第28話 モーツァルト

 朝、学校へ行く準備をしていた。

 受験生として、補習に参加するためだが、ユウちゃんが私の通う高校へ行きたいと希望したためでもある。

 模擬試験を行い、その解説及び、傾向と対策のための特別授業という流れだ。

 強制参加というわけでもなく、ユウちゃん探しで忙しかったために欠席していた。

 除霊までのタイムリミットもなくなり、また、ユウちゃん悪霊化の兆候も見られないことから、参加することに決めたのだ。

 焦る必要はない。

 指輪は私の小指にさえ入らなかったために、チェーンをつけてペンダントにした。

 これで、無くすこともないし、いつでも一緒にいられる。


 なぜ、指輪がゴミとして捨てられたかという真相はこうだ。

 後で掃除をしておくという私の言葉があったのだが、お母さんはどうしても気になって、掃除を始める。

 何かの拍子に指輪ケースが下の落ち、たまたまゴミ箱の脇に転がった。古く汚れたケースだったので、なんの疑いもなく、ゴミだと思って捨て、可燃ゴミの回収時間前だったので、そのまま出した。

 ユウちゃんとお母さんからの話をまとめると、そういうことらしい。

 ユウちゃんは、私からもらった指輪が捨てられるてしまうと、かなり焦ったみたいだが、どうすることも出来なかった。


「まきちゃんからもらった大事な指輪だったから、『ゴミじゃないよ』『捨てたらダメ』って、お母さんに呼びかけたんだけど、伝わらなくて……ごめんなさい」

「ユウちゃんのせいじゃないよ」


 お母さんには見えないし、聞こえないから仕方がない。

 軽い気持ちであげたおもちゃの指輪を、大事に思ってくれたのがうれしい。

 むしろ、私の方こそ謝りたい。

 真島くんとデートを満喫している間に、そんな怖い目に合っていたなんて。知らないところに連れて行かれて、怖くて不安だったよね。


「ごめんね、ユウちゃん」

「ううん、平気だったよ。まきちゃんが助けてくれるって信じていたから」


 私は身震いした。

 もし、指輪の存在やゴミのことに気付かなかったら、どうなっていただろう。

 あのゴミの山は、今日にでも燃やされるのだという。

 ユウちゃんごとそんなことになっていたら……。


「……本当によかった」


 改めてそう感じる。真島くんも駆けつけてくれて、助かった。


「でも、この指輪と私が繋がっているなんて、びっくりだね。初めて見た時、なにかすごく良いものに思えて、まきちゃんがくれるって言うから、すごくうれしかった。捨てられた時はどうしようかと思ったけど、結果的には、これでまきちゃんとお出かけできることが分かって、ラッキーだよ」


 まさに「怪我の功名」というやつだ。

 ユウちゃんが外に出られることが分かったのもそうだが、ユウちゃんが何者かを探る重要なアイテムともなるだろう。


「本当に覚えてないの? ユウちゃんが生きていた時、このおもちゃの指輪にそうとう思い入れがあったはずなんだけど」


 ユウちゃんが考え込む。

 小首を傾げて、こめかみに人差し指を指して……かわいい仕草だ。


「分からない。それより、まきちゃんは? どうやって手に入れたか分からないの?」


 そうなんだよな。

 私が持っていたものなのだから、小さい頃、どうにかして手に入れたのだろう。

 親に買ってもらった? 他の誰かにもらった? 拾ったのかも?

 ただ、いくら思い出そうとしても、全然、覚えがないのだ。

 お母さんにも聞いてみたが、知らないということだった。

 生前のユウちゃんの大事な所有物だったのだろうか?

 それを幼い私が何らかの方法で、手に入れた。

 例えば、高校生だったユウちゃんに、小さい頃もらった? 

 落とし物を拾って、そのまま自分のものにしたのかもしれない。ユウちゃんが化けてでも執着してしまうほどの大事な指輪、それをネコババした?

 う~ん、ネコババ説はあるかも。


「とにかく、学校へ行こう」

「わ~い、学校だ。楽しみだ」


 ユウちゃんは、とてもうれしそうだ。





「真島くん、すごい。もう、次の問題いってるよ。ああ、この人は駄目だ。全然、鉛筆が動いてない。まきちゃん、こっちの人、眠そうだよ」


 模擬試験の時間、普通なら鉛筆の音くらいしか聞こえない教室で、ユウちゃんの声が響く。

 参った。

 念願の学校に来て、うれしいのはわかるが、そろそろ静かにしてもらわないと、試験に集中できない。

 空中に漂うユウちゃんを睨み付け、「静かに」というポーズをとる。

 ユウちゃんは口を押さえた後、「OK」のポーズ。

 不思議な感覚だ。

 こんなにもたくさんの人がいる教室で、誰もユウちゃんの存在に気付かないし、聞こえない。気が散って試験に集中できなかったという言い訳は、私の中だけしか使えないのだ。

 それともう一つ。

 ユウちゃんがいれば、私の半径二メートルくらいの答案はカンニングし放題だ。

 もちろん、気付いただけで、そんなズルする気はないけれど。

 その後の授業でも、私の勉強の邪魔をし、睨み付けられ、シュンとするを繰り返した。

 まったく、困った友達だ。






 補習終了後は、ユウちゃんに学校を案内することにした。

 夏休み期間であるが、下級生たちが部活やクラブ活動をしている。それらを見たいのだという。

 真島くんに昨日のお礼がてら、そのことを伝えると、一緒に回ってくれるという。

 まずは聞こえてくるピアノの音に引き寄せられるように、音楽室へ向かって進んでいた。


「制服の線からの情報はないみたいだ。指輪のほうはどうだ? なにか分かった?」

「ダメ。お母さんも知らないって。幼い頃に手に入れたのなら、その時期に高校生ってこともあり得るかとも思うんだけど……」

「そうだったら、かなり難しいぞ。十数年前の高校生まで範囲を広げたら、それこそすごい数だ」


 そうなると、今度は去年、ユウちゃんが現れたこととつじつまが合わなくなる。

 ユウちゃんが亡くなったのは、去年の夏なのか? 十年以上前なのか?


「すごい。このピアノうまいね」


 ユウちゃんが声を上げる。どうやら、彼女は私たちの会話には参加してないようだ。

 自分のことなんだから、ユウちゃんも考えてよ。

 でも、まあ、確かにこのピアノうまいかも。素人だから、確かなことは言えないが、結構早いリズムで多彩な音、難しい曲ではないのか? 先生かな?

 確か、ピアノのコンクールでいいところまでいった音楽教師がいたはずだ。

 音楽室の小窓からのぞく。

 生徒だ。二年生かな? 一人の女子生徒がピアノをひき、まわりを囲むように数人が並んでいる。例の音楽教師もいる。


「モーツァルト ピアノソナタ 第八番 第一楽章」

「え?」


 後ろの上にいるユウちゃんを見た。

 それって、この曲名なの?


「なんで知ってるの?」

「あれ? なんで知っているんだろう?」


 ユウちゃんは小首をかしげた。


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