第29話 石倉くんがやさしい

「どうかしたのか?」

「真島くん、この曲知ってる?」

「知らない。聞いたことはあるかも」


 真島くんはよく考えもせず、そう答えた。

 私もそうだ。

 聞いたことはある。クラシックの曲かな? くらいだ。


「ユウちゃんがこの曲名を言った。記憶喪失なのに」

「ええ? 記憶が戻った?」


 ユウちゃんを見る。首を振って否定する。

 記憶が戻ったわけでもなく、無意識に言葉が出たような感じ。

 考えてみれば、学校の存在とか社会常識とかは記憶がなくても知っている。ユウちゃんにとっては、それと同じくらいの常識として知っているのかもしれない。


 私たちの会話が邪魔をしたのか、ピアノの音が止んだ。見ると、みんなでこちらを見ている。

 しまった。うるさくし過ぎた。

 もういいや。どうせ邪魔したのなら、確認しよう。

 音楽室のドアを開ける。


「練習中にすみません。今の曲、モーツァルトの……」


 あれ? 何だっけ?

 音楽教師が前に出る。少し、怒っているようだ。


「ちょっと、演奏の邪魔しないでください」

「すみません。今の曲の題名を知りたいんですが……」

「モーツァルト ピアノソナタ 第八番 第一楽章」


 そうだ。ユウちゃんは確かに、そう言った。


「有名な曲なんですか?」


 ひどい聞き方だ。


「まあ、そうね。あなたもどこかで聞いたことあるでしょ?」

「はい。でも、題名までは知りません」

「音楽やっている人、特にピアノをやっている人なら、知っているでしょうね」


 やはりそうか。

 ユウちゃんはピアノをやっていたのかもしれない。

 記憶にはなくても、潜在的には覚えていたのだ。

 よし、手がかりが一つ増えた。


「ユウちゃん、あなたピアノをやっていた。覚えてない?」


 ユウちゃんは、いつもの考えるポーズをとる。

 かわいいんだけど、ちゃんと思い出そうとしてる? なんか真剣さが足らないように見えるんだけど……。


「わかんない。でも、三小節目のはじめのところ、一音ずれていたのは分かる」


 おお。すごい。それが本当なら、やっぱりピアノに詳しい。


「ちょっと、里山さん? なに独り言……」

「三小節目のはじめ、一音ずれてました?」


 不快そうな音楽教師の顔が、変わった。驚いているようだ。

 ピアノを弾いていた生徒の方を見ると、やはり教師と同じ顔をしている。

 決まりだ。ユウちゃんは、ピアノをやっていた。


「里山さん、あなた、ピアノやってるの?」

「いえ、私はやってません。練習の邪魔しました。失礼します」


 頭を下げ、扉に向かう。教師の「ちょっと、待って!」という言葉を無視し、教室を出た。

 真島くんが後から、追いついて来る。


「今の、もしかしてユウさんが当てたのか?」

「そう。ユウちゃんはピアノに詳しい。弾いていた可能性大」

「おお、重要な情報だ。さっそく……」


 真島くんはスマホを取り出し、電話をかける。「まだ、いるのか?」「今から行く」などが聞こえた。


「行くぞ、視聴覚室」

「え? なんで?」

 


 視聴覚室の扉を開けると、冷房の風を感じた。気持ちいい。

 学校内でクーラーのある場所は限られている。視聴覚室もその一つだ。今の時期は、生徒たちにも開放されていて、ここで勉強している者も多い。今も数人の生徒が勉強中だ。

 真島くんが進む先には、見知った顔があった。

 やばい。石倉くんだ。

 真島くんは石倉くんに、「外に出よう」という仕草をし、うなずき、立ち上がった。

 一緒に、教室を出る。


「ユウさんの新情報だ。彼女はピアノをやっていた」


 石倉くんは考え、うなずく。


「コンクール歴とか調べてみようか……コンクール出場者から情報を得られるかも」


 え? なに? 石倉くんが?


