月夜姫の封印が解かれるとき その1

 ルナの部屋から出てくると、通路は自動で閉じて元の壁に戻った。

 待っていた翁じいがにこやかに話しかけてきた。

「いろいろお話しできましたか? 」

「うん」

「それは、結構でした」

「作業台の上にかぐや語の本を出しておくといってたけど、ある? 」

「はい」

「よし、読むぞ」

 意を決した私が作業台に近づこうとすると、翁じいがそれを遮った。

「お待ち下さい」

「ん、どうして? 」

「立ったままだと読めません、まずはパソコンチェアーにお座り下さい」


 変なの。


「まだ疲れていないし、大丈夫だって」

「いけません、まずはお座り下さい」

 私は翁じいに圧倒された。

「そ、そう………じゃあ座るね」

「はい」

 そういうと翁じいは手前にある椅子にかけより、回転させた。

「月夜姫、どうぞ」

 今度はにこやかに笑っている。

「あんがと」

 私は促されるままに椅子に近寄り、クッションの効いた椅子に座った。


 ふかふかで、それでいていつまで座っても疲れないように、しっかり体を支えてくれるような椅子だった。

「うわ、凄いらくちん」


 私はヘッドレストに頭をもたげて、椅子で反り返った。


 えっ?


 なにこの匂い?


「どういたしました? 」


「うん、なんかいい香りがする、清潔でそれでいておしゃれな匂い、凄く落ち着く」


「そうでございますか、その椅子はお母様がお使いになっていたお椅子です」

「ええええええ、じゃあこの香り? 」

「月夜姫のお母様がお使いになっていた香水とお母様の残り香でございます」


 ………そうなんだ。


 14年経っても消えない香りなんてあるのかな、違う、私が座る時の為に、残るようにしていてくれたんだ。

 そうに違いない、高度な技術を使って………。


 お母さんの存在が香りとともに私を包み込む。

 突然涙が溢れた。

 あとからあとから溢れてくる。


 ——止まらない。


「ママの匂いなんだ」

 震えた声でそう言った。

「はい」


 眼を瞑った。

 香りに体を預けた。

 生まれて始めてお母さんに抱かれた気がした。


「ママに逢いたい、逢いたいよ! 」


 今まで抑えていた感情が言葉になって現れた。


 そして玄関にあったホノグラムが脳裏に浮かんだ。

 優しく力強い微笑みだった。


 ママ、ママ、ママ、ママ………


 ずっと逢いたくて、逢いたくて、寂しくて、泣いた時もあったよ。

 でも、でも、ふーせんママや鉄ちゃん、施設のお友達が支えてくれたんだ。

 ママ、ママ、でもやっぱりママに逢いたい!



「おばあさまもその椅子を使っておられました」


 翁じいはおばあさまも知っているんだ。


「70年も生きておりますと、三代に渡ってお使いさせていただいております」


「そうなるんだ」

 やっぱり声が震えた。

「はい」


『月夜ちゃん、頑張って、ママはいつでも傍で見守っていますよ』

 

 残り香がそう伝えていた。

 うん、ママ、取り乱してごめんね。

 ママ、月夜はママの子どもだもんね。


『そうです、かぐや一族のママの子どもは月夜ちゃん一人です』

 そう言われている気がした。


 うん、うん、うん………


 私は手で眼を擦って、涙を拭った。

「うん、頑張る」

 眼を開けた、もう泣くもんか。

「何か飲み物をお持ちしますか? 」

 翁じいがこの上なく優しい顔をした。

「大丈夫、だいじょうぶ………」

「今夜は辞めておきますか? 」

「私には時間がない、あと16年しか生きられないんだから、頑張るから本を持ってきて」

 つい大声になった。


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