アギト 11

 「えっと、どうしよう?」


 「とりあえず、俺が妹を足止めするからメイリルは二階の俺の部屋へ!」


 「了解っ!って、よく考えたら妹さんに私の姿は見えない……のかな?」


 「一応、念のために隠れておいて。隙を見て移動してくれ」


 「ん。じゃあ、向こうに隠れているから」


 メイリルが指を指したのは台所だった。そこからでも廊下に出られるので、誠がすべきなのは綾香をリビングまで連れてくる、または二階に誘導することだろう。


 「兄さ~ん、居ないの~!?」


 「居るよ!今行くからちょっとまて!」


 タオルを持っていく前にまずはメイリルが使っていたコップや皿を洗い桶に入れておく。メイリルが隠れているのを確認してから誠はタオルを持って玄関へ向かう。エアコンの影響下にない廊下は恐ろしく蒸し暑く感じる。そして、その先にびしょ濡れの綾香が不機嫌顔を隠そうともせずに立っていた。


 「遅いよ~!」


 「まずお礼を言えって」


 「はいはい、ありがとうございます~。感謝していますですよ~」


 全く気持ちの籠っていない棒読み口調で感謝の言葉を述べながら綾香は誠が持ってきたタオルを受け取り濡れた髪の毛を丁寧に拭いていく。


 「友達の家から歩いて帰ってきたのか?」


 「ううん、友達のママがパパを駅まで車で迎えに行くからっていうから途中まで乗せてもらったの。それで車を降りたとたんに傘が壊れちゃったのよ。あ~あ、お気に入りの傘だったのに」


 綾香の視線の先には無残な姿になった赤い傘が横向きに置いてあった。傘なんてどれも同じだろうと思ったが口にすると面倒な事になるので黙っていると綾香が靴を脱いで誠の前を通り過ぎる。


 「あ~、ここ暑い!向こうはエアコンついているの?」


 「こら、靴はちゃんと並べて……」


 そう言いかけてところで誠の心臓が大きく跳ねる。玄関にはメイリルの靴が置いたままだったのだ。


 「あれ?兄さん、もうお風呂入ったの?」


 濡れた上着を脱衣所に放り込んだ綾香が風呂場を覗き込んでいる隙に誠は靴を拾い上げ後ろ手に隠しつつ蟹歩きで綾香に近づく。その間、ときおりメイリルがチラチラとこちらを窺っているのが見えた。


 「あ、ああ。俺もちょっと降られたから」


 「ふ~ん。ちょうどいいや。じゃあママ達が帰ってくる前に入っちゃおっと」


 即断即決が信条の綾香は傍らに立つ兄の様子を気にも留めず小走りで階段へ向かっていく。メイリルが目で「どうする?」と指示を仰いできたので誠は「しばし待て」とジェスチャーを返す。

 案の定、またドタドタと階段を降りてきた綾香がリビングに飛び込んでバスタオルを持って帰ってきた。


 「ほらほら、いつまで突っ立ってんの、邪魔よ邪魔」


 「あ、ああ、風呂沸かしたのは大分前だから温めなおせよ」


 「はいは~い、じゃあ入るから覗かないでよ」


 「誰が覗くか!」


 誠が抗議の言葉を言い終わる前にバタンとドアが閉じた。

 「まったく」と言いながら誠が視線を前に向けるとまた居間から顔を出して兄妹の事を微笑ましく見ていたメイリルと目が合った。


 「今のうちに行こう」


 二人は静かに階段を上って自分の部屋のドアを開ける。別に誠が足音を忍ばせる必要はないのだがなんとなくである。そんなこんなで到達した部屋はサウナのように蒸し暑くなっていた。


 「うわ~、暑いね~」


 「すぐ涼しくするから」


 部屋の明かりをつけた誠は机に置いてあったエアコンのリモコンを手に取ってスイッチを入れる。すばらしい文明の利器は少し間を置いてから涼しい風を室内に送り込み始めてくれる。


 「この機械も便利だね。簡単な操作で誰でも扱えるってすごいよ」


 「魔術でこういうことはできないの?」


 「似たようなのはあるけど温度の微調整とか効果時間とか色々問題がね。そもそも魔術の才能がない人は起動できないし、ちょっとでも刻んだ術式が傷ついただけでも誤作動を起こすし危ないんだよね。だから基本的にそういうのがあるのは、よっぽどのお金持ちか自分で作れる魔術師の家くらいかな」


