侵食される世界  3

 「なんとか勝てた~!」


 魔法の発動で体力を消費したメイリルの額からは大量の汗が流れ呼吸が乱れていた。そんなメイリルの前にカチャリと音を立てて何か落ちてきた。


 「あれは?」


 「私の探し物。ようやく一つ見つけたよ」


 そういってメイリルは足元に転がってきた銀色に輝く十センチほどの長さをもつ金属製の筒の様な物を拾い上げた。その時、誠の耳には今までよりもクリアーに自分を呼び続けていた音が届いた。


 「それが神装武具?」


 「そうだよ。……あれ、これずっと励起状態を保っている。なんでだろ?」


 「だからさっきから変な音が聞こえるのか~」


 「音? なんの話?」


 「いや、さっきからずっとキーンって音がしているじゃないか」


 「……私には聞こえないけど、でもマコトが嘘をつくはずもないし、どういうことだろう?」


 アリエントを脇に挟んだメイリルが空いた手でポンポンと筒を叩く。まるで仕草はまるで昔の機械は叩けば直ると信じていた人のソレである。


 「いや、あまり乱暴に扱っちゃダメじゃないかな?」


 「といっても、ずっと音を出しっぱなしって訳にもいかないよ。その音とやらをアギトも聞こえているかもしれないし」


 「それは、そうかも……。でも、メイリルならササッと操作できるんじゃないの?」


 「無茶言わないでよ。私はアリエントの継承者で他のなんて扱えないんだから」


 「そうなの!?取り戻しに来たっていうからてっきり全部アリエントでどうにかなるのかと思ってた」


 「残念だけどアリエントに他の神性武具に干渉する能力はないよ。一応奪われたらしい神性武具の目録はリュックに入っているけどおいてきちゃったし。困ったな、どうしたらいいんだろう」


 叩く、振る、クルクル回す、メイリルが色々試しては誠の顔を見るが、その度に誠は首を横に振る。


 「そもそも、この筒みたいな物はどういう武器か知っているの?」


 「うん、これは結構有名な物だから知っているよ。名前は……」


 メイリルも誠も完全に気を抜いていた。だから気づかなかった。未だに彼らを閉じこめる結界は力を失ってはいなかった。空に輝く偽りの太陽はまだ煌々と力を誇示していたことを。それはつまり未だにこの空間を維持させている何者かがいることに他ならない。

 メイリルの背後の空間にヒビが入る。それを見た誠の行動は早かった。

 とにかく嫌な予感がした。すでにこの空間の中で麻痺するほど感じている悪寒の中で、それは違っていた。指向性のある悪意とでもいうのか、それがメイリルに向けられているのを感じとった誠はメイリルを抱きかかえて地面に倒れる。その拍子にメイリルの手にあった筒がコロコロと転がっていく。

 この時だけ誠は今まで疎ましいとしか思っていなかった自分の異能に感謝した。


 「ちょっ、何……」


 仰向けに倒れるメイリルの顔の上、誠の背中スレスレでを鋭利な刃物が横に通り過ぎていく。僅かな浮遊感の後、地面に転がった二人は急いで立ち上がる。肌を突き刺すような威圧感が戦いが終わってはいないことを示していた。

 その二人の前に空間を引き裂いて新たなアギトが現れる。その見た目は……。


 「カ、カマキリ?」


 「チキュウにも似た虫はいるみたいだね。多分、あれは私の世界の虫が魔物化したものを更にアギトが捕食して姿を真似たモノだよ。元々凶暴な魔物を元にしている分さっきのより厄介そうだけど」


