第16話 んでもって、終わらない受難

まったく、ろくでもない日だった。

ハゲ+詰め襟(香登司だっけ)に絡まれたそれだけで、既にヒットポイントは限りなく休養が必要なレベルまで落ち込んでるというのに。


ー帰ったら、頼みたいことがあるんだー


家で待っているはずの、我が兄、久世啓吏(くぜけいり)の、無駄に爽やかフェイスをここで思い出し、俺はげんなりため息をついた。


「…厄日だな…」


大方、帰宅したらまた、家業を手伝わされることは目に見えてるだけに、既に俺の気分は、マリッジブルー並みのローテンション。


(あー、ついてねぇ)


ため息をつきながら、用を足したその足で、レストルーム入り口のドアノブに手をかけようとしたときだった。


「!」


俺がドアノブを掴む前に、外側からドアが勢いよく開いて。

現れたのは、一人のヤンキー。


年の頃は、二十過ぎくらいだろうか。

それは、気が強そうなこげ茶の瞳に、肩ほどまである長めの茶髪を、後ろで無造作にまとめた男だった。


命名、茶髪(要するに赤の他人だ)。


まぁ、一見する限りでは、どうも関わらぬが吉の相手だろうことは言うまでもなかったわけで。


(よし、穏便にスルーだ)


本能に従った俺は、茶髪と目をあわせないまま、その隣をすり抜けようとしたのだが。


『おい』


「!」


思いがけず、相手から声をかけられた上、腕まで掴まれたんですが、これ如何に!?


(ちょっとこれ、まずくないですか)


無論、相手は全く見覚えがないヤンキー君。

…のはずなんだけど。


「!」


俺はそこではっと眉をあげた。

茶髪が触れた腕から、ぞくりと身が総毛立っていくような嫌な感覚に襲われたからだ。


(こいつ、もしかして…)


この感覚は、知ってる。

ざわざわ、胸の奥からくるような無意識の警告の正体も。


ー坊!お逃げ!ー


かっちり、その答えのピースがはまる直前。


ーさぁら!ー


ーあかん!さらちゃん!ー


「っ!!」


内側から飛び交った声の警告虚しく。

気がつけば俺は、手近な壁に向かって、その茶髪野郎に背中から体を叩きつけられていた。


「っ痛!!」


っだんっ、と壁に叩きつけられた我が身が、軋むような悲鳴をあげ、その鈍痛に、息がつまった俺は軽く咳き込んだのだが。


『…先般の件…』


息つく間もなく、今度は覆い被さるような体制で、茶髪がこちらを覗きこんできた。

俺の顎を相手側に上向かせながらの囁きが、心なしか妙に甘かったのは、気のせいだ。


『あれが上主への冒涜なれば、生かしはせぬが…』


ついでに、近すぎる位置からの、やたら艶めかしい呼気の音。

肌をなぞる指の感覚…なんかに思わずどっきりしちゃったのは、断じてときめきのせいじゃないんだ!


(なんてのはともかく…)


さっき、軽く頭打ったくさくて、思考がヤンキーに乗り遅れ気味なんですが。


『今宵、上主とお前の談に見え、気が変わった』


(どーもこの流れ、やばくない?)


自問自答せずとも答えはレッドゾーンなのはもう明白。

何がやばいかって…。

そら、気配から感じてもう明白。

相手がただのヤンキーじゃなくて、なんかが憑いてる系人間だから。


まぁ、それだけならともかく、俺が戦闘不能な事態手前だってことは、限りなくこれってピンチなわけで。


『俺のものにする』


そう、だからこんなヤバイ幻聴も…。


「…?」


(…待った。今、なんて?)


機能しきってない頭から、今、理解不能な言葉を受け取った気がするんですが。

末期?

や、それよりさ。


(なんか…)


気のせい?

すっごい茶髪の目が、近い気がするんですけど。


(…つーか、口も、近くないか?)


いや、近いなんてもんじゃないよな。


『光栄に思え。犬神直々に寵愛を受けられる人間などそうはおらん』


……


『今宵は、好きなだけ鳴かせてやろう』


「はっ!?!」


我に返って目をむいたその瞬間。

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