高校生のありきたりな日常 2
亜由美の言葉に今まで夏休み気分を引きずっていた教室のざわめきがプツリと途切れる。怖いほどの静寂の中で周囲の生徒たちの視線はある一点に集中した。
「有原君もおはよ~! あれ、頭抱えてどうしたの、誠くん?」
「田村さん、おはよう。ほら、誠先生も挨拶しなよ~」
裕司に促された誠が顔をあげると、ニッコリと微笑んでいる亜由美の顔が近くにあった。その右目には
「どうした、どうした~? 元気がないぞ~?」
「うわっ!」
急に顔を近づけてきた亜由美の距離感に驚いた誠は思い切り仰け反り、そのまま派手に転んでけたたましい音が静かな教室に響く。
「誠くん、大丈夫!?」
横から回ってきた亜由美の手を借りて誠が立ち上がると教室の空気が一気にざわつき始めた。
夏休み明けに名前呼び、そして気軽なスキンシップ、これが意味する所は一つしか考えられない。そう結論付けた周囲の生徒、特に男子の視線が刺々しいものに変わる。
(さすがクラスの人気者だなぁ。視線がすごく痛い!)
誰に対してもフランクに接するのが亜由美の魅力なのは身をもって知っている。だからこそ学校が始まる前にキチンと「学校では誤解を招かないように苗字で呼んで欲しい」と伝えたはずだった。しかし――。
「も~、誠くん、いきなり倒れるんだもん、びっくりしたよ~。今更私の顔を間近で見て驚かないでよ~!」
どうやら誠との約束は亜由美の記憶からすっぽ抜けたらしく、いつも通りの輝かんばかりの笑顔を惜しみなく誠へ向けてくる。
「田村さん! 俺の事を名前で呼んでるよ!」
誠は亜由美の綺麗で柔らかな手を慌てて話すと、目立つことへの恥ずかしさから顔を赤くして亜由美に約束のことを思い出してもらおうとに小声で囁く。
だが亜由美は誠の言葉の意味が理解できずに眼帯を付けていない左目が満月のように丸くなりキョトンとした顔をしている。更に腕組みをして数秒考えた後、何か思いついたように亜由美は近くにいた裕司の方を向いた。
「ねえ、有原君? 私、さっきからを誠くんをなんて呼んでた?」
「いや、普通に名前で呼んでいるじゃん。にしても二人はいつの間にそんなに仲良くなったんだい?」
良くも悪くも周りに流されない裕司の言葉でようやく亜由美は自分がやらかした事に気が付いた。
周りの視線と誠の「この状況、どうしてくれるの?」と言いたげな視線を受けた亜由美が出した結論は――。
「この前は助かったよ~。 ありがとう、誠くん!」
もはや誤魔化しは利かないと判断した亜由美は開き直って名前呼びを押し通すことにした。今から呼び方を戻してもかえって怪しくなるだけという判断だろう。
そして、どういう表情をすればいいか分からず困り顔の誠を気にすることなく亜由美は続けて――。
「夏休みに! 私の調査を手伝ってくれて! 助かったよ!」
と、わざとらしく教室の隅々まで聞こえるように大声で、しかも一言ごとに力を込めて誠に身に覚えのない感謝を伝えた。
(ああ、つまりそういう風に話を合わせろってことね)
亜由美が校内、校外問わず調査と称する活動をしているのは知られている。その手伝いをして仲良くなった、という筋書きは無理なく周囲に受け入れられると思える。
(それに夏休みの間に実際に関わったから、完全に嘘という訳でもないしな。俺は少し話しただけってことにして、細かい言い訳は田村さんに任せよう)
そう考え気持ちが軽くなった誠は椅子を立たせて座り直すのを待っていた亜由美が「それで誠くん、アルバイトするの?」と話を元に戻した。
「いや、まだ返事はしてないけど……」
「いいじゃない。何事も経験だよ! なんて偉そうに言っているけど私もバイトしたこと無いんだよね~。私も何かバイトしようかな?」
亜由美の援護を得て、ここぞとばかりに裕司が猛プッシュを開始する。
「そうそう、何事も経験だよ、先生!」
「仮にも先生って呼んでる相手に経験を積めって色々おかしくないか?」
「細かい事はいいんだよ! うちの両親も誠先生の事は知っているから気楽に働けるよ? 誠先生の家からも、そんな離れていないしバイトデビューには最適だと思うよ!」
まるで鷹が野ネズミを捕まえるように、裕司の大きな手が誠の肩を掴んで前後に揺さぶる。
「分かった! 分かったから肩を掴んで揺さぶるなって……」
「分かったってOKってことだよね!? よっしゃー! すぐに父ちゃんに連絡するから!」
「ちょっと待て! お前の言い分が分かったってだけだ。まだバイトするとは――」
止めようとする誠を振り切るように裕司はスマホを手に教室から飛び出して行ってしまった。
「あらら、ものの見事にに退路を塞がれちゃったね。でも友達を助けつつお金も稼げるならいい事じゃない?」
「それはそうかもしれないけどさ……」
「それにメイリルに新しい服とか買ってあげれば、きっと喜んでくれると思うよ? じゃ、そろそろ先生が来そうだから席に戻るね」
本気とも冗談ともつかない言葉を残して亜由美は自分の席へ戻り、すぐに友達に囲まれた。
(メイリルにプレゼントか。そういえば本部のテレビを見てショッピングモールで買い物をしてみたいって言っていたな)
勇者ギルドは秘密裏に活動している組織である。よって喰らうモノとの戦いで報奨金などが出る訳ではない。なので基本的に金銭面はいつもカツカツであり本部の備品のほとんどはメンバーの家で使わなくなった物を寄付して賄っている。
メイリルの衣食住に関しては、その寄付品で賄えはいるが、お金の面ではギルドはほとんど力になれない。それに日本人どころか地球人でもないメイリルが日本で働いてお金を稼ぐのは難しい。
(……バイトやってみるか)
こうして突如舞い込んだバイトの話はとんとん拍子で進み、気が付けば誠がバイトを始めて一月近くが過ぎようとしていた。
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