 「そ、そうだね。なんというか威圧感がスゴイ、というか熱気がっ、あっつ!」


 体の半分だけを割れ目から出したカマキリ型のアギトから異様なほどの熱波が押し寄せる。

 頭の高さは五メートルはあるだろうか。鋭利な人間大サイズの大鎌を携え、のそのそとこちら側にでてこようとしている。


 「氷導の八、氷獄縛アイスレクイエム!」


 相手の放つ熱から冷気に弱いと踏んだメイリルの先制の一撃がアギトを包み込む。

 限定的に引き起こされた極低温の吹雪が出てこようとしていたアギトの体を分厚い氷で覆い自由を奪う。


 「マコト、すぐに隠れて!」


 蛇に睨まれた蛙よろしく固まっていた誠をメイリルが叱咤する。

 だが、アギトの力はメイリルの予想を超えていた。

 体を覆っていた氷があっという間に溶かされいく。そして戒めをあっさりと解いたアギトの目から赤いビームが放たれた。ちょうど二人の間に着弾した熱線が爆発し二人は吹き飛ばされる。


 「げほげほっ!!」


 背中をしたたかに打ち付け煙をすって咳き込みながら誠は自分の頑丈さに感謝した。このまま意識を失えば二度と目覚める事はないだろうからだ。

 煙の向こうでは倒れたメイリルが見える。誠と違い受け身をとった彼女は既に立ち上がっていたが、そこにアギトの鎌が振り下ろされる。


 「光導の七、光大盾ディヴァインシールド!」


 もう一度張られた魔力で紡がれた大盾にアギトの容赦のない攻撃が襲う。

 二本の大鎌、目から放たれるビーム、そして真上から魔術で作った炎の雨を降らし、更にトドメとばかりに腹部からガトリング砲を生成し、圧倒的な手数でメイリルを圧倒する。

 その強さは明らかにさっきまで戦っていた巨大蝶を上回っている。


 「こ、こいつがここのボスだったのか……」


 「な、なに、ぼーっとしているの、は、早く、逃げて……」


 「メイリル!」


 「こいつの、狙いは、私。早く、ここから、離れるの、私が、引き付ける、から!」


 「そ、そんなこと……!」


 「行って!」



 噛んだ唇からは血の味がする。

 なんとかしたいと思っても自分には何もできない。

 メイリルの言う通りアギトは彼女しか見ていない。この場から逃げるのは容易だろう。

 だが、その後は?

 この閉じた空間で自分一人だけで生き残れるのか?

 一生女の子を見捨てた良心の呵責に苛まされて生きるのか?


 (嫌だ!そんなのは嫌だ!)


 メイリルを助けたいと思った。その目標を持って心が軽くなった。

 それなのに、それを自分で打ち捨てるなんて出来ないし、したくない。


 だが、現実は残酷だ。

 咲村誠には力がないのだ。


 目の前に背後をがら空きにしている敵がいてもその背に突き立てる刃がない。

 死を覚悟して飛び掛かってもメイリルの話ではすぐにとりこまれてしまうだろう。いや、近くにいるだけでこの熱さだ。触れる前に体が燃え上がって死んでしまうかもしれない。


犬死になどするわけにはいかない。なんとかメイリルの為に時間を稼ぐ方法を考えているとまたあの音が聞こえてきた。


 (そうだ、これだ!)


 誠は地面に転がっていた筒を拾い上げる。

 金属質のそれは見た目の割にずっしりとした重さを感じる。そして筒の穴が開いている方をアギトにゆっくりと向ける。


 「え? え!?」


 自分の体が意志に反して勝手に動いていく。

 本当はアギトに投げつけて気を引こうと思っていたのに、腕は勝手に照準を合わせるように筒の位置を調整してしまう。

 狙いが定まると、さきほどアリエントが放出した魔力の残滓を集束させていく。魔力が集まるに従って筒の表面に描かれた紋様が淡く輝きを放きだす。

 そして、蓄えられた魔力を一気に解き放ち、一筋の光がアギトの無防備な背中に突き刺さった!


