第24話


何か一つの言葉であっても、受け取り方は自由だ。

SNSを見ていればわかるように誰かの言った何気ない一言で幾つもの受け取り方があるのだと私は知っている。


言い方が悪かったのか、受け取り方が悪かったのか。


SNSの呟きは見えない誰かに送るメッセージボトルだ。

返事が来ないものだと思って海に乗せる誰かの想い。


私が幼い時に過ごしていた場所は閉鎖的な村のように、地域ごとの繋がりが深いぶんだけ外との関わりが薄かった。田舎だったわけじゃないが、大昔、田舎だった名残が消えないように。

狭い場所から外の世界に憧れ、流したメッセージボトルの答えが攻撃的だったら私は失望するだろう。どう足掻いても、願っても、人間というものの本質は変わりなどしないのだと。


彼が送ってきた手紙もメッセージボトルのようなものだ。

未来に届くかもわからない不確定なもの。


水色の封筒に書かれた言葉を何度思い浮かべてもわからなかった。

あれだけ同じ事を考えていると思っていたのに、今じゃ何を考えているのかちっともわからない。…わからない。


時折、水を受けたようにぼやけた字が妙に気になった。


「雨の中で、書いているみたい」


雨の中で手紙を書く人はいないだろう。突然の別れだったとしても家の中で書いたはずだ。だとしたら、どうしてこの手紙は…。


ポツン、ポツンと私の家の窓を雨が叩いた。

そっと閉めっきりのカーテンを開けて窓の外を見た。

白い線を残して降り注ぐ雨が土を濡らして花を咲かす。


曇天の空から降ってくるその光景は、まるで誰かの涙のようだ。


「あ……」



きっとこの封筒は彼の涙色。


……。



早朝の学校はやはり静かだった。昨日のようにこのまま真っ直ぐ校門裏に行けばいいだろうなんて余裕を見せていたくせに、校門前に立つ先生の姿にそう簡単にはいかないのだと知った。


「田口さん、おはよう」

「おは、ようございます…」

「昨日、無断欠席したよね?どうしたのかな?」


ニッコリと微笑むその姿は昨日の母の作り笑いを思い出させた。

怒っていても悲しんでいても大人は笑みを作るのだ。


「すみません、私、お腹痛くて電話できなくて…」

「違うよね。家にいなかったんだよね」

「え?」

「田口さんのお母さんがね、昨日、電話してきたんだ。宿題を忘れていってるから届けたほうがいいかって」

「そんな」


そんなこと、お母さんは昨日、一言も話さなかったのに…!


「なんで嘘をついたのかな。心配するって思わなかった?」


先生が一歩此方に近づく度、私は一歩下がった。

下がった理由はわからない。妖精を喰らう魔獣のように鋭い牙で八つ裂きにされるとでも思っているのだろうか。それとも、先生の方から闇が迫ってくるのだろうか。


「田口さん」


それは、受け止め方からすれば優しさだったのかもしれない。だけど、どう見ても嫌なようにしか受け取れなかった。正直な話をすれば二度とルーノに会えないかもしれない。だけど、上手い嘘は思いつかない。


早朝の住宅街に鳴り響く雀の声が逃げるように飛んでいった。私を置いて。


祖母がよく言っていた。嘘を吐くときは息を吐くようにって。

だけど、お婆ちゃん、私、上手く息を吸えないよ。



「ひまちゃん!おはよう!!!!」


正義のヒーローはいつだってピンチのときに現れる。

学校の校門を飛び出して私と先生の前に立った彼が私を喰らう闇を払い除けた。


「昨日のお礼をしたくてさ、待ってたんだ」

「え」

「俺の家の猫、一緒に探してくれただろ?」

「そうなのか?田口」

「あ、えっと…」

「先生、ひまちゃん、真面目だから授業のことずっと気にしてたんだ。でも、なかなか見つからなくて夕方までかかって…あ、そうだ。お礼のプレゼントを持ってこようと思ったんだけど、忘れちゃって。先生、まだ始業まで時間ありますよね?」

「あ、あぁ」

「ひまちゃん、俺の家、近くだから取りに行くのついてきてくれない?」


振り返った彼の瞳はの光を受けて宝石のように輝いていた。


「…うん!」


彼が言った言葉は全て真っ黒な嘘だ。だけど、こんなにも温かい。


「じゃあ、先生、行ってきます!」


彼は私の手を取って走り始めた。置いてかれぬよう私も走る。

屋根の影が私に被さっては通り過ぎて行く。遥か昔の道が残るこの街では、家々の隙間が狭すぎた。少し裏路地に入ると夜のように暗く、時折差し込む陽の光が埃を照らし星屑のように瞬いている。

