第16話

好きの反対が嫌いでは無いと子供の時に知っていたら、何か違っただろうかとふと思う時がある。お前のことなんて嫌いだ!と怒鳴っていたあの子もどうしても嫌いなのと嘆いていた母もまた違った風に見えたのではないかと思う。


そういったことを言われて傷ついた自分もいれば、怒っていた自分もいて、悲しんでいた自分もいる。そうしたことを客観的に気づけるのはいつも大きくなったあとで、大事なことを知らないままだと嘆くのだ。

学校という場所がそういったことを教えてくれる場所だったなら、もっとしっかり通っていただろうかとふと思う。それでも通わなかっただろうか、なんて苦笑した。


学校に通わなかった私も「私」なのだ。

きっと違っていればまた違う「私」がいただろう。


私は今の自分を愛している。それは学校に通わなかった時間があったから。

そういった意味でも彼という存在が今の私を作るにあたって重要な人だったのだと振り返った今なら思う。


今、過去に戻れたなら私は彼に何ていうのだろうか。


ふと窓から見た空は相変わらず晴れていた。


……。



「図書館も悪くないだろ?」

「…うん!」


家から出る度に見上げていた晴天はいつも灰色に染まっていた。

それは学校が近づくにつれて闇の黒を抱き、どんなに澄み渡った美しい晴天も私には嵐の夜に見えていた。暗闇は嫌いだ。いつも一人で寝るのが嫌だった。

扉の隙間から聞こえる両親の怒鳴り声、雷鳴を轟かせながらピシャリと光る稲妻の恐怖、得体の知れない者たちが隠れているのではないかとふすまを開くことすら恐れていた。


そんな夜が永遠に続いているような感覚。

空の暗さが怖くて地面ばかり見ていた日々。


私の世界から消えていた色は突然として戻ってきた。


図書館の最上階、ガラス張りのその部屋から見える世界は青だった。

雲ひとつない晴天…ではなかったが、その青は何よりも美しく見えた。


空の青というのは実際、幻みたいなものだ。

海の水を汲み上げたら透明だったように、空の青さもまた目の錯覚だと知っていた。太陽の光がなければこの星から見えるものはプラネタリウムで見る満点の星空だったかも知れないし、違う星の光によって別の色に変わっていたのかも知れない。

美しい空の青は手に取れば透明だ。地球は青かった、なんて言い方をするがその青も実際、青に色付けされているわけではない。


そうした科学的理由を知っていても人は空を見て綺麗だという。

遥か昔、青の塗料は金より高価だった。それでも人は求めたのだ。

美しい青を。


「綺麗だね」

「ああ、綺麗な空だ」


今ならわかる気がした。人が空を見上げる理由を。


「空にはさ、神様が住んでるんだ」

「神様?」

「そう。毎日空の色を決めてるの。今日はちょっと黒入れよーとか、今日は青にしよーとか決めてるわけ。そんで、今日は水色たくさん入れたあとに丁寧に塗るのがめんどくさかったんだろうね。白いところいっぱいだ」

「ふふ、そんな適当に決めちゃうの?」

「神様ってそんなもんだよ。きっと俺たちが空を見て綺麗だと思ってることすら知らないんだ。きっと知ったらビックリするだろうね。俺の落書きなのに!って」

「ふふ、ラクガキなんだ」

「空から見たらさ、この綺麗さがさ、わからないんだよ。きっと」

「私たちにしか、わからないのかな」

「うん、そうだよきっと」


休憩室に置かれた茶色いソファはまぁるく円を描いている。それは2人で大の字に寝っ転がるとピッタリとハマる大きさだった。顔に当たる太陽の光は眩しかったが、私たちは日焼けを気にするような年頃でもなかった。


「だから、神様は可哀想な人なんだよ」


見る人によって見える色が異なるように私から見たこの空の青と彼から見たこの空の青はまた違う色なのだろう。それでも今、見えていた空の青はきっと同じだったと私は知っている。


「あれはドーナッツ」

「あれはケーキ」

「じゃああれは?」

「あれは……馬!」

「空をかける馬だからペガサスだね」

「翼はあるかな」

「あれ、羽に見えない?」

「ほんとだ」


世界は違うことを恐れてる。同じであることを望んでいた。

私たちは違っていた。でも二人は同じだった。

この意味がわかるだろうか?ううん、きっと世界はわからない。


「青は愛の象徴だと思うんだ」

「青?赤じゃなくて?」

「だって、赤い夕日はさよならだけど、青い空になったら会えるだろ?」


学校から繋いだ手を今日、離したことは一度もない。この手を繋いでられるのは空が青いときだけ。それを彼は愛と呼んだ。


「でもね、私はルーノと見るなら夕日の赤も好きだよ」


愛という言葉は曖昧だ。漢字の成り立ちを聞いて元になったloveの意味を知ってもハッキリとした定義はない。親から受ける叱責を愛と呼ぶ人がいれば、恋を愛と勘違いしている人もいる。それならば、この幼い愛も正解になるのだろうか。


「そっか。…うん、そうだね。一緒なら」


私はこのとき、世界中の人たちが幸せであったらいいと願った。

せかせかと歩いていたサラリーマンの人も音速で通り過ぎた自転車のお姉さんも、この場所を押してくれたお姉さんに連れて行ってしまったお兄さん、お母さんにお父さん、ちょっと嫌だけどクラスメイトや先生も。

みんなが今、この瞬間、幸せを感じていたらいいと思った。


愛も曖昧だが幸せも曖昧だ。戦争中の子供たちはきっと私を幸せ者だというだろうが、幸せだと思ったことはほとんどなかった。

だけど今は幸せだと思う。空の青を知ったからだろうか。


神様は可哀想な人だと彼は言った。

 空の美しさを知らないからだ。

それなら私は多くの人が可哀想だと思う。

 きっと空の美しさを知らないから。


ふとした瞬間に見上げた空の色が美しいと思えるこの気持ちを表現する言葉があるだろうか。それだけで全てが満ち足りるようなこの空に負けぬような感情の名を。


私はそれを愛と呼んだ。






ーーーーーーー

⭐︎前話の前置きを書き忘れていることに気づきましたので修正しておきました。もしよければ見てくださればと思います。よろしくおねがします。

いつも愛読ありがとうございます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る