 「へぇ。魔術ってやっぱり難しいものなんだ」


 「本格的に魔術というのが研究され始めたのってマグ・クレスタが出来た後だから歴史が浅いんだよ。しかも使える魔術に個人差があるとなると中々ね……」


 何代も続けて同じ、ないしは似た資質を持つ人はそうそういない。例え素質は持っていたとしても以前の研究を引き継げる能力があるかは、また別問題だ。そんな感じで魔術の研究は何度も中断しつつ行っているのである。


 「だからこそマグ・クレスタは多くの魔術師を集める場所として重宝されていたんだけど、他の国にも学校ができたせいで生徒や研究者の奪い合いをして更に研究が遅れちゃってるし」


 「優秀な人は手元に置いておきたいっていうのはどこも共通なんだな」


 「結局、今も昔も魔術師って国や組織の影響を受けやすいんだよ。あっ、ごめん、靴こっちで預かるよ」


 誠から受け取った自分の靴を、メイリルはリュックから取り出した袋に入れて部屋の隅にそっと置いた。


 「見つかったら面倒だし、リュックにも不可視の術を掛けたほうがいいかな?」


 「あ~、いや、もし誰かが触ったりしたら面倒だから術はかけないで。代わりにこれを被せておけばいいよ。もし見つかっても適当に言い訳するから」


 「わかった。それなら私の下着とかは下の方に入れといたほうがいいね。見つかったらマコトが変態さんになっちゃうし」


 「し、下着って……」


 顔を赤くした誠の手からクスクス笑いながら隠すためのテーブルカバーを受け取ってメイリルがリュックの中身を整理しだす。床に置かれた、それっぽい白い布を見て更に誠の顔が熱くなるがメイリルは気にした様子もなく荷物を積み直し、最後にしっかりリビングから持ってきたビニール袋に入った三個の菓子パンをしまい込む。それを見て誠はふと気になったことを聞いてみた。


 「そういえばメイリルは今まで食べ物はどうしてたの?ずっと保存食とか食べていたとか?」


 「あっ、あ~、うん。保存食もあるにはあるんだけど味がね……」


 なぜか一瞬メイリルがビクッと震えたのは気のせいだろうか。


 「えっと、だから現地調達しようと思ったんだけど、この辺りに野生の動物とか全然いないし……」


 「まぁ、そうだろうね」


 「で、そのちょっとお店で食べられそうな物を……」


 「えっ、まさか盗んでたの!?」


 「ち、ち、違うよ!お金は置いたよ……私の世界のだけど」


 「それって……」


 誠が昼間に亜由美に見せられたコインの特徴を尋ねると完全に悪い事をして叱られる子どものように小さくなったメイリルが小さく首を縦に振る。


 「……うん、それ、立派な泥棒」


 「だって、どうしてもお肉を食べたかったの~!」


 メイリルの慟哭を聞きながら誠は天を仰ぐ。思わぬ所で名探偵が調べている事件を解決してしまったが達成感なぞは当然微塵もなかった。


 「ううっ、ごめんなさい」


 「いや、俺に謝られても……。とりあえずこの件は保留にして、さっきの話の続を……」


 「たっだいま~!誰かタオル持ってきて~!」


 話を切り替えようとした誠の声を元気のよい女性の声が遮った。


 「お母さん?」


 「そう、ちょっと行ってくる。適当に座って待ってて」


―――

 バタバタと下に誠が降りていくと、女性と男性の声がする。どうやら誠の両親が揃って帰ってきたらしい。バタバタと廊下を走る音がしているのは恐らくマコトが走り回っているのだろう。しばらくすると笑い声も聞こえてきた。


 (家族、か。みんな元気かな~)


 あの店を出た時、おしゃべりに興じている同年代の子たちを見て、少し前まで送っていた学生生活を思い出していた。


 (でも、そのせいでマコトに迷惑かけちゃったな。いや、今もか)


 メイリルの不可視の術は完璧のはずだった。なのに、彼はなぜか見破った。そのままなし崩し的に協力者にしてしまったが、それは正しかったのだろうかと今更ながらに思う。


 メイリルが託された使命は三つあった。


 一つは、アギトの行方を追う事。


 二つ目は、奪われた神装武具の発見、ないしは奪還。


 そして三つめが、移動先の世界との協力関係の構築である。


 しかし、三つ目に関してメイリルは躊躇っていた。もしチキュウがアギトに襲われ戦闘状態にあったのなら然るべき人とコンタクトを取るべきだったのだろう。

 だが、メイリルを始め故郷の多くの人の予想を裏切って、ゲート潜った先の異世界は平和だった。

 この平和な世界を自分たちの争いに巻き込んでいいのだろうか?


