第27話

成人したとき、偶然、私は向日葵畑を見た。


列をなして同じ方向を向く向日葵達は太陽に向かって必死に首を伸ばし、燃えるような暑さの中でも凛として立っていた。

黄色い花弁は蜂蜜のように鮮やかで、新緑の葉を咲かせてる。

それはアッと驚くほど美しく、来る者を魅了させていた。


だけど、列の中に太陽の方を向いてない向日葵がいるのを私は見つけてしまった。下を俯いて向日葵たちの影になり、ただただ地面へ還っていくモノ。


私はそれだ。決して太陽の方を振り向くことはできない無力な花。


太陽に例えられた美しい花。太陽を愛する健気な花。


どこから道を間違えたのだろうかと後ろを振り返る。

やはりそこで私を見つめるのは小学生あのときの私なのだ。



久しぶりに訪れた故郷は思っていたよりも狭かった。

この広い地球の中にある小さな日本、それよりも小さい私の故郷。


「こんなだったっけ…」


当たり前だが、知らないビルや建物が多くなっていた。

変わらない景色もあるが、薄れた記憶と反している場所も多い。


崩れかけていた廃屋もすっかり取り壊され、新築の家が建っている。

同じ顔ばかりがウロつく町もグローバルになったのだろう。異国の言葉を交わしながら談笑する人達の群れに私はなんだか過去に取り残された気分になった。


記憶の中の故郷はいつだって暗く、今にも壊れてしまいそうな家々が立ち並ぶ暗い暗い場所だった。一歩、道を間違えてしまえば闇に飲み込まれてしまいそうな場所。永遠に日の当たらない世界…だったのに。


私はぐるぐると記憶を頼りに道を曲がりくねった。

知っている道だったはずなのに、それは知らない道に見える。


近くチャイムの音。


キーンコーンカーンコーン


三時間目の終わりを告げる音。

曲がりくねった道の奥、もうすぐで裏校門だった。


ドクドクと心臓が早鐘を打つ。何処かで何かを期待してた。


緊張し震える両手をギュッと握りしめ、私は道を右に曲がる。

曲がった道の先に広がった光景が私の胸を締め付けた。


当たり前だった。生まれ住んだ町も変われば、学校も変わる。


柵を隔てた向こう側。

私たちが愛したあの場所に遺っていた桜の切り株さえ消えて。

芽を生やした花壇たちがズラリと並んでいた。


息を吸うことも忘れてただただ言の葉を吐いた。


「ルーノ……」


君は何処にもいない。


……。


彼と私は春の優しい風に吹かれ、窓の外に広がる青空を見上げながら互いに肩を並べて座っていた。燃えるような太陽の光も屋根が覆い尽くすこの場所には届かない。


「ルーナ知ってる?」

「え?」

「人間の人生は本棚なんだ」

「本棚…?人間の人生が?」

「そう。本棚を埋め尽くす本たちは全部感情で色分けしててさ。装飾や文字だって一人一人違うんだ。パソコンの文字みたいな人もいれば、手書きの人だっている。ミミズ文字の人、カタカナばっかり書く人、たくさん」


本棚がずらりと立ち並び、それを埋め尽くす鮮やかな本達が不規則に並んでいた。

隙間まで埋め尽くすような入れ方をする本棚もあれば、並ぶ本の高さを揃えている本棚もあった。ひとつとして同じ本はない。表紙を鮮やかな紫に染め金の装飾で縁取る人もいれば、ただただ紙に穴を開け、黒い紐で結ぶだけの人もいる。


ゴテゴテと飾る者

表紙の文字を彩る者

紙にこだわる者

粗い文字を並べる者


「その本棚は最後、どうなるの?」

「どうなるんだろうね」

「私たちは最後、ただの本棚になってしまうの?」

「そうだよ」


それは国ごとに集められるのか、星ごとに集められるのか。

神ではない私たちが知る術など無く。


「…じゃあ、この瞬間も本になるの?」

「そう。いつか消えてしまう記憶も全部そこに」


幸せな時間というのは流れる星よりも速く通り過ぎて逝く。

煌めく星空の下では私達の一生など刹那の瞬きに過ぎない。

それでも私達が生きている何かを、この瞬間を残せるのなら。


「じゃあ、私、ルーノと一緒にいたこの時間を本として残せるんだね」


彼は驚いたように私を見た。


「…そうだね。きっと色褪せないままずっとそこに」


同じ本がひとつもない世界で、私達は同じ本を共有しよう。

この時間を共に過ごしたことを忘れないように。


何色で飾ろうか。春のピンク?青空の水色?カーテンの黄色だっていい。

文字は何にしようか。装飾は?宝石を散りばめたような表紙にしよう。


「隣同士の本棚だといいな」

「うん、私もそうだといいなっておもう」

「きっと俺達、双子みたいな本棚だよ」

「ふふ、そうだといいなぁ」


きっとそこは星が生まれる場所。

全てのモノが還る場所。


唸るように吠えた狼が満月に捧げた祈りも、羽ばたいた蝶が向かった青空も全て、そこで生まれ、死んでいく。

私達もいつかそこへ行くのだ。絶対に。


「ルーノ、私ね」

「うん」

「きっとそこは宝石を散りばめたように輝く世界だと思うの」


生と死が寄り添い合う場所。

人の魂が宝石のように輝くのなら、生まれ死ぬその場所は太陽よりも眩しい。


氷さえ凍えるような寒さに舞い散る星屑が呑まれ新たな命になる。

燃えるような太陽も遥か彼方に生きる星々も。


「でも、きっととってもこわい場所かもしれないっておもう」

「どうして?」

「だって、ルーノも私も消えてしまうから」


そこに訪れるのは遺体が残る死ではない。

影も形も全てが消える。私という存在そのものが消えてしまう場所。


「…手を繋いでそこに行こう。きっと一緒なら怖くないよ」

「ほんと?」

「うん、それで次も一緒の星に生まれるんだ。どんな遠い場所に行っても迎えに行くよ。絶対に」

「待ってるだけじゃイヤだから、私も会いに行く」

「すれ違いにならないように何か合言葉を作ろうか」

「何がいい?」

「そうだなぁ…」


凪いだ風がまた荒れるようにカーテンを踊らせた。

空の向こうで鳥達が歌うように飛んでいる。


人は二度、死ぬという。

心臓が止まるときと全ての記憶から消えるとき。


なら、三度目はその場所にたどり着いたときだろうか。


「本が残るなら、きっと私達がここで話していたことも残るよ」


私達が偉人となって教科書に載ってもそれはきっと地球とともに消滅してしまうのだろう。それとも遥か先の未来なら宇宙を飛び越えて新たな星で語り合えるのだろうか。


きっと遠い遠い未来の話。誰も予想できない世界の話。


「生まれ変わってもね、おかし食べようね」

「うん。約束だよ」


狭い狭い日本の小さな家の中でも一緒にいれば私たちは自由だった。

学校の区域というルールも越えて、大気圏さえ突破して。


それはロケットのように煙も出さず、鳥のように羽ばたくわけでもない。

もっと静かに、足音も立てず、息を殺して、楽しく。


時計は始業の時間を指していた。私たちは動かない。

世界がひっくり返って朝と夜が変わっても二人の髪を撫でる風が優しく吹くことだけは変わらない。世界は私たちを肯定してた。


“間違っている”私たちを肯定していた。

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