻製臭が少しきついが、そのフレーバーがパスタに絡まってなんとも言えないハーモニーを奏でていた。



「ふふ。お気に召していただけて何よりです」



 すると、猫人の店主は頼んでもいないのにロックグラスに赤っぽい酒を入れて出してきた。



「……それは?」

「今湖沼さんにも召し上がっていただいていますが、うち自家製の梅酒です」

「へー? 梅酒って。もっと薄緑のイメージっすけど」

「杏と高麗人参とかを入れていますからね? まあ、ひと口」

「せっかくなんで、いただきます」



 水割りではなく、ストレートのようだから一気に煽らずにひと口ずつ。すると、中身を先に聞いていたせいか、高麗人参の独特の癖に加えて杏の甘味がどっと押し寄せてきた。



火坑かきょうさーん、私おかわり!」

「はいはい。あともう一杯だけがいいですよ?」

「はーい」



 湖沼も気に入っているらしいこの梅酒。


 梅の味もきちんとするが、甘さが際立っていくらでも飲めそうな味わいだった。だが、原材料の酒などの度数が強いのか、火坑と呼んだ店主はほどほどにと注意していた。



(けど、これ……)



 洋食に和風の酒を合わせたら組み合わせが悪いのではと思ったが、もうひと口飲んでからパスタを口にすると。



「……うっま!」



 高麗人参の癖が良い仕事をしたのか、パスタの燻製臭と上手いこと調和した。


 パスタ、酒、パスタ、酒と交互に飲み食いしていたら、あっという間になくなってしまった。



「……美味かったっす」



 けど、まだまだ若い辰也には少し物足りない。何か頼むかと思っていると、火坑が何か肉が入ったスープを差し出してきた。



「少し酔い覚ましにどうぞ?」

「これは……?」

「スッポンのスープです。滋養にいいですよ? うちの看板メニューなんです」

「へー?」



 別の先輩とかと小料理屋に行く機会はあったが、いわゆる珍味を食べたことはなかった。よくて、猪肉程度。


 しかし、いい匂いがするので器を持ってスープを飲むと。酔い覚ましに効きそうなくらい、優しい出汁と濃いスープの味付けに病みつきそうになった。



「美作さん、お肉とかも鶏肉みたいに美味しいんですよ? しゃぶるように食べるのがおすすめです!」

「そうなんすか?」



 そして、湖沼に言われた通り。胡椒の効いた肉は本当に鶏肉のように美味だった。水緒にもだが、火坑達にもすっかり世話になった辰也は帰ろうとしたが普通に帰れるか自信がなかった。



「……帰り方か? わてが例の兄弟に会うついでに送っていくでやんす」

「い、いいんすか?」

「おそらく、わての注意に無断で会いにいくよりいいでやんす」

「え、はい? あ、お勘定」

「先ほど出していただいた、心の欠片で十分です。機会があれば、また」

「あ、はい?」



 いまいちよくわからないシステムだったが、ただではなかったようなので大丈夫とわかれば辰也は水緒と一緒に店を出た。


 心の欠片、らしいあのベーコン。


 ベーコンになる前は、入社前に大学時代の先輩が祝いに贈ってくれたネクタイ用のピンバッジだったが。いつのまにか無くしてしまったあれはどこにいったのだろうか。帰ったら、探してみようと思った。

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