 結局、答えは出せず、ただ姿を隠し息を潜めていた。最初は目につく物全てが新鮮で観光気分で気を紛らわせることも出来たが、三日もすると帰ることが出来ない孤独の重圧に潰されそうだった。ここ最近は眠る前にいつも泣いていた気がする。先の見えない異邦でのその日暮らしに疲れ切っていた。だが。


 (今日は楽しかった。すごく楽しかった!)


 誰かと他愛のない話をすることがこんなに楽しく心を明るくするなんて知らなかった。それにパンもラーメンという食べ物も美味しかった。

 なにより、たまたま術が効かなかった少年がアギトらしい怪物の事を知っていた。これは最早運命といってもいいのではないだろうか。


 (運命……か)


 メイリルは知っている。この運命の先には必ず命をかけた戦いがある事を。

 果たして、その戦いにあの優しくて少し気弱な面がある少年を巻き込むべきなのだろうか?

 考えながらベッドに腰掛け、そのまま横になる。手から離れたアリエントが絨毯の上に落ちて転がる。


 (あっ、マコトの匂いだ)


 すっかり嗅ぎ慣れた土の匂いではない人の匂いに包まれて安心したのか、いつの間にかメイリルは寝息を立てていた。


―――

 その少し後。


 「えっと、どうしたものかな……」


 両親にタオルを渡したり、風呂場でピンク色の髪の毛を見つけた綾香の追及を受けたりと色々苦労して戻ってきた誠が見た光景は、おへそを出してベッドで眠っている少女の姿だった。

 起こすべきかなと思い艶めかしいお腹を見ないようにしつつメイリルを揺り起こそうとした誠の手がある物を見て止まった。


 (泣いていた?)


 微かに目の横に流れる涙の跡を見て誠は改めて目の前の少女の境遇を思い出す。

 半ば無理やり故郷を追われ一人で異世界に来て帰れなくなった少女。

 そして、自分の事をパートナーと呼び初めて、あの荒唐無稽な話を信じてくれた少女。

 初めは自分の見た怪物の正体を知りたいという欲求だけだった。だが、メイリルの話を聞いて今はそれだけじゃない気がしている。


 義務感、使命感、連帯感、あるいは好意。

 いや、もっと単純にただ困っている人を助けたいのかもしれない。


 (今まで無視されてきた俺の記憶がこの子の役に立つのなら……)


 やってやろうと強く思う。


 思えば今まで真剣に自分で真実を知ろうとはしていなかった気がする。

 誰も信じてくれないと拗ねて悲観して悲劇の主人公ぶっていただけ。

 そんな自分の不幸なぞ目の前の少女の苦難に比べてなんだというのだ。

 恐らく、この調査の先に戦えない自分の居場所はないだろう。それでも、いや、だからこそその場面が来るまで全力でメイリルを支えよう。

 彼女が目的を達成して故郷に帰れるように!


 (そのために、まずは……)


 メイリルの肌に触れないように細心の注意を払って服を直してから予備の毛布を取り出し優しくかける。起きる気配が全くないのに安心してから机のパソコンを起動する。


 (もう一度、二年前の事故を調べてみよう。あれから何か分かった事とかあるかもしれない)


 その日の夜遅くまでインターネットで情報を調べるも熱意に反してこれといった情報は集まらない。家族が寝静まった後に風呂に入った誠はしばらくまた情報を探る。この時には既に事故の件からは離れて漠然と不思議な話を追って行くだけになっていた。


 (まぁ、やっぱり大した情報なんてないよな。にしても、ここ数年で妙に関東地方で行方不明事件って起こっているだな)


 今朝のニュースでもやっていたが、この手の事件が増えているのは気のせいではなかったらしい。中には街一つ分の人が行方不明になったとかいう記事もあったが信ぴょう性は極めて低い気がする。


 (そもそもアギトと関係なさそうだしな)


 部屋の明かりは誠が机のライトのみで薄暗い。既に深夜二時になろうとしているがメイリルは相変わらずの熟睡モードである。

 いつの間にか外の風の音は止んでおり雨音も聞こえなくなっていた。


 (俺もそろそろ寝るか)


 机の明かりを消し座布団を丸めて枕にして床に転がる。

 女の子、しかも異世界の美少女と一緒の部屋にいる。緊張して眠れないかもという誠の不安は、疲労に正直な体のおかげで杞憂に終わった。


 横になって数分後、誠の意識はあっさりと眠りに落ちていった。

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