第2話 おかえり

「ただいま」

「おかえり」


 ん?

 部屋の電気をつけるスイッチを押したところで、身体が固まった。

 今、返事が返ってきたような気がしたからだ。

 そっと振り向く。

 ヒロト君を見た。クマのぬいぐるみがしゃべるわけがない。それに彼は男の子。聞こえてきたのは女の子の声だった。

 なにを馬鹿なことと思いつつ、カバンを肩から降ろす。


「ひっ!!」


 勉強机のほうに進もうとしたところで、足が止まった。

 目の前に女の子がいる。しかも笑っている。

 反射的に後ろに飛びのいて、ドアノブに頭をぶつけた。


「痛っ!」

「大丈夫?」


 大丈夫じゃない。

 頭の痛みのことじゃない。いや、すごく痛いし、血がでてるんじゃないかと思うくらいの衝撃ではある。のたうち回りたい。

 でも、それよりも先に解決しなければならない問題は、この娘のことだ。

 誰? なぜ私の部屋にいる?

 心配そうに眉を寄せている娘は、歳の頃なら私と同じくらい。かわいらしい顔立ちのツインテール。学校指定と思われる赤チェック柄のネクタイとスカート。

 制服に見覚えはない。この辺りの高校ではないだろう。


「誰?」


 後頭部を押さえ、痛みに耐えながら声を出す。

 娘は辺りを見回したあと、不思議そうな顔で自分を指し示した。

 なんでそんな表情をする? 不思議なのはこっちの方だ。自分の部屋に知らない人がいたら、びっくりするだろうが。

 とりあえず、頷く。


「え? 見えるの?」


 どういう意味だ? 見えるに決まっている。

 頷く。


「なんで? 今までずっと無視だったのに、なんで?」


 慌てているみたいだ。手を変な風に動かして、部屋中を動き回り始めた。

 なんかかわいい。

 いやいや、そういうことじゃない。


「で? 誰な……の?」


 ちょっと待て。

 歩いているようで、歩いていない。足は動いているが、床についていない。浮いている。

 どういうこと?

 幽霊? そういえば、少し透けているかも。


「やっぱり、見えてるんだ。うれしい。やっと会話できる」

「まさか……幽霊……とか?」


 今度は楽しそうに、手を上げて笑っている。

 いやいや、ちゃんと会話しようよ。頭が混乱して、おかしくなりそう。


「えっと、幽霊かどうかは知らないけど、たぶんそうだと思う。で、私が誰かは私も知らない」

「なんで知らないの? 記憶喪失?」


 幽霊に記憶喪失という病気があるのかは知らない。そもそも、そういうものなのかもしれないのだが、幽霊になったことないからわからない。


「どこの誰かも知らないし、なんで幽霊になっているのかもわからない」

「なんでここにいるの?」

「それも知らない。気付いたらこの部屋にいて、なぜかこの部屋から出られない。私の事、知らない?」


 首を横に振る。

 見たことはないし、クラスの誰かが死んだという記憶もない。そもそも、ほとんど繋がりもないから、たとえ死んだ人がいたとしてもわざわざうちには来ないだろう。

 でも、化けてでてきたのなら、私になにか強い恨みでもあるのか?

 めっちゃ、笑っているけど?


「いつから、ここにいるの?」

「一番古い記憶は……赤いビキニかな?」


 顔が熱くなるのを感じた。

 あれを見られていた?

 海に行く予定も、プールに遊びに行く予定もなかった。あったとしても、あんな大胆な水着など私には似合わない。そう思いながらも衝動的に買ってしまった赤いビキニ。

 一度だけ、この部屋で着替えた。もうちょっと、胸があったらと、パット代わりにハンカチを詰めたりして……。

 目の前の娘を見る。私より胸がでかい。

 嘘だ。

 嘘だと言ってくれ。あんなのを見られていたなんて、恥ずかしくて死んでしまう。


「一年前……それから、ずっとこの部屋にいて見てたの?」

「なんかごめんね。私の存在をずっとアピールしてたんだけど、まきちゃん気付かないんだもの。でも、よかった。やっと話ができる」

「まじか……」


 プライバシーの侵害だ。

 犯罪だ。

 頭を抱えて、とりあえず部屋を出る。


「待って、まきちゃん!」


 信じられない。

 信じられない。

 信じられない。

 気安く名前を呼ばないでほしい。

 転げるように階段を下りた後、キッチンに行く。

 水道の水を飲む。

 誰もいない空間で、行ったり来たりしながら考える。

 どうしよう。

 どうしよう。

 どうしよう。

 とにかく、あの幽霊には出て行ってもらわなければ。

 テーブルの上には、ラップに包まれたコロッケとエビフライと目玉焼きのお皿が。

 コロッケはソースで、エビフライにはタルタルマヨネーズ……タルタルマヨはあったかな?

 冷蔵庫を開けてみる。

 あった。まだ少し残っていた。

 違~う。

 現実逃避してどうする。

 今は、夕食のことはどうでもいい。

 あの幽霊をどうするかだ。

 どうする?

 どうする?

 どうする?


「そうだ。塩だ」


 ドラキュラは十字架、ドラえもんはネズミ、幽霊は……塩? 

 たしか塩でお清めとかすんじゃなかったか?

 塩はどこだ? いいや、これで。

 食卓塩とかかれた小瓶を手に、再び階段を上る。

 ドアを開ける。目の前にいた。


「やああああ……あれ?」

 

 塩攻撃が効かない。

 ふりふりしているのに、首をかしげて苦笑いしている。


「なにしてるの?」

「……」


 なぜだ? 塩が苦手ではないのか?

 それならと、中ぶたをとって、幽霊の頭から塩をこぼす。

 すり抜けて、床に落ちた。

 幽霊に変化はない。


「あ~あ、こんなに塩ぶちまけてどうするの?」

「なぜだ。なぜ効かない……」


 床に膝をつけ、うなだれる。

 

「もしかして、私の事追いだそうとしている?」

「当たり前でしょ! あんたなんか……」


 幽霊は急に悲しそうな顔をしていた。

 今にも泣き出しそうだ。


「そうだよね。まきちゃんの部屋だもんね。私は幽霊だし、友達になんかなれないよね。近くにいるのに気付いてもらえなくてさみしかったから、うれしくてはしゃいじゃった。ごめんね」

「……」


 涙を流していた。なんども頭を下げていた。

 あれ? もしかして私のせい? 私が泣かせてる?

 どうしてこうなるの?


「でも、出ていきたくても出ていけないの。まきちゃんに迷惑かけて……本当にごめん」

「えっと~、私もごめん」


 問答無用で追い出そうとしたのは、私も悪かった。

 幽霊って初めて見たから、少しパニックになってしまった。

 でも、悪い幽霊ではないみたいだし、どうするかの判断はもう少し待ってからでもいいかも。

 顔を押さえて泣きじゃくる幽霊さん。

 慰めようと、頭に手を置こうとしてすり抜けた。

 忘れてた。幽霊だった。

 そう思ったときには、目の前に机の角があった。


「げぼっ!」


 変な声が出た。額に激痛が走る。


「まきちゃん!」


 世界がゆがんで回った後、幽霊さんの心配そうな顔が見えて……消えた。

 


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