第7話 薔薇の園

祖母はよく私に女の子らしくしなさいと言っていた。

女の子らしく、とは実際どういったことなのか大人になった今でも曖昧だと思うのだが、ああいった言葉は呪いだと思う。


当時の私は女の子は女の子らしくいるべきだと思い、母が「かわいいから」と選んだピンクのスカートやハンカチを好んで使っていた。

だが、本当の私はピンク色よりも青が好きで、友人のお弁当を包んでいたナフキンの水面を描く爽やかな色を羨んでいた。

それでも女の子らしくあるべきだと買うもの全ての基準としてピンクを選んでいたわけだが、結果として私はピンクが一番嫌いな色になった。


そうして嫌いになってしまう色があることを私はとっても悲しい事実だと思っている。だって、ピンク色も本当は素敵な色だったはずだから。


……。



朽ちた古城に揺らめく旗が僅かに差し込む光を遮ってはまた揺れて別の光をも消していく。その旗の赤はどんな赤だったのだろうか。


赤、というと一色に限られるように感じられるかもしれないが、赤にだって多くの色がある。

真っ赤に燃える太陽のあかに、ほんの少しだいだいが混ざったあか。鮮烈な鮮血の赤だったかもしれないし、落ちた枯れ葉の黒ずんだ赤かもしれない。

また、別の角度から見れば私達はピンクだオレンジだと呼ぶけれど、古き時代では赤と呼ばれた色もある。薄い桃色を纏う桜の色も神社の鳥居を彩る朱色しゅいろも、過去を遡れば等しく赤と言った人がいたに違いない。

きっと同じ赤と呼ばれる色でもそこに住まうあるじによって色が変わって見えたことだろう。


遠方に住む麗しき姫君のつややかな唇の赤

庭に咲き誇るあでやかな薔薇の赤

戦場を覆う炎の揺らめく赤

零れ落ちた宝石の瞬きの赤。


嗚呼、一体、どんな世界だったのだろう。


「庭いっぱいに広がるバラの畑」

「じゃあ、城に伸びた蔦も荊棘のよう、じゃなくて本当に荊棘だったのかもしれない」

「じゃあ、その城にたっくさんバラが咲いてたのかな」

「なんで薔薇だったんだろう」

「うーん、赤、だから?」

「別に薔薇だけが赤なわけじゃないだろ?」

「うーん」


積み上げた石が崩れ、その隙間から顔を出した薔薇の芽はきっと季節が来れば城中を赤に染めるだろう。


「赤いバラはじょーねつの愛!ってこの前、聞いた気がする」

「情熱の愛かぁ。じゃあ、すごい愛妻家の人だったり…?」

「あい…さい?」

「奥さんをすごく愛してる人ってこと」

「じゃあ、奥さんは赤が好きだったかもしれないね」

「もしくは、その猛烈なアピールのせいで好きになったかもしれない」

「たしかに。いっぱいのバラを毎日見てたら好きになるかなぁ」

「飽きる時もあるだろうけどね」


朽ちていた城の時間を巻き戻す。

崩れ落ちた柱も壁もあるべき姿へ。


城中にある簡素な両開きの窓。

それを一斉に開くと優しい風とともに城中を満たす薔薇の香り。雨に濡れた土の匂いも消し去るほどの情熱的で芳しい薔薇の香り。


最近ではアロマや香水なんかが流行っているというが、やはりそういった人工的な匂いと生きた花の香りは比較できないと私は思う。

比べるにしては立っている土俵が違うといわれるかもしれないが、わざわざ花屋から買ってきて家に飾る理由がわかる気がした。


「今は城をおおう木もきっともっと背が低いか、なかったか…」

「太陽の光をいっぱいに浴びる美しい城だったかもね」

「ねぇ、紋章にバラを付けたそうよ」

「薔薇?いいよ」

「バラはね、練習したから描けるの」


大きな王冠を挟むように二対のキマイラ。

王冠にかけられたネックレスと背後に刺すように描かれた剣。それを囲うように蔦を伸ばして薔薇を咲かす。ひとつ、ふたつと咲いていったその薔薇には赤がよく似合った。


「上手いじゃん」

「でしょ?これは練習したの」


絵を上達させるためだと手近なものを必死に模写したことがある。

そのなかで頻繁に描いていたものは花だ。


私の母はテーブルに花を飾るのが好きだった。スーパーの一角に置かれた花束はとても素敵とは言えなかったけれど、それらが母の手によって見違えるほど美しく飾られていくその様を見ているのが、とても好きだった。


だから、その姿を模写したのだ。沢山、たくさん。


たまに飾られる薔薇の花が特別に見えて枯れないうちにと一番練習したのを覚えている。結局、どれだけ練習しても小学三年生のクオリティだったのは確かだが、我ながらよく描けていると自慢に思っている。


