第三章
侵食される世界 1
八月第四週 土曜日
それは突然だった。
キィーンと頭に響く音と共にメイリルは跳ね起きた。
知識として知ってはいたが実際の共鳴現象を体験したのは初めてだった。
それでも、とっさに右手にアリエントを引き寄せ共鳴を起こしている相手を探ろうとしたメイリルの目にスヤスヤと眠るマコトが目に入る。
(ダメ、ここで私の存在を知られる訳にはいかない!)
アリエントの共鳴現象をすぐに収め、ほっとメイリルがため息をつく。だが、未だに心臓は緊張でバクバクといっている。もしかしたら、この家がアギトに狙われると思うと血の気がひいた。
これから捜そうとしていた相手から、逆に、そして全く予想もしていない形で接触を図ってきたのだから驚きも大きい。まして、それが間違いなく友好的なお誘いでないのなら尚更だ。
(明らかに罠だよね、これは)
だが、そうとわかっていてもメイリルにその誘いに乗らないという選択肢はなかった。ここで逃げ回っていても事態はなにも進展しないからだ。
(とにかく確かめよう。大丈夫、逃げ回れるのは得意なんだから!)
覚悟を決めて立ち上がったメイリルはリュックに近寄り正魔導士の地位をあらわす黄色のローブと中に着る戦闘用の服、そして袋に入った靴を取り出した。どれも耐物理、耐魔術を施された特注の品ではあるがアギトとの戦いではどの程度役に立つかは怪しい。しかし、それでもないよりはマシだろうと着替えようとして、ちらりとマコトを見るが、よほど深く寝入っているのか起きる気配はない。その体の上に自分にかけられていた毛布をそっとかける。
(ああ、私がベッドをとっちゃったからここで寝てるのか。悪い事しちゃったな)
罪悪感をひと先ず心の奥にしまって、勢いよく着ていた服を脱ぎ手早く着替えて、もう一度マコトを見るがやはり起きる気配はない。脱いだ服をリュックに詰めなおしてリュックの外側、ポケットが付いている部分を取り外して紐を通して腰に巻く。中に入っているのは傷薬などである。どれもこれも割と一財産築けそうな高価な物だが出し惜しみしている場合ではない。
(書置き……は無理か。黙っていくしかないか)
会話や字を読むのは魔術で出来るが書くことは出来ない。ましてやメイリルの世界の文字を書き残してもマコトには通じないだろう。
しばし思案してメイリルはそのまま出ていくことを選んだ。戻ってくる意志を示すためにリュックはそのまま置いておくことにして、黙っていくことをパートナーに心の中で詫びる。
そっと窓を開けると雨はすっかり上がり雲一つない快晴だった。この分なら昼にはまた暑くなりそうだ。
(それまでには、またこの涼しい部屋に帰ってくるから)
もう一度、寝ているマコトの顔を見てメイリルはそっと窓を閉じて地面に飛び降りた。
―――
ちゅんちゅんと雀の鳴き声が聞こえる。窓から差し込む光で誠は目覚めた。
(……体が痛い)
痛む背中を伸ばしながらベッドに目をやった誠はぎょっとした。昨夜、そこで眠っていた少女が消えていたからだ。
(実は全て夢でした~、ってことはないよな)
幸い、メイリルの実在を示す証拠であるリュックが残っていたので、自分の脳内美少女を現実にいると妄想していた恐れは無くなったが、代わりに別の問題が出てきた。
つまり、メイリルはどこに行ったのかである。
昨日の会話の合間にトイレの使い方も教えてあるので、用を足している可能性を考えしばらく待ってみるも帰ってくる様子はない。
家の中を捜そうと一晩中点けっぱなしだったエアコンを消し廊下に出ると階下からコーヒーの匂いが漂ってきた。どうやらもう母親は起きているらしい。
一応二階と一階のトイレをノックして調べて見るが誰も入ってはいなかった。
「あら、今日はやけに早いわね。どうする、パン焼く?」
「いや、もう少しあとでいいよ」
母の誘いを断って誠は自分の部屋へ帰る。当然だが、やっぱりメイリルの姿はない。
(メイリル、どこに行ったんだろう?)
昨日の話ではどこかに行くという話はなかったはずだ。
それでも、一つ考えられるとすれば、例の共鳴現象だろう。
(一人で共鳴現象を起こすために出かけた?)