走っている彼の髪が揺れていて、いつも前髪で隠されている顔がハッキリとわかるような気がした。覗き込もうとして視線が転落する。


「あ…」


よそ見をして前を見ていなかったのがいけなかった。緩やかな坂に足が縺れ咄嗟に手を伸ばしたが、受け身を取り損ねた。


「ルーナ!」

「大丈夫…」


膝だけでなく顔も擦り切れた。流れる血が痛い。


「大丈夫じゃないよ。…保健室に行こう。手当てしてくれるはずだから」

「大丈夫。こんなの擦り傷だよ」

「よくない。傷が残ったら大変だ」

「大丈夫だから、ねぇ、ルーノ」


私の言葉すらも遮って戻ろうとする彼を両手で止めた。


「戻りたくない…」


この言葉の意味を彼なら全て理解できたはずだ。


十人十色という言葉がある。

便利な言葉だ。十人いれば十人の考えがある、なんて多種多様を尊重するような言葉だ。だが、それは逆に「誰もお前の考えを100理解できない」という言葉でもあるのだと祖父は言っていた。


だから、私は彼と同じ色でありたいと思った。


「…もうちょっと、歩くけど…俺の家がこっちのほうにあるんだ」

「うん」

「ちょっとだけ歩くからね。痛いけど我慢できる?」

「大丈夫。私、まほう使いだから」


私達は息を吐くように嘘を吐く。

妄言が罪であるように、嘘は罪のひとつだろう。

きっと私達は地獄に落ちる。


「すぐ治る方法をね、知ってるの」

「じゃあ、俺がもっと治るのが早くなるように特別なおまじないかけてあげる」

「うん」


彼はゆっくりと歩いた。私の歩幅に合わせるように。

互いに喋ることはなかった。だけど自然と手を繋いでいた。


いつも通る通学路とは反対の場所。未知の世界。


コンコンコン、カンカンカン、トントントン


刻みのいい音が聴こえてくる…。包丁の音だろうか、それともトンカチで何かを叩く音だろうか。

遠くで学校のチャイムの鳴る音がした。膝に流れる血の痛みより、ギュッと胸を締め付ける何かの方がよっぽど痛かった。


私達は「ふつう」ではない。

だから、今もこうして学校に背を向けて歩いている。


それを悪いことだと彼は言った。

だけど、世界にとって悪いことが私達を守っている。


「ついた!」

「ここが、ルーノのおうち…?」

「うん」


彼の住んでいる家は小さなアパートだった。

一見、どこにでもありそうなアパートだったのに、その時の私には何よりも素敵な場所に見えた。彼の家だったからだろうか。それとも未知の場所だったからだろうか。


「わぁ…!素敵!」

「だろう?俺の城なんだ」


彼の家は一階にあった。ポケットから取り出した鍵でドアを開け、私を招き入れる。玄関に並べられた派手な靴は彼のものじゃないらしい。


「…母さんは…うん、帰ってきてないな」

「お母さん、帰ってこないの?」

「たまに帰ってくるよ」

「たまに…?」

「うん、まあでも父さんがいるから飯のことは心配しなくてもいいし」

「そうなの?」

「それより、えっと…救急箱は…あったあった。ほら、ルーナ、そこに座って」


彼は上手く話題を逸らした。そんなことに気づくはずもなく、私は言われた通り座布団に座ると彼は重たい救急箱を持って、私の前に置いた。ティッシュを取り出して血を拭うと救急箱から消毒液を出す。


「痛いけど、我慢できる?」

「うん」


ギュッと押し出されて出てきた消毒液は痛いほど膝に染みた。血とともに流れ落ちた消毒液をティッシュで拭って絆創膏を貼る。

次に彼は新しいティッシュを消毒液で濡らすと、それを私の頬に当て、ポンポンと優しく血を拭った。


「痛かったね。よく我慢できました」


そういって今度は頬に絆創膏を貼ると彼は私の頭を撫でた。


「大丈夫だったよ。ルーノが手当てしてくれたから」


ニッと笑うと絆創膏が外れそうだったので、笑いは最小限に留める。


「…傷が残らないといいけど」

「大丈夫。だって、傷が残ったら今日の事を思い出せるでしょう?」

「…本当に…ルーナは…」


アパートの窓から差し込んだ光は月のように淡く皓々と輝いていた。

それを直に受け、目尻に弧を描き柔らかに笑う貴方の顔がとても好きだ。


とても、好きだ。


「今日のこと、忘れないよ絶対」

「え」

「私、記憶力には自信があるもん」

「特別な日でもないのに?」

「私にとっては特別」


彼はヒーローだった。私にとっての。

戦隊モノのレッドみたいに華やかな色ではなかったかもしれない。

それでもヒーローだった。

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