 「cuoooooooooooo!」


 翅の部分を突き破った刃がコツンと硬い物にあたった感触がして止まって消える。

 奇跡の一撃はあっけなく霧散したが目的は達せられた。

 か細く甲高い不愉快な声をあげたアギトがゆっくりと振り返って誠を見る。

 カマキリによく似た顔の表情を読む事は難しいが気を引く事には成功したらしい。

 やけにゆっくりとアギトの鎌が持ち上がるのが見える。

 逃げようと思うのだが、今更ながらガクガクと震える足は言う事を聞かない。


 (ああ、これで終わりか。意外にあっけないものだなぁ)


 怖くもあるが、どこか満足感もあった。

 メイリルの逃げる時間を稼げたこと。そして、相手は違うが二年前の借りを少しは返せた。

 心残りがあるとすればメイリルがきちんと逃げられるかの確証が得られていないことだが、それは彼女の幸運を健闘を祈るしかない。


 そして、今まさに大鎌が振り下ろされそうになった時。

 ビシッと上空で何かが割れる音がした。

 それは空の浮かぶ偽りの太陽が崩壊を始めた音だった。

 パラパラと紅い太陽の破片が紙吹雪のように風に流されていく。

 そして、空の色が紅から見慣れた青い色に変わると誠の耳に蝉の声が聞こえてきた。


 周囲が現実に戻っていく。

 その変化は誠の命を奪おうとしたアギトにも影響を及ぼしていた。

 アギトの全身から凄まじい勢いで血のように黒い煙が噴き出す。

 あの特徴的な大鎌にヒビが走り、腹部が異様に膨れ上がり爆発する。

 もはや誰にも構っている時間はないとばかりに出てきた時と同じように空間を裂いてその中に崩れかけた体を押し込んでいく。

 その光景を誠もメイリルも唖然と見守るしかなかった。事態を飲み込めず呆然としている二人だったが、やはりいち早く我に返ったのはメイリルだった。


 「マコト、捕まって!戻ってくる前に逃げるよ!」


 走り寄ってきたメイリルの差し出した手を誠の手が掴み二人の姿は一瞬で消える。

 そして辺りは何事も無かったかのように時が流れ始めていく。


 エプロンを付けた女性は家に戻り、車は大通りへ向けて角を曲がり、鳥は夏空に翼を広げ飛んでいく。


 そこに怪物と魔術師の戦いの跡を見る事はできない。

 ただ一つを除いて……。


―――

 三分後。


 「ああっ、もう!またタッチの差だよ!」


 誰も居なくなった路地に黒いコートを羽織った一人の少女が空から降り立った。


 「ごめん!せっかくこっちに来るのを優先させてもらったのに……。うん、ありがと。そうだね、何か残っていないか視てみる」


 黒いコートの少女は油断なく周囲を警戒しながら右目の眼帯を外して金色の瞳を露わにする。


 「ふんふ~ん、なるほど、なるほど。サンプル収集っと。結果は……やっぱりこの前の魔力と同じ反応ね。突然消えたってことは転移系の能力所持者か~。『喰らうモノ』を撃退するあたり、中々の強者みたいね。だからこそ早く見つけないと、ん?」


 何かに気づいた少女は通話状態のスマホを片手に壁沿いに歩いていく。その先にあったのは派手に壁にぶつかったのか派手に全部がひしゃげている自転車だった。


 「おおう、これはもう一つ問題が増えちゃいましたよ。だれか巻き込まれたみたい。えっと自転車に名前は……、嘘でしょ!?ああ、ごめん、大至急連絡先の確認をお願い!名前は咲村誠!持山町に住んでいる男の子!え、なんで詳しいのかって?クラスメートなの!まったく、なんでこんな……」


 スマホをしまってため息をつく少女の視界の端で黒いヘドロのようなものがベチャリという音を立てて地面に落ちてきた。


 「残りカスでも漁りに来たの?でも残念。あんたたちにあげる物なんてこれぽっちもないの。だから……消えなさい!」


 少女の黒い髪がざわつき、右目が金色に強く輝き始める。


 「爆っ!」


 少女が叫ぶと同時にノロノロと逃げようとしていたヘドロ状のナニカの跡形もなく吹き飛んだ。


 「こんな感じで魔力をばら撒かれてたら取り返しがつかないことになる。お願いだから、しばらく大人しくいてね、漂流者さん」


 そういって魔眼を持つ少女、田村亜由美は空を見上げてもう一度ため息をついた。


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