褒めてくれたのは彼が一番最初だったが、それで充分だった。


「バラの花はね、本数で花言葉が違うんだって」

「へぇ、そうなんだ?」

「全部覚えてないけど、108本でプロポーズになるんだって」

「中途半端な数字。なんで8?」

「わかんない。そういってたんだもん」

「こういうのも頭いい人だとわかるのかな」

「今度調べてくる!家にね、パソコンがあるの。パスワード知ってるから、誰もいない時なら検索できるよ」

「俺も調べてくるよ。図書館とか、それこそいろんな方法があるもんな」


スマホなんてない時代だったから、外の世界を知るにしても手段が少なかった。携帯というのはスマホと同じようにネットを介することができたけれど、無断で使うには難しい代物だった。

なのにスマホと同じで肌身離さず持っている物だったから、履歴を消したりする手段を調べる間に見つかって取り上げられてしまう。


だが、幸いなことに私の家にはパソコンがあった。

父が仕事で使うのだと買って帰ってきたパソコンはいつも埃をかぶっていたけれど、家に誰もいない時、こっそりと電源をつけて色んなものを調べることができた。


まるで羽が生えたように自由になれるそんな感覚。誰も教えてくれないことへの疑問を知らない人が答えてくれる世界。


だけど、彼といる時間はそれよりももっともっと、自由だ。


「学校の図書室は…入れないもんね」

「まあ、入る方法がないわけじゃないけど」

「え」

「でも、リスクはでかいかな。人の出入りが激しいし」

「授業内容によっては人が来るとき、多いから…」

「流石に全クラスの時間割を覚えるわけにはいかないもんなぁ」


はあ、と互いにため息を吐く。

学校の色んな場所を自由に行き来できる魔法の鍵があったら素敵なのに。

普段は透明だけど、欲しい時にパッと手に現れて色んな場所の鍵を開けられる素敵な道具。それに透明のマントだって欲しい。そこに人が来たって私達の存在がバレないように。


「ルーナは三年生だよな?」

「うん」

「じゃあ、三階に音楽室あるだろ」

「あるよ」


学校の校舎はコの字型でできている。

その一番端に位置する三年生校舎は他の校舎とは繋がっておらず隔離されているため、他の学年の出入りは元から少ない。一階は図工室に陣取られており、二階が教室、三階は音楽室となっている。


一階の図工室は専用の道具などが置いてあるため、他学年が使用しているのを何度か見かけることがあった。だが、音楽室が使われているところを見たことは0に近い。


……私の考える理由としてはそれぞれの教室にピアノが置いてあるのと、基本の音楽授業はリコーダー演奏のみ。そして極め付けに三年生以外は移動が大変だったからだと思っているけれど……。


稀に合奏などで木琴やタンバリンを使うことがあると練習のために出入りが激しくなる。だけど、そういったことは秋の演劇会前後だけ。

その演劇会すら隔年で行われるのだから、当たり前のようにほとんど人が出入りすることはない。人が出入りしないことから、お化けが住んでいるなどの噂が広まり学校の七不思議認定された今、わざわざ三階に行きたがる人はほとんどいない。


三年生になったのは1ヶ月にも満たないのだから、私自身も行く機会がなかった。


「音楽室の階段はさ、屋上に繋がってるの知ってた?」

「え、うそ」

「他の階段は出入りが激しくてシャッター閉められてるんだけど、そこだけなぜかノーガードなんだ」

「じゃあ、ルーノは屋上に行ったことがあるの?」

「もちろん……っていっても、ここ以上に居心地がいいわけじゃなかったけど」


屋上というのは生徒の憧れだ。

たまに見るドラマや漫画の中の主人公たちは屋上でお弁当を食べたり、そこでサボったり。だが、現実の学校は屋上への扉に鍵をかけていることが多い。

当たり前の理由だが、自殺する人が出入りしないように。

また、そういう意図がなくても何かの拍子で落ちてしまう可能性が0になるわけじゃないから閉めたい理由は理解しているつもりだった。

それでも絶対に行けない開かずの間へ行ける方法があるという事実に私は胸を躍らせる。


「やっぱり高い?」

「うーん、3階から見る景色よりはいろいろ見えたよ」

「わあ」

「あのときは…思ってるより高くてびっくりしたから、すぐ逃げちゃったんだけど…ルーナといったら楽しいかもね」

「うん!一緒に行こうよ」

「じゃあ、今度、必ず連れていくよ」

「うん!」


指きりげんまん嘘ついたら針千本のます。ゆびきった。


開いている窓から教室に飛び込まないように、小さな声で歌った。

5時間目の授業は眠たくなるのか、いつも静かだ。時折、先生の怒り声が飛び出してくるが、それ以外は何も邪魔するものはない。


いつか行く屋上の景色は、今見ている城よりももっと素敵だろうか。

目を閉じればすぐに目蓋の奥で満開の薔薇を咲かせているその城。


薔薇の赤を私は情熱の赤だと言った。

だけど、愛する妻への赤だったのなら、ピンクも赤と呼べたのなら、恋の赤でもいいかもしれない。私はそう思った。

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