可能性は一番あるだろう。元より危険があるという方法だ。戦えない自分を置いていったとしても不思議ではない。
不思議ではないのだが、やはりそのメイリルの決断に誠は一抹の寂しさを覚える。覚悟はしていたが、それでも一言告げてくれてもよかったのではないかと思う。しかし、一方でやはりメイリルの判断は正しいのも分かっているし、それが彼女の優しさだというのも理解できる。
しかし、それでも何も出来ない自分を惨めに感じて落ち込んでしまう。
(足手まといがいたら自分も危なくなるものな。もし逆の立場なら俺もそうするかもしれないし。荷物は置いてあるし帰ってくるのを待つしかないか)
どこかでメイリルが危険に晒されているかもしれないと思うと胸が締め付けられるように痛むが、しかし自分が適当に動いてどうにかなるわけでもない。
無理やりにでも自分を納得させ諦めかけたその時、ガンと頭が殴られたような衝撃を覚えて誠は床に倒れ込んだ。
あまりの痛みに意識が飛びかけるが、痛みによって無理やり現実に引き戻される。そんな地獄の往復を五回ほど繰り返したところで痛みは徐々に引いていく。
(なんだ、今の!?まだ耳鳴りがしている……)
テーブルを支えにして立ち上がる。頭の痛みは完全に無くなっていたが、変わらず奇妙な耳鳴りのようなものが残り続けていた。そう、それはただの耳鳴りのように意味のない音のはずなのだが……。
(誰かを呼んでいる?)
我ながら頭がおかしくなったのかと思う。しかし、なぜかその音が自分を呼んでいるように聞こえて仕方がない。昔、親に読んでもらった童話の内容が思い浮かんだ。ある街で約束を破られた笛吹きの男が笛の音色で子どもを街の外へ誘い出し、そのまま帰らなかったという話だ。
(待てよ、もしかしたらこの音はメイリルが出していたとしたら?)
助けを求めているのかもしれない、そう思うったら居ても立っても居られない気持ちになった。
漠然とだが音の方向は分かる。さっきまでの鬱屈した気分は吹き飛んでいた。一秒でも惜しいと服を着替えると誠は階段を駆け下りて玄関に向かう。
「えっ、朝ごはんも食べないでどこ行くのよ!?」
「ごめん、ちょっと出てくる!」
母親の制止を振り切って家を出ると、中学二年生からの付き合いである愛車に跨りペダルを踏みこむ。既に音は鳴りやんでいたが、鳴っていた方角は把握している。。
(駅の方か。それなら大通りを通っていくか)
誠は一気に坂道を下り持山町の大動脈であるバス通りを目指した。
―――
まだ陽は昇り切っていないにも関わらず昨夜降った雨のせいか、昨日より一層蒸し暑い。それでも自転車を漕いで風にあたれば不快さは紛れる。だが、その蒸し暑さとは違う不快感、あるいは違和感を誠は覚えていた。なにかを虫の知らせが教えているような気がするのだがはっきりしない。いつものとは違い持続的に続く悪寒を抱えながら自転車を走らせる。
何が起こるか分からず緊張を強いられている誠をよそにバス通りの歩道には仕事に行く大人たち、部活の練習に行くのか制服をきた少年少女が、車道には多くはないが車が普通に行き交っている。
(メイリルはこの辺りにいるのか?)
駅に近づくにつれ人通りが増えてきた。バス通りを走っていた誠は、速度を緩めて左右に視線を移しながら自転車を走らせる。向かっている方向にメイリルがいるとは限らないが、それでも念のために注意を払うが彼女の姿を見つける事はできなかった。
(また音が聞こえてきた。……こっちか!)
家にいた時よりも、はっきりと聞こえる音の方へハンドルを切ってバス通りから脇道に入り込む。誠が入ったのは飲み屋などが軒を連ねるエリアだった。当然、朝は営業しておらず人の姿が全くない。
昨日の強風のせいか所々に生ごみが散らばっている程度である。ゴミを避けて自転車を走らせていくと、今度は道の狭い住宅街に出る。
また音は聞こえなくなったが、代わりに何か圧迫感を感じるようになった。虫の知らせが無くても何か良くない事が起こるのを感じる。
(だからって、このまま帰れるか!)
そして、誠は悪寒の原因と『再会』することになるのであった。
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