その②


 本日の王太子妃教育は、世界情勢と外国語である。

 世界情勢については、王国内で一、二を争う商会を持つキュレール伯爵家前当主が担当している。

 このキュレール前伯爵は、むすに当主の座をゆずると、買い付けとしようして数々の国をめぐってきた。

 とても話し上手な彼は、そこで出会った人々や見たもの聞いたものなどを、おもしろおかしく分かりやすいようにかみくだいて教えてくれるため、リリアーナはこの時間をとても楽しみにしている。

 本日もそんな楽しい時間を終え、次の外国語を学ぶための部屋へと移動しているちゆう、ホセ殿下とばったり出くわした。

 彼は嫌そうな表情を隠しもせず、こちらに目を向けてくる。

な王太子妃教育なんて受けてないで、サッサとここから出ていきなよ。どう見たってウィル兄にひんそうなアンタは似合わないんだしさぁ」

 これまでまともに会話を交わしたこともないのに、いきなり暴言をいてきた。

 つうの令嬢であれば、いきなり王子様からこんな暴言を吐かれては泣いてげ出しそうなものであるが。

 そこは普通の令嬢とはちょっとばかりちがうであろうリリアーナ。

 ホセ殿下の言葉にいつしゆんまゆが寄りそうになったのだが、よくよく考えてみれば、もしかしてこれって、婚約解消のチャンスじゃありませんの? と気付いた。

 なぜきらわれているのかは分かりませんけれど、先程の台詞せりふから言いましても、ホセ殿下はこの婚約に反対なんですのね?

 もしウィリアム殿下との婚約解消に、ホセ殿下が協力してくださるのなら……とリリアーナは脳内で即座に考えを巡らせた。

 本来貴族間の婚約解消は、いかなる理由であろうとも、令嬢側にとってかなりの痛手を受けることとなる。

 傷物の令嬢を望む家は少なく、えんだんも親子ほどとしはなれた者の後妻や愛人など、ろくなものがなくなる。

 それを嫌がり修道院へ入る令嬢もいるとかいないとか。

 しかし、仮にリリアーナが婚約解消したとして、リリアーナをできあいしているオリバーやイアンやエイデンが、後妻や愛人、修道院に行かせるなどのせんたくをすることは絶対にないであろう。

 過度なぜいたくをしなければ、今後も独身のリリアーナ一人の面倒をみるくらい、ヴィリアーズ家にとって何の問題もない。

 恋愛小説恋のバイブルは大好きでも、リリアーナは自らの恋愛には全くとんちやくだ。

 王太子妃となればだれよりもらしいドレスや宝石を身にまとい、王国内の女性の中で二番目(一番は現王妃様)に高い地位にくことになる。

 一見とてもはなやかではあるが、貴族社会の裏側はしつあらし

 少しでもすきを見せようものならば足をすくわれる。

 そんな心の安まらぬ王宮などより、たとえ独身売れ残りと呼ばれようとも、楽しい伯爵家の方がいいに決まっている。

 そして将来イアン兄様がヴィリアーズ家の当主になられた時は、引退されたお父様やお母様と共に、領地のしきでの生活を楽しめばよいのだ! 素晴らしい名案だわ!

 チャンスの神様はまえがみしかなくて、あとはツルツルなんだとか。

 来たと思ったしゆんかんつかまなければ、スルリと逃げてしまうのだ。

 そんな神様の前髪を引っこ抜くくらいの勢いで摑んだつもりのリリアーナは、キラキラさせたひとみをホセ殿下へ向けた。

「そうなんですの! 私はウィリアム殿下のとなりに似合うような令嬢ではありませんの。ホセ殿下の仰る通りですわ!」

「……は?」

 泣いて逃げていくだろうことを予想していたのに、なぜか満面の笑みでこうていされるなど、ホセ殿下は予想外の展開についていけない。

「それでは私、ホセ殿下の仰る通り、王太子妃教育など受けずに本日は下がらせて頂きますわ」

 リリアーナを先導していた使用人に、殿王太子妃教育を受けずに帰宅するむね、関係各位のみなさまに伝えるようお願いした。

 リリアーナは満面の笑みで、何ならスキップでもしそうな程にご機嫌な様子で、帰りの馬車が待つ車寄せのある方向へと歩きだす。

 思わぬところから婚約解消のための味方(?)が現れてくれたと、先程言われた大変失礼な言葉もすっかり忘れている。

 それまでぼうぜんとしていたホセ殿下は、そんなリリアーナの後ろ姿を見て正気にもどった。

「ちょっと待てっ!」

「何か?」

 ホセ殿下があわてて引き留めると、リリアーナはゆっくり振り返り、不思議そうに首をかしげる。

 ホセ殿下はその様子にチッと舌打ちをしながら可愛らしい顔をゆがめてにらみ付けた。

「何を本当に帰ろうとしているんだ!」

「あら、これはまた異なことを。私はホセ殿下の指示に従っただけですわ」

 ホセ殿下とは対照的に、和やかに答えるリリアーナ。

「……いちいち腹立たしいヤツだな」

「失礼ながら、ホセ殿下とこうして直接言葉を交わしましたのは初めてのことと存じますが、私はホセ殿下のご不興を買うような何か失礼なことを、しでかしましたでしょうか?」

