第20話

辛くてどうしようもないときに相談をするのはとても難しい。

何故なら、その辛さを受け止めてくれる人は多くないからだ。


どうしようもなく痛い胃を抑えて動けなくなったときだってあった。

どれだけ薬を飲んでも食生活を変えてもなかなか休めない日々を過ごしていたら治るわけもなく、辛いんだと友人に相談したとき


「死ぬ病気じゃないんだから大袈裟な」


と笑って返された。


そういったとき、私は人と私の間に大きな壁があるように感じる。

どれだけ好きであっても、笑って話していても、その壁が聳え立ち互いを友人以上にはさせない。彼女はその壁の存在に気付いているだろうかと思う時がある。きっと私だけに見えているのかもしれない。


そうして私は多くの友人と一線置いて付き合ってきた。

未だその壁を乗り越えてくる人はいない。


その壁の正体を貴方ならなんて答えただろうって想像した。

きっと貴方は心の傷だと答えるはず、なんて。


記憶の中の君はいつまでも笑顔だった。



……。



暗い森の奥深くに潜むその洞窟から帰って来た者はいない…。


そんな場所に輝く銀の剣を背負った青年がやってきた。

日の光も届かぬ暗い森を歩き、三日三晩歩き続け辿り着いた伝説の地…!

大きな洞窟の入り口に立つと強い風が彼に威嚇した。まるでこの先には行かせないとでもいうように。唸るような風の声は恐ろしい獣の鳴き声にも聞こえる。ゾワリと背筋に立つ鳥肌が彼の手を震わせた。


彼は喜んでいたのだ。今まで感じたことのない恐怖に。


「むしゃぶるい…?」

「そう。武者震い。これから起こる戦いに興奮して震えることをいうんだ」

「そんなことあるんだ…」

「死ぬか生きるかの世界にいたら普通にあることなのかもしれないね」


私は先ほどまでいた図書館を思い出した。お婆さんの酷く喚く声に私は震えていたが、興奮していたわけではない。それは彼も同じだろう。


「…怖くないのかな」

「どうだろう。昔の世界はきっと死と隣り合わせだろうから」


未知の世界は開拓され、医学も発達した今、遥か昔の時代のように人の死体が並べられることは滅多にない。あったとすれば大きなテロか事故が起きたときだけだ。

殺人や事故、病死だってあるけれど、刀で刺されることはない。


「ずっと死ぬかもしれないって生きるのはどんな気持ちなんだろう」

「想像がつかないね。俺たちは平和な時代に生まれたから」


それでも何処かで戦争は続いているし、瞬きする間にも誰かが死んでいる。


「私ね、ときどき思ってたの」

「ん?」

「違う時代に生まれたらもっと幸せだったかなって」


女子供が政治の駒として扱われた時代

侵略に侵略を重ね戦争が絶えなかった時代

災害を神の祟りだと信じて生贄を捧げた時代

守護神を邪神に塗り替えていく世界


「でも、やっぱりこの地球ほしの上じゃ、同じだったかも」


私達の足はこの世界のどんな場所にも飛び出せるようについている。

だけど、幼いこの体ではこの地域を抜け出すことは許されない。

一度だけ家出をしたことがある。玄関の扉を開けて勢いよく宵闇に飛び出した。走って走って走り抜けて知らない未知を駆け抜けて辿り着いた河川敷。座って呼吸を整えこれから先どうやって生きるのかと不安を感じたあの日。

幸か不幸か巡回していた警察に尋ねられ、家へ戻されたわけだが、あのまま別世界へ飛びだって行けたらどうだったのだろうと思い返すことがある。


「ガリレオはさ」

「うん」

「地動説を信じてた。でも誰も彼の言うことを信じなかった。今じゃ地球が太陽の周りを回っているなんて常識なのに」


彼は茶色い地面に大きく丸を描いた。その横に小さな丸を描き、その横から大きな丸をぐるりと囲うように線を描く。太陽が地球の周りを回っているように。


「俺達は地動説みたいにすごい大発見をしたわけじゃない。だけど、この世界の常識が間違っているように感じてる。そうだろ?」


世界から否定されているような感覚。胸の痛み。普通ではないこと。


「それって、ガリレオみたいだと思うんだ」

「どうして?」

「だってそうだろう?彼は当時、普通じゃないことを信じてた。俺たちも普通じゃない…何かはわからないけど…その何かの方が正しいって思ってる。だからこの世界は間違ってるように感じる」

「それは…教室がとてもうるさく感じることも入ってる?」

「もちろん」


いつの日か、私達の普通が、全ての人の普通になる時が来るのだろうか。

それはきっと理解できている内容を何度も聞かされるような授業がなくって、同じドラマを見ていなくても邪険に扱われることはないし、同じ気持ちを抱く人と一緒にいることが一番幸せだと思えること。


きっと世界には幸せが欠けている。


「ガリレオは…信じてることを信じてもらえなくて辛かったと思うの」

「うん」

「でも、私はルーノが信じてくれるから幸せだよ」


辛いという字と幸せという字はよく似ているけれど、成り立ちは全く違う。針を描いた辛と手枷を描いた幸。

辛いという字に一本棒を足すと幸せになると以前、テレビで言っている人がいた。それは辛い時期を乗り越えたときに幸せが訪れるのだと解説していたけれど、私はそうじゃないと思う。

一度抱えた辛いは消えない。ありもしない噂でつけられた見えない傷のように。幸せを抱いても辛いはずっと心のどこかにいる。記憶を塗り替えても一本棒を足してもずっとそこにある。


私はそう感じた。他の人がどう思っているかは知らない。


「俺はルーナがときどき、実在しない人なんじゃないかって思う時があるよ」

「なんで!?」

「俺のことをこんなに好きでいてくれる人は今までいなかったから」


私は辛いを抱えて生きてきた。彼も辛いを抱えて生きている。

私たち二人の辛いが重なったから幸せになったのだろうか。


一人になればそれはまた辛いに戻るのだろうか。


「この時間が、永遠に続けばいいのにって思うの」

「俺もそう思うよ」


太陽が地球の周りを回ることはない。永遠に。

だけど空の太陽は弧を描いて西へ沈んでいく。回るように。


それは花が枯れるように、人が死ぬように、当たり前のこと。


「太陽はどうしてこんなに眩しいんだろう」


全てを燃やすように輝くその星が私達つきには眩しすぎた。

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