第8話 本当の名前

 朝出ていくときは、今日は早く帰ろうと思っていたのだが、結局はいつも通りの時間になってしまった。

 稲垣のおばあちゃんがこんなに話好きだとは知らなかった。

 聞きたかったのは、前に住んでいた家族のことだけだった。

 おばあちゃんが嫁入りしたときの、嫁姑問題とかを永遠に聞かされてこんなに遅くなってしまった。


「ただいま」

「まきちゃ~ん、おかえり~。寂しかったよ」


 ユウちゃんが抱きついてきて、何の抵抗もなくすり抜けた。

 昨日会ったばかりなのに、もうそんなにフレンドリーで驚く。

 なんか変な感じ。だけど、悪い気はしない。


「ごめん、遅くなって。いろいろ検証してたら遅くなった」

「なに?」

「今日はお母さん来た?」

「うん、来たよ。やっぱり、お母さんは私が見えないみたい」

「そうか……」


 やはり、私がユウちゃんを見えるようになっただけだ。

 もしかしたら、ユウちゃん側の事情で見えるのかとも考えたが、そういうことではないらしい。

 肩からカバンを下ろし、ベッドに座る。


「さっきね、稲垣のおばあちゃんに聞いたんだけど」

「誰? 稲垣?」

「となりのおばあさん。昔から住んでいるから、この家の前の家族のこと聞こうと思って」

「前の家族? なんで?」

「ユウちゃんがこの部屋から出られないのは、昔、ここがユウちゃんの部屋だったからじゃないかと思ったの。でも、違ってた」


 住むはずだった家族は、なんらかの事情で引っ越すのを取り止め、完成とともに売りに出されたのだそうだ。

 母が言っていた「ほぼ新築」というのは、そういうことだったらしい。

 家が建つ前のことも聞いたが、ただの畑だったということだ。

 ユウちゃんが昔の人で、この場所で亡くなった霊というのは完全な的外れだ。


「それを調べてて遅くなったの?」

「そうだよ。ユウちゃんの本当の名前がわかったら、そっちで呼ぶ方がいいでしょ?」

「まきちゃ~ん」


 また抱きついてくる。そして、なんの感覚もない。

 やはり、ちょっと馴れ馴れしい。

 人は寂しすぎると、幼児退行するものなのだろうか?

 身体は大きいが、小さい子供を相手にしているような感覚になる。


 ユウちゃんの名前が知りたいというのは本当のことだ。

 いっしょにいて、少し楽しいとも思っている。

 だけど、ユウちゃんは幽霊だ。そして、私は受験生。このままというわけにはいかない。

 調べたかったのは、ユウちゃんを成仏させるか、追いだす方法を探すため。

 ユウちゃんを見る。

 猫のように丸まって、甘えるような仕草をする。

 とても本当のことは言えない。


「そうだ。写真撮っていい?」

「うん。いっしょに撮りたい。でも、写るかな?」

「とにかく、やってみよう」


 スマホを取り出し、カメラモードにしてみる。

 やはり、となりにいるはずのユウちゃんの姿は画面には映らない。

 まあいいや。とりあえず、撮ってみよう。


「はい、チーズ」

「いぇ~い」


 ユウちゃんは顔の近くで両手ピースで、満面の笑顔。

 パシャリ。


「どう? どう?」


 ユウちゃんがはしゃぐ。


「ダメだ。やっぱり写らない」


 私のとなりのスペースには、ただベッドが写っているだけだった。


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