第21話
世界にBGMをつけたとき、一体どんな音が世界に溢れるのだろうか。
危機的状況に陥った不安定なヴァイオリンの泣き声?
吠えるように唸るトランペットの音?
静かに鼓動を立てるピアノの旋律?
地球の悲鳴かもしれない。
神様に愛されている人は早く死ぬのだと思う。
誰もが死後の世界に行くことを約束されているけれど、天国へ行く片道切符の日付は神様が決めてしまう。その日付が近ければ近い人ほど、人に優しくある気がした。
誰からも愛されているように見える人、誰にでも平等に手を差し伸べる人、天使と呼ばれるような人や、誰よりも愛された人だって、呆気なく死んでしまう。
病や、事故や自殺によって。
私はポストに入った淡い水色の封筒に見覚えのある字を見つけ
吹いた風はまだ雪の冷たさを纏っている。
だけど、春を呼んでいた。
「最愛の友人、ルーナへ」
……。
給食を食べないで過ごす午後の時間は、腹の虫との戦いだった。
必死に戦って抑えていたはずなのに、教室からもれた食べ物の匂いに勝てることもなく、ぐーっと腹の虫が鳴いた。
「お腹すいた?」
「…うん」
「何か食べないとね」
思えばいつも彼はここにいるけれど、食事はどうしているのだろう。
教室に戻るのだろうか。それとも…?
「ちょっと待ってて」
「え」
「すぐ戻ってくるから」
考え込んでいた私を置いて、彼はすぐに立ち上がるとそのまま校舎裏を出て行ってしまう。
走るように行ってしまった彼の後ろ姿が見えなくなると、独り、取り残された校舎裏はやけに広く感じた。いつも独りでいたくせにたった数分の別れでこんなにも不安を感じるのは可笑しいことだろうか。
遠くで聞こえた笑い声が更に私を孤独にさせる。
人間は不安を感じたとき、心臓の音が煩く感じる。まるで体の全てが心臓になったように、早くもなく遅くもない鼓動の音が骨や肌を突き抜けて地面に
随分、暖かくなってきた春の日差しにブレザーは暑く、彼も私もそれを地面に脱ぎ散らかしていた。少し遠くにあった彼のブレザーに私は手を伸ばすと掴んでそのままギュッと抱き締める。
楽しい時間は一瞬なのに、ひとりぼっちのときに流れる時間はなんて長いんだろう。本当に時計の針は正しく時を刻んでいるのだろうか。私が目を閉じているこの瞬間だけ、動くのをやめていると言うのなら、ゆっくりに感じる時の流れにも納得できるのに。
彼が戻ってくることを私は知っているし、昨日も彼と別れて家に帰った。だけど、彼のいない校舎裏にいると「あれは夢だったんだよ」なんて言われそうで。
初めて孤独を感じたわけじゃない。だけど、それは更に色を濃くした。
塗りつぶして黒くなる前に帰ってきて欲しい。
「ルーナ」
震える両手で彼のブレザーに顔を埋めていた時だ。
地面を歩く足音に顔を上げると、視線の先にいた彼は驚いた顔をしていた。片手に黒いランドセルを持って。
「大丈夫?しんどい?」
「ううん」
「お腹痛い?頭?どうしたの」
彼はランドセルを放り投げて私に視線を合わせるようしゃがみ込んだ。ズボンが土で汚れるのなんて気にしないで。彼の優しさが痛いほど心に染みる。
「…寂しかった?」
聞かれた言葉にこくりと頷いた。泣くほどのことじゃないから涙は出さなかった。だけど、涙が出そうなほどに心は痛かった。
誰かにつけられた傷が開くように。
彼は私をギュッと抱きしめると言葉もなく背中をさすってくれる。こんなにも弱い私をくだらないと笑わない彼もまたこの痛みを知っているのだろう。その痛みは彼の優しさで癒えていく。でも、彼がいないとまた傷み始めるのだ。
その傷は生まれた時からあったわけじゃない。
でも、気がついたときにはそこにいた。
四六時中痛い日々が続くと、だんだんと麻痺して気が付かなくなっていく。そして、そのまま闇に葬り去ることが大事なのだと思っていた。彼に出会うまでは。
「大丈夫。大丈夫だからね」
「うん」
私達はきっと何かに飢えている。
だけど、その正体の名前を私達は知らない。
「ルーノ」
君の名を呼ぶ。
「ん?」
彼の声は魔法のようだ。全ての痛みが癒えていく不思議な力を持っている。
きっと心臓が抉られたって、足を切られたって、彼と一緒なら何も痛くないんだろうと疑わないくらいに。
たった二日で心を開くのは危険すぎる?危ない?ちゃんと相手のことを知ってから?
そう言った人たちほど私のことを知らないまま。
「お腹すいたね」
私の答えに彼は笑った。
「うん、だろうと思ってお菓子持ってきたんだ。普段は一人で食べてるんだけど、ルーナのぶんもちゃんとあるよ」
「ほんと?」
「もちろん。ランドセルいっぱいに詰めてるんだ」
彼は私から離れてランドセルを取りに行く。寂しさはもう風に飛ばされ消えてしまった。
「教室まで戻ったの?」
「ううん、でも、万が一先生がココに来たとき、ランドセルの中身を見られたら終わりだから普段は体育倉庫に隠してあるんだ」
「…いつもシャッターがしまってるあそこ?」
「うん。鍵を開けるのは得意だから」
思えば今朝も彼は図書室の鍵を開けていた。
どうやら彼にとって鍵というものは無いに等しいらしい。
それは一歩間違えれば犯罪に繋がる危ない力。
「すごいね。なんでもできるんだね」
「…いけないことだってわかってるんだけどね」
でも、きっと彼には必要だった力。
「悪い子だから、いいんだよ」
学校の校則は子供達を縛る鎖だ。それはときに子供を守り、ときに子供を傷つける。
団体行動をするためにはある程度、決められた規則がないと等速できない。ルールがあることで守られる物もある。だけど、校則を守り続けることが全てではない。完璧なルールなどないのだから、その鎖に痛めつけられるときだってあるだろう。本当ならそういったことから逃れる環境であったらいいと思う。
でも、学校にいるときは守らなければいけないという固定概念が付き纏う。朝早くに起きて、チャイムが鳴る前に教室の椅子に座り、授業を受けて、全てのチャイムが鳴り終わるまで帰ってはいけないと思っている。
…でも、本当は私たちが校舎裏にいて、体育倉庫にランドセルを隠し、学校を抜け出して図書館に行ったとしても、誰も困らないのに。
きっと私達の担任は見て見ぬ振りをするし、知らされなければ親は気付こうともしない。100点のテストとAが書かれた通知表、それさえあればこの世界で生きてくのに充分なはずだから。
「…ははっ、さすがルーナ。カッコいい」
「ルーノが教えてくれたんだよ」
「そうだったね」
私達は何かに飢えている。その何かを互いで埋めていた。
ポッカリと空いた無機質な穴に埋まっていくあたたかい光の欠片。
燃えるような太陽では照らせない、夜の闇。
「よし、これから食べよう」
「私、そのおかしすき!」
「俺も」
「明日は私も持ってくるね」
「じゃあ、一緒にバレないよう体育倉庫に隠そう。それで、次は一緒に取りにいくんだ」
「うん」
貴方は磨けば宝石のように輝けるのって母が私によく言っていた。
宝石は、太陽の光に照らした時こそ一番美しい輝きを放つと言われている。
なら、ただの石でいいと思ってしまう私は傲慢だろうか。
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