chapter.2 雪の女王

 季節がめぐり夏になっても、オレとアキとは相変わらずだ。

 視線は常に感じるが、目が合うとすぐにらされる。

 あーもうホント、オレが何したっつーんだ、くそっ。


 薄暗い昇降口で、叩き付けるように靴を下ろしたオレへ、「どうしたぁ、怖い顔して」と、佐藤が声をかけてきた。


「別にっ。夏休みの宿題、なんで読書感想文だけあるんだろうなって」


 オレは適当に誤魔化す。


「いーじゃん、楽で」

「楽じゃねーよ。何読むか、考えんのすらめんどくせー」

「だったらアレにすれば? 『雪の女王』。どーせまだ読んでねーんだろ?」

「ねーけど、それ課題図書入ってねーじゃん」

「確かに。じゃ俺、部室寄ってくから、また新学期な」


 佐藤と別れ校舎を出ると、真上にある太陽が、ギラギラ容赦なく照り付けてくる。

 東京とは思えぬほど圧倒的に緑は多いが、谷間たにあいにある町だからか熱がこもってやっぱり暑い。

 死ぬほど暑い。

 山に湧き立つ入道雲が、雨を連れてこないだろうか。

 せみ時雨しぐれと日光だけがさかんに降りそそぐ中、いつもの道を途中で外れ、踏切の先にある市立図書館へと向かう。


 夏だちに囲まれたひなびた図書館へ来るのは久しぶりで、改装したとか聞いてたが、大して変わっていない気もする。

 間違い探しをするようにぐるりと辺りを見回して、一番大きく違うのは、アキがそこにいないこと──。

 建物に染み込んだ本のニオイが、ノスタルジックな気にさせるのを振り払い、オレは感想文用の本を探す。

 指定されたものから薄いヤツを適当に選び、さっさと借りて帰ろうとしたら、偶然にも見つけてしまった。

 アンデルセン童話集。

 佐藤がいってた『雪の女王』もあるだろうか。

 棚から抜き出しパラパラめくると、それはすぐに見つかった。

 なるほど、確かに出だしは似ていると、いえなくもないかもしれない。


        ◇◆◇


 あるところに、ゲルダという女の子とカイという男の子がいた。

 ふたりはとても仲良しだったが、あるときカイの目と心臓に悪魔の鏡の欠片かけらが刺さり、それからカイは変わってしまった。

 その後現れた雪の女王が、カイをどこかへ連れ去ってしまい、残されたゲルダはカイを探す旅に出る。


 苦難の末、雪の女王の宮殿にたどり着いたゲルダは、カイを見つけて喜びの涙を流し、その涙がカイの心臓に刺さった鏡の欠片を溶かして、彼は元の優しい心を取り戻す。


        ◇◆◇


 ざっと走り読みしたオレは、本を閉じて棚へ戻した。

 面白そうとは思ったが、じっくり読む気にはならなかった。

 もし、アキの目に入ったものが、物の見方が変わってしまう悪魔の鏡の欠片だったら、アキのカノジョのゆきセンパイが、実は恐ろしい雪の女王で、アキをさらっていこうというなら、オレも死ぬ気で頑張って、なんとかしようとするかもしれない。

 だがこれは、おとぎ話なんかじゃなくて、アキがオレにだけ。

 泣いても何も変わらない。

 それより今は早く帰ろう。

 アキと会っても気まずいし──。

 そう思い、急いで借りて帰る途中、オレはばったり出くわしてしまった。

 アキに、ではなく、カノジョの雪野センパイに。


 高校生になって、ますますキレイになったその人は、夏の暑さを感じさせない涼しげなたたずまいで、甘く爽やかな香りをまとい、肌の白さを引き立てるクセのない濡れ羽色の長い髪や、細面の人形のような顔立ちは、雪の女王というよりも雪女の風情ふぜいがある。

 思わずぼーっと見入っていたら、さくらんぼ色の可憐な唇が動き、透き通った声とともに花のような笑みがこぼれた。


「こんにちは、くろふゆくん」

「えっ? 雪野センパイ、なんでオレの名前……」

「キミだってわたしの名前知ってるじゃない」

「そりゃ、有名だし」

「そう? わたしはアッキーに聞いたの」

「アッキー?」

西園さいおん秋人あきひと

「ああ……」


 なるほどと思っていると、センパイはさらりと髪をかきあげ、黒目がちな目をすうっと細めた。


「美冬くん、ホントにカワイイわね」


 言い方にトゲはないけどカチンとくる。


「男がそんなこといわれても嬉しくないですけど」

「あら、ごめんなさい。アッキーがいってたとおり、表情がくるくる変わって、可愛かったからつい」

「えっ、アキが?」

「そうよ。キミのことカワイイって」

「なんだよ、それっ」


 冗談にしても笑えねぇ。


「ねぇ、キミはアッキーのことどう思ってるの?」

「どうって、昔は友達だったけど、今はただのクラスメートですよ」


 少なくとも、カワイイとか思ったことなど一度もない。


「ふーん。でも彼はキミのこと、昔っからオトモダチとは思ってなかったみたいよ」

「えっ?」

「仲たがいするずーっと前から、友達とは思ってなかったって、はっきりいってたもの」

「ウソだろ……」


 アキがそんなこというハズない。

 でも、だったら彼女がウソ吐いてるっていうのか? なんのために?


「ウソじゃないわよ。疑うなら直接聞いてみたら? じゃあね、美冬くん。お話出来て、嬉しかったわ」


 センパイが去り、その残り香が溶けて消えても、彼女のいったアキの言葉は、根雪のように残り続けた。

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