第22話

「最愛の友人、ルーナへ」


その名前で呼ばれるのは随分、久しぶりだったはずのなのに拒否感はなく。

心の奥へとじんわり広がり、まだいたんだと感じさせたその温かさは痛いほどよくみた。

水色の便箋は安物で、大事に保管されていたようだけれど、封筒の端はすこし黒く、あれから長い年月が経っていたことを知った。もう、10年以上も前の話のなのか、と。


「この手紙が届く頃、俺はきっと君の側にいないだろう。だって、そうじゃなかったらこの手紙が届かないようにしているはずだから」


手紙の文字は随分、汚く見えた。

あの頃は美しいと感じるほど整っているように見えたのに、時間というものは残酷なほどに私を成長させた。

小さな便箋を埋め尽くす大きな文字。これが憧れていた彼の字だ。時折、滲んでいるインクはまるで雨に降られながら書いているよう。


「君はきっとその後、沢山勉強をして、沢山仕事をしているんだろうね。頑張り屋さんのルーナだから、きっと沢山、頑張ったんだろうな」


ふと過った彼の面影に手を伸ばす。

それはただ空を掴むだけだというのに。


「この手紙を書こうと決めたのは、俺がこの街から出ていかなければいけないと、昨日、知ったからです」


春の季節とともに行ってしまった彼。

まるで一夜見た夢のように跡形もなく消えた君。


「君に手紙を渡す方法が、伝える方法が、これくらいしか思いつかなかったんだ。随分、長い間、待たせてごめんね」


二月の寒さは手が凍えるほどだった。

家の中で読めばいいと思っているくせに、体は動かない。


「純粋で、俺なんかよりよっぽど綺麗で、可愛くて、小さくて、空いた穴を塞ぐように現れた大切な友人、ルーナ」



「忘れ物はありませんか?」


ルーナの物語が再び、動き出す。



……。


森に覆われた美しい神殿が世界の何処かにあるという。

月を守護する双子神を祀る月魄つきしろの神殿。

人々に忘れられ、木々の闇、奥深くへと追いやられた双子。


「…裏校舎にいる私たちと一緒だね」

「命あるものは何れ滅ぶというけれど、神様も一緒だったのかな」


新たな神は彼らを邪神と呼び、教徒たちはみな、己が信じていたものを忘れてしまう。忘れられた年月の数だけ柱にヒビが入っていく。誇っていた白も穢れとともに消えてしまった。


忘れられし神殿へ訪れる者よ。貴方に祝福を授けよう。

色を抱く貴方の願いを叶えてあげる。


「願い…かぁ」

「ルーナは何か叶えて欲しいこと、ある?」

「うーん、考えたことないや…」

「俺も」


双子の神はきっと兄妹だろう。私たちと同じように。

人々せんせいから忘れられても教徒なかまがいなくてもきっと二人だけで満たされたはず。なのに、誰かが其処へ訪れるのを彼らは待っている。


誰を?何を待っているの?


「願いを叶えてまで、どうして人を呼んでいるんだろう」

「…どうしてだろうね」

「二人だけじゃダメだったのかな」

「俺とルーナみたいに?」

「うん」

「そうだね…ずっと二人でいれたら、素敵だけど…」


忘れられた神殿へ行く旅は簡単ではない。

灼熱の砂漠を越え、気高く聳える山を越え、遙かな海を渡らねばならない。

例え辿り着いたとしても神殿の奥へ進めるとは限らない。


「私、思うの」

「ん?」

「きっとそこに大事な物があるの」

「たとえば?」

「えっと…んと……木、とか?」

「森の中に?」

「たぶん、他の木と違うの」


その木はきっと凍えるような寒さを持った月白げっぱくの木。

神殿に覆いかぶさる木々の隙間から星の光を集めてできた特別な木。

白の中に僅かな暖かさを持った春の木。


「もしかしたら、その木を守れなくなったのかもね」

「守れなく?」

「命ある者が滅ぶなら、神様だって滅ぶはずだから」


弦を弾いたように低い音が響くその森は人を惑わす。

木々の間から差し込む浅黄あさぎの光が波紋のように地面で泳ぎ、一歩踏み出す度に地面を鳴る足音がピチャンと水音みずおとを立てて、土の上を歩いていないよう。

頭上を覆う黒檀の木々たちは何かを守る兵士のように来る者をを睨んだ。風も凪ぐこの世界で彼らはザワザワと葉を揺らして来る者の不安を煽る。

緊張感を抱いたまま歩みを進めて行くと深まっていく霧が手招くように旅人を呼んだ。


やがて霧が明けていく…海のように澄んだあおの光。

照らされた神殿は、栄えていた日々の面影も消えるほど華奢だった。


階段横に立つ双子の像が旅人を試すようにじゅうじで道を塞ぐ。瞳に入れられた黒曜の石が夜の闇を抱いていた。

それを見て意を決したように旅人は息を飲む。

大きな肩掛けカバンから、差し出すように石を取り出した。


喜びの黄色

怒りの赤

欲の緑におそれの紫

哀しみの青と愛の白。


足りないのは…?


「黒って、単純に悪、って考え方もあるよね」

「確かに、黒色には悪いイメージしかないかも…罪の黒とか、ほら、刑事ドラマだったりすると犯罪者に対してあいつは黒だ、なんて言い方もするし」

「魔女狩りが流行っていた時代も黒い物は魔女の象徴として不吉って言われてたみたいだしね」

「黒かぁ…」


タイミングよく校舎裏を歩いていた黒猫がくぁっと欠伸をして駆けていった。


「ああして見ると可愛いけどね」

「私たちの髪も黒いけど…」

「ほんとだ。目も黒いね」

「ルーノのランドセルの色だって」

「ほんとだ。黒って結構、身近にあるなぁ」


日本人なら誰もが持っている色だ。

今じゃグローバル化してハーフだからと金髪や赤髪を持つ子も増えてきたが、それでもやはり黒髪の人がこの日本を多く占めていると思う。

黒い髪に黒い瞳、それが日本人の特徴だというならば、黒が不吉な色だというのはなんだか矛盾して聞こえた。


「夜の黒は好きだよ」

「夜の黒かぁ」

「いつもより街が静かでね、街頭の光もジャマだって思うくらい」

「夜の街を裸足で駆けたくなるよね」

「うん、真っ暗で見えない道ほど」


それを大人は危ないというし、本当に危ないことも知っている。

実際にするかと言われればしないだろう。

夜の街を走れるほどこの世界に自由はない。


犯罪がなければ?恐ろしいことを考える人がいなければ?


それでも私は自由になれなかっただろう。


来る茜空にカラスがカァと鳴いた。最後のチャイムが学校に鳴り響く。

行く青空に別れを告げて私たちは家へ帰らなければならない。


「最後の色、黒について私、考えてくるね」

「うん、俺も考えてくるよ」

「ルーノ、校門まで一緒に行こう」

「いいよ」


私たちの関係を友人、というのはすこし違うように感じた。

それよりもずっと近くて、でも遠い。

互いの家は校門から逆方向じゃなければ、この寂しさも消えただろうか、なんて空行く雲に問いかけた。雲は答えてくれない。口がないから。


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