 べつにホセ殿下に気に入られようなどとはこれっぽっちも思ってはいないが、一方的に嫌われるのはあまり気持ちの良いものではないし、それに婚約解消の協力者になって頂けるかもしれない彼に嫌われるのは、出来ればけたいところである。

 もしかしたら自分の知らないところで彼の不興を買うようなことをしてしまった可能性もゼロではない。

 その場合はなおに謝罪するべきだと思い、聞いてみたのだが──。

「ふん、べつに。ウィル兄が無理に婚約する必要などないと思っただけだ」

「つまり、私自身ではなく、ウィリアム殿下の婚約者という立場が不快だと」

 とりあえず不興を買うようなことはしていなかったらしいことにあんする。

 じんなことを言った自覚があるからか、ホセ殿下は気まずそうに視線をそらした。

「なんで断らなかったんだよ」

 王族からの婚約申し込みを断るなど限りなく不可能であると分かった上でそれを言うのかと、リリアーナは無言のジト目でホセ殿下を見つめる。

 彼はバツが悪そうに小さくつぶやいた。

「いや、まあ、無理だよな」

 口は悪いがこの王子、どうやらそれ程悪い人物ではなさそうである。

「実は不敬をかくの上で辞退を申し上げたのですが、きやつされましたわ」

「何だと、お前。ウィル兄の一体何が不満だと言うんだ!」

 リリアーナがかたすくめて言えば、今度は睨み付けてきた。

 ウィリアム殿下との婚約が面白くないとねてみたり、辞退したと言えば怒りだすとは、何を仰りたいのでしょうね、このお方は。

 この目の前の天使様、何だかとっても面倒くさそうである。

 リリアーナはそんな思いをじんも顔に出さずに答える。

「不満だなどと、めつそうもない。先程ホセ殿下も仰った通り、ウィリアム殿下に私は相応しくないと申し上げただけですわ」

「つまりは?」

「王太子妃などになってしまったら、色々面倒じゃありませんか」

 ついつられて本音を言ってしまい、ハッと口をつぐむ。

「それを望む肉食なご令嬢がくさるほどいるんだけどな」

 ホセ殿下はとても残念なものを見るような目を向けて呟いた。

「ウィル兄はどうしてお前を選んだんだ?」

 いまさらながらにその疑問を口にすれば、リリアーナがそれに答える。

「地味で、こうすいかおりをプンプンさせていなかったから、と」

 ホセ殿下は遠くを見る目をした。

「ウィル兄、何やってんだよ……」

「本当に」

 仲良く(?)ハアと大きな溜息をつく。

 そして先程から困ったように様子をうかがっていた、リリアーナを先導していた使用人の存在を、二人はようやく思い出した。

「お前、今日の王太子妃教育の予定は?」

「先程世界情勢を終えて、後は外国語と夕食のみですわ」

「じゃあ、このまま外国語のレッスンに向かってくれ。それとそこの君、ここで見聞きしたことは一切他言無用だ。いいね。もし守らなければどうなるか……分かるよね?」

 黒い笑顔を浮かべたホセ殿下におど……注意され、使用人の彼は真っ青な顔になった。

「私は何も見ていません! 聞いていません!」

 首を横に振りながら可哀想かわいそうな程にふるえている。

 ホセ殿下、あなた可愛い顔して何をされてらっしゃるの?

 でもこの調子だと、ホセ殿下は婚約解消の協力者になってくれそうですわね。

 リリアーナは心の中でおどりするのだが。

「外国語の先生と言えば、セオドア前伯爵だったな。彼は時間にとてもうるさい人だから……まあ頑張れ」

 ニヤリといった表現がピッタリの笑顔を浮かべてそう言うと、ホセ殿下は足早に去っていった。

 呆然とその後ろ姿を見送ったリリアーナと使用人は、慌ててレッスンへと向かったのだけれど。

 リリアーナをむかえたのは、予想通りというか、こめかみに青筋を浮かべた初老のセオドア前伯爵だった。

 あの場でホセ殿下に呼び止められなければ、長い長いお説教を受けることもありませんでしたのに。

 これも全てホセ殿下のせいですわ!

 とりあえず彼にはくつひもが(何度結んでも)すぐにほどけるという、地味に嫌なおいのりをしておくリリアーナであった。

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