「ああ、石倉がユウさん探しのチームリーダーだ。情報収集が得意だというから、協力してもらったのだが、いつのまにかこういう形になったみたいだ」


 そうなの? 石倉くんはそんなにハイスペック? チームリーダーってチームがあるの?


「ありがとう。知らなかった」

「ただのまとめ役です。みんな里山さんのためならって、喜んで協力してくれますから」

「……私のためなら?」


 え? どういうこと? 私のためならってなに? 真島くんが頼んだからでしょ?


「みんな感動してますよ。名前も知らない、亡くなったかもしれない友人を探してるんでしょ? 生きてるといいですね」


 石倉くん……なんて優しい言葉。

 似顔絵を描いてくれて、今もこうして協力してくれる。

 石倉くんがいてくれて、本当に感謝だ。

 こんなにしてくれているのに、約束を先延ばしにする私は、悪い娘だ。

 反省します。

 でも、生きていることはないんだよ。なぜなら、ユウちゃんは幽霊なんだから。


「よろしくお願いします。それから、約束のデートの日にちを決めましょう。遅くなって、ごめんなさい」

「あ、いや、まだ解決していませんし、焦ることは……」


 よかった。怒ってはいないようだ。

 それに、ガツガツしてない。

 報酬のデートってなんだよ、って思ったけど、石倉くんはいい人だ。


「どれだけかかるか分からないし、早くしましょう。石倉くんだって、受験勉強しなければいけないし、お礼は先にしたいです」


 そうだ。私なんかでいいのなら、いますぐデートしてあげる。

 感謝をこめて。


「それなんだがな、石倉」


 真島くんがなぜか割り込んできた。


「里山とデートするに当たって、確認したいんだが……」

「なんだよ、真島」

「まさかとは思うが、初デートでいきなり、手を握ったりはしないよな?」


 え? 真島くん? 何言ってるの? 

 デートは手をつなぐものだとか何とか言ってなかった?

 初デートで、私たち手をつないだよね?


「馬鹿言うな。そんな恐れ多いことするかよ。相手は里山さんだぞ。デート気分だけで充分だ」


 いやいや、石倉くん? そんなに怒ることじゃないよ。

 恐れ多いって、たかが私だよ。

 手ぐらい握っても大丈夫だよ。デートなんだから。


「そうか……それならいい」


 真島くん? 真剣な顔してなにを納得しているの? 

 そもそも石倉くんに、そんな確認する必要ないよね? 

 とぼけているの?


「まきちゃん、次、行こうよ」


 ユウちゃん? あんたまで何言ってるの? あなたの問題でしょうが。


 石倉くんとは、デートの約束の日を取り付けて別れた。

 学校を回る。

 ユウちゃんは、ずっと楽しそうにしていた。

 だが、ピアノみたいに、記憶を刺激するようなことはなかった。


 サッカー部の練習を見ていると、後輩たちが真島くんに気付いて、集まりだした。

 私は少し、後ろに引いて距離をとる。

 彼女でもないのに、一緒にいて、変な誤解をうけたらたいへんだ。


「先輩、登校してたんですか? いっしょにやりませんか? 気分転換に」

「そうだな、やるか」


 走り出そうとして、振り返り、「先、帰ってくれ」と叫ぶ。

 真島くんも心残りだろうから、誘われてうれしそうだ。

 後輩の子達、ナイスだ。


「でも、いいんですか? 彼女、ほっといて」

「え? ああ」


 彼女に間違えられた……恥ずかしい。

 真島くんも否定しなかったのが、うれしい。

 面倒だからだろうけど……。


「なんか青春だな。私も青春したいな」

「じゃあ、ショッピング行こう。学校帰りに友達とショッピング。なんか青春っぽくない?」

「行く行く。まきちゃんとお買い物、やっと一緒に行ける」


 ユウちゃんがはしゃぎだす。

 私も楽しみだ。

 

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