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結果を簡潔にいうと、今回も失敗だった。先生がいうには、原因は私にも夫にもあるという。この治療は双方が一緒に取り組まなければ意味がないのだと。

先生が真剣にお話をされているというのに、夫はあろうことか聞き流している。その証拠に、目が先生ではなく、どこか別のところを眺めているようだ。そんな夫を私は怒る気にもなれずにいた。

病院が終わると夫はそそくさと出勤していき、私は誰もいない家でひとり。パートまでまだしばらく時間がある。

私は空っぽの腹をさする。今度こそは今度こそはと言って何回たつだろう。次第にもう嫌になってきた。勿論私だって子供が欲しい。今でもその気持ちは変わらない。だが、「あの男」との子供は産みたくない。私よりも仕事を優先するような男との間に子供なんてできたら、私以上にその子が可哀想だ。満足に愛情を注いであげられないだろう。

不意に彼が頭をよぎった。私の名前を呼ぶ声がする。幻だとわかっていても、傷心の私にとって何よりの心の支えである事に変わりはない。

「愛して、私を」

いけない感情が口をついて出た。勿論不可能であることはわかっている。私も彼も一緒になった人がいる。そんな二人がそれぞれの相手を棄てて一緒になるなんて、天地がひっくり返っても有り得ない、有り得てはいけないことなのだ。

しかし、この気持ちを無視することもできないほど大きなものになっている。彼に対する想いは日に日に強くはっきりとしたものになっていき、遅かれ早かれいつか爆発するだろう。だが、もしこの想いを告げたとしても一緒になることは叶わないだろう。寧ろ嫌われてしまうのではないだろうか。ならば私はどうすべきなのだろうか。何をすることが正解なのだろう。

現実と理想の落差に軽い失望と吐き気を覚えた私は、ふらふらとソファに身体を沈めた。時刻は午後三時、出勤まで二時間ほどある。


荒涼とした草原に立っていた。どこを見渡してもどんよりと曇った空と枯れた大地だけが、けして混じり合うことなくどこまでも続いている。一種の芸術の様にも見えるその景色は、私を不思議な気持ちにさせた。

画面のずっと遠くから、誰かが大きく手を振っている。誰だろうとじっと目を凝らすが、イマイチ断定できない。

一歩、また一歩と近づく。小さな人影が次第に形を帯びてきた。背は私と同じくらいか、肩幅のがっしりとした体格の男だ。綺麗に揃えられた五分刈りに、つんとした高い鼻、薄い桃色をした血色のいい唇は結ばれ、口角はにこやかに上がっている。

紛れもなく、若い時の夫だった。ああ、そう言えば夫はこんなに格好よかったか。すっかり記憶の隅に追いやられていた。

夫に指が触れようかというところで場面が転換し、今度は遊園地にいた。時間は夜、海を見下ろす丘に二人きり。昼間の歓声が幾分か引いて、波の寄せては返す音が心地いい。

「俺と、結婚してくれませんか」

あぁ、そうか。この時にプロポーズされたのだった。灯台の光に照らされて輝く指輪、この日から大切に保管している。そう言えばあまりに衝撃すぎて号泣したのもこの時が初めてではなかったか、夫をすっかり困らせてしまった。

夫が指輪を薬指に嵌めると、また場面が転換した。今度はいつもの産婦人科だった。先生が結果を見ながら重々しい表情をしている。ゆっくりと開かれた口から告げられたのは、私の身体は赤ん坊ができにくい身体であるということだ。今思えば、これが全ての元凶だった。それから何度性交をしても一向に授かる気配はなく、夫は早々にサジを投げた。元々仕事が全ての男だ、当然と言えばその通りではある。だが、私は最後まで諦めなかった。結果はあの通りである。これで私もある意味踏ん切りがついた。子供が欲しいが、夫と血の繋がった子は要らない。つまるところ、そういうことである。

私はふと目を覚ました。時計を見ると、家を出る時間の三十分前。

「いけない」

飛び上がると、急いで支度を始めた。



最後の客を捌き、店内は閉店を知らせる「蛍の光」が寂しく響く。

私は、一日の売上を抱えてバックヤードに戻った。

「お疲れ様」

「お疲れ様でした、店長」

お互いに昨日の事を思い出したのか、申し訳ない気持ちになる。

「昨日はすみませんでした。余計な事を」

「いえいえ、そんな。私こそ申し訳ありません、失礼な態度をとって」

それでもとなお頭を下げる彼、なぜこんなにも優しいのだろうか。むしろ私の方が申し訳なくなってきた。

「いいんです、事実ですから。それに遅かれ早かれどこかでわかってしまうような気がしていましたし」

私の渇いた笑いが音楽と相まってさらに虚しさを掻き立てる。

「お詫びと言ってはあれですが、また行きましょうよ。あのカフェ」

彼はまたあの優しい微笑みを浮かべながら私に問うた。しかし、その提案を私は素直に受け取ることができなかった。

「えぇ、考えておきます」

私はそれだけを答えて、彼から逃げた。

逃れるようにしてパート先を後にした私は、いつもの道を急ぎ足で歩いていた。

月は薄らと雲に覆われ、街灯は電球が切れかかっているのかぱちぱちと点滅していた。相変わらず目の前に広がる道は仄暗い。なにか、この世でないものが出てきてもわからないかもしれない。余計に足が早くなる。気が急いる。

ある通りを曲がった時、どこかで聞き覚えのある声が聞こえた。すぐに今来た路地を振り返る。

それもそのはずだった。夫なのである。傍に女がいるということを除けば。

ワイシャツに薄い灰色のブラウス、紺の膝丈スカートを履いた典型的なOL である。遠目から見ても、自分より一回りも二回りも若いことがわかった。夫の不倫現場である。

二人はアパートの前で足を止めた。どうやらそこが彼女の自宅らしい。何を話しているのか聞き取れなかったが、夫がくるりと背中を向けた時、彼女が飛びついて耳に軽いキスをした。夫は満更でもない顔をすると、逆に相手の口唇を奪い、二人はくちゃくちゃと人目も憚らず互いの愛を確かめ合う。口角から交じりあった唾液が垂れ、銀の糸を引く。終いにはお互いの首に腕を絡めて熱い抱擁を交わす。

私は気持ち悪くなって一目散にその場を後にする。そして、近くのコンビニに駆け込むとトイレにこもって全てを吐き出した。

何度も、何度も、吐き出した。

夫の、妻に見せないあの満更でもない表情、女の若いからできる甘え、そして私が見ているとも知らず堂々としたあの熱い接吻。

ああ、ああ全て、全て見てしまった。全てが、気持ち悪かった。


帰宅すると、夫は居間で缶ビールを煽っていた。見られていたとも知らず良い気なものだ。よっぽど問い詰めようかとも考えたが、それすらも面倒で、その気になれなかった。

その後、数日の間は隙があれば責めようとも考えたが、逆に私と彼の関係についても問い詰められかねないと考えた私は、すんでのところで思い留まった。

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