第38話 亀裂?!

「ねえ鳴、ちょっと付き合ってくれない?」


 衣織とのスケートデートで、何かキッカケが掴めた僕は早速ギターを手に幾つかのフレーズを作っていた。そんなタイミングでの衣織からのお願い。普段なら二つ返事で引き受けるのだけど。


「ごめん、後じゃダメなの?」


「んー……今がいいのダメ?」


 いつもなら都合が悪いと、直ぐに引き下がってくれる衣織が珍しく渋った様子だった。


 でも、僕も今のひらめきを、気持ちが新鮮なうちに形にしておきたい。


「ごめん、僕も今ちょっと手が離せなくて」


「私も今、鳴が必要なの」


 おう……なんか、そこまで求められると、断れない。でも……せめて記譜する時間は欲しい。


「わかった、じゃぁ一時間だけ待ってもらってもいい?」


「もういい!」


 バーンと扉を閉めて衣織は部屋を出て行った。怒らせてしまった。


 衣織があんな風に怒るのって結衣さんとの浮気疑惑以来だけど……あの時とはちょっと怒りの理由が違う。


 あれ……これ、マズくない?


 僕は、ギターを置き、衣織の部屋に向かった。


 ノックすると、衣織は直ぐにケースに入ったギターを持って出てきた。


「あの、衣織……」


「なに? 忙しいんでしょ?」


 いや確かに忙しかったけど……こんな状態じゃ気になって作曲どころではない。


「私、出かけるから」


 衣織は僕の横を通り過ぎて玄関に向かった。


 って、出かけるってこの時間から?


「衣織、出かけるって何処に?」


 衣織は振り向いて「実家」とだけ答えた。


「待ってよ、衣織なんでいきなり」


「手が離せないんでしょ? 私に構ってないで早く部屋に戻ったら?」


 完全に怒らせてしまった。


 ……どうしよう。大人しく引き下がっていいわけないよね。


「ちょっと、待ってよ、どうしても行かなきゃダメなの?」


「どうしてもよ」


「でも、もうこんな時間だし……」


「だから何?」


「せめて、送らせてよ」


「鳴も忙しいんでしょ? だから頼んでるのに断ったんでしょ?」


「いや……」


「もういいし、タクシー呼んだし」


 まじか……。


 衣織は僕の静止を振り切りそのまま出て行った。


 最悪だ……どうしよう。


「兄貴……」


 僕たちのやりとりを聞いていたのか、凛が部屋から出てきた。


「やっちまったな」


 凛は部屋に残された僕を見てニヤニヤしていた。


「やっちまったじゃないよ……」


「でもさ、凛からしたら今までが異常だったんだと思うぞ」


「え、なんで」


「だって、兄貴と衣織さん、喧嘩らしい喧嘩もしてないだろ? いつもイチャラブしてて」


 そんなにイチャラブはしていないと思うのだけど……確かに例の件以外で喧嘩をすることはなかった。


「あれだな、衣織さんがやっと兄貴のことを頼り始めた証拠じゃね?」


 僕を頼りに? なんでそうなる?


「分からないって顔だな」


「う……」


 図星です。


「ずっと、衣織さん大人だったろ? 凛が思うに、衣織さんは兄貴のこと見守ってあげなきゃって気持ちが強かったんだと思う」


 な……なるほど。


「なあ、兄貴、今日何かあったんじゃね?」


 今日といえば……改めて告白した……まさかそれ?


「何があったかは聞かないけど、衣織さんはきっと兄貴に甘えたくなったんだと思うぞ」


 ま……まじか。


「なんで、凛にそんなことが分かるんだ?」


「なんでって……衣織さんも兄貴もめっちゃ顔にでやすいからな、凛じゃなくても分かると思うぞ」


「え……」


「知らなかったのか?」


「うん」


 僕が態度に出やすいのは知ってたけど……衣織も?


 ……いや、そうだ。


 僕は知ってるじゃないか。


 はじめて話したときの衣織は、ツンデレチョロインだと思ったぐらい分かりやすかったじゃないか。


「つーか、凛と話してる暇があったら、早く追いかけろよ」


「でも……タクシー呼んだって」


「とうっ!」


「いてっ」


 凛に軽く飛び蹴りされた。


「アホかお前は! そんな時間なかっただろ?」


 ……確かに凛の言う通りだ。タクシーを呼ぶ時間なんてなかった。


「ありがとう凛、行ってくる」


「おう!(んとに……世話が焼ける)」



 ——下まで降りるとエレベーターホールで衣織がうろうろしていた。


 衣織も冷静になったのだろうか。


 とにかく、いてくれてよかった。


「鳴……私「衣織……ごめん」」


 僕は衣織の言葉を遮った。凛が言う通り表情を見れば、今衣織が謝ろうとしていたことが分かったからだ。


「なんで、謝るのよ……悪いのは私だし」


 僕は衣織に謝らせたくなかった。


「ううん、そんな顔にさせちゃったのは僕だし」


 衣織が驚いた顔で僕を見ていた。


「よくよく考えたらさ、なんで手が離せないか、理由もいってなかったしね」


「それは、私も……」


 衣織の言葉を、人差し指を唇にあてて遮った。


「帰ろ」


「……うん」


 凛のおかげで、寂しいくなるはずの夜が、甘い夜に変わった。


 

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