第37話 今と想いを

 衣織はアイススケートをやったことがないと言っていた。いわゆる未経験者だ。


 僕はつい最近、凛とアイススケートに来て、手すりから離れて滑れるぐらいには上達した。一応経験者だ。


 なのに……何故だ!


「鳴、早くおいでよ」


「ちょ……まって」


 ついさっきまで、何かに掴まりながらでなければ滑れなかった衣織。『怖い』なんて言いながら僕に掴まってきて、違う一面の可愛さが味わえたって言うのに……。


 もう、僕は衣織についていくのがやっとだ。


 厳密にはついていけていない。衣織に待ってもらわないと一緒に滑れないほどに二人の実力差は広がってしまった。


 公園デートの時も思ったけど、天は衣織に何物与えるんだよ……。


「アイススケート面白い!」


 無邪気に笑う衣織。そりゃそんだけ滑れたら楽しいと思う。まあでも僕もそんな衣織を見ていて楽しい気分になってくる。


 リフレッシュって目的はもう果たせた気がする。


「鳴、ちょっと足痛い休憩しよ」


 流石の衣織も疲れの色が見える。まあ僕の足はすでに棒なんだけどね。


 二人ともホットココアを自動販売機で買い、その前にあるベンチに座った。


「イタタ……」


 衣織がスケート靴を脱ぐと見事にくるぶしあたりが靴ずれしていた。


「大丈夫?」


「大丈夫じゃない……普通に痛いよ」


「張り切り過ぎたんじゃない?」


「うーん……そうかな……でも楽しくってついね」


 その気持ちはよく分かる。楽しいとつい無茶をしちゃうものだ。


 それはそれとして、確か……あった。


「衣織、これ使う?」


「え……何これ?」


「液体絆創膏だよ」


「え、なんでそんなもん持ってるの?」


「指弾きの時に甘皮のところ、よく痛めるんだよ」


「そうなの?」


「ちょっとしみるかもだけど、痛くなくなるよ」


「私、よく使いかた分からないから鳴がつけてくれる?」


 衣織の足に液体絆創膏を塗ってあげた。付き合ってしばらく経つけど、足をまじまじ見るのは初めてかもしれない。


 綺麗な足だ……それ傷つけやがってこのスケート靴め! 怪しからん!


「ねえ鳴、今の気持ちをギターで弾いたらどんな感じになるの?」


「今の気持ち?」


 うーんそうだな。


 楽しいっちゃ楽しいけど、ちょっとやっかみの気持ちもある。だって僕の方が最初は上手く滑れていたのに、あっという間に抜かれたわけだし……でも、やっぱり無邪気に笑う衣織がとても愛おしいし……。


 だから、あれだ!


「アコギで、ロックっぽくダウンストロークで弾くポップスかな!」


 衣織が少し驚いた顔をしていた。


「なんか思ってた曲と違ったけど、そうなのね」


 衣織はどんな曲を思い描いていたのだろう。


「ねえ鳴、私はそういうことだと思うの」


 そういうことって……。


「ギターを持ってたら、曲にできたんじゃない?」


「あ——————っ!」


 確かにその通りだ。


 ……そっか。


 何が表現したいって聞かれて難しく考えてしまったけど、そういうのじゃなかったってことか。


『その時々の想いを曲に込める』


 たったそれだけのシンプルなことだったんだ。


 曲を作ろう作ろうって意識が強過ぎて、そこに想いはなかった。だから何もできなかったんだ。


「ありがとう、衣織……僕、何か掴めた気がするよ」


「そう、よかった」


 満面の笑みを送ってくれる衣織。それだよ僕の音楽は……。


 みんなには悪いけど、僕が今音楽を通じて表現したいことは衣織への愛だ。


 僕はいつも話を難しい方に難しい方に考えていたんだ。


 もっとシンプルに、伝えたいことを伝えよう。


「衣織……」


「うん? 改まってどうしたの?」


「大好きだよ」


「え……え、え、え」


 突然の告白に流石の衣織も戸惑っていた。全然そんな雰囲気じゃなかったからだと思う。


 でも言いたかった、伝えたかった、この気持ちを……。


 もし、あの時の愛夏のように、衣織にフられたとしても僕は衣織を諦めない。


 きっと振り向いてくれるまで追いかけ続けるだろう。


 衣織には色んなものを与えてもらった。


 音楽、仲間。


 そして今のこの気持ちも……。


 なんでここで、このタイミングでって思われるかも知れないけど、僕は衣織を離さないと心に誓った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る