アギト 9

 メイリルの活躍で多大な犠牲を払いながらもマグ・クレスタは救われた。しかし、何が起きたのかは肝心のメイリルが眠り込んでいたため事情も聞けず気を緩めるわけにもいかなかった。生き残った人々には詳細を告げずにアギトが倒されたことを伝えたが恐怖を完全に拭い去る事はできなかった。


 二日後、瓦礫の撤去や救助作業など忙しく働いていた学院長たちにある情報がもたらされた。


 『アギトが撤退を開始した。最初は誤報、次は罠か何かだと思ったよ』


 前線の兵士たちも、いつまたアギトの大群が現れるかと緊張状態を維持していたが、しまいに我慢ができなくなった。部分的に結界を解除し、いくつかの部隊を北部地域へと派遣した。しかし、そこで彼らが見た物は見るも無残な廃墟と丸裸になった山々、そして延々と続く草も生えていない荒れ地のみでアギトの姿は発見できなかった。


 五日後、メイリルが手にした杖の正体が判明した。学院の地下で極秘に調査を続けていた老師が出した名にヘインは眩暈を覚えたという。


 『真杖アリエント。名は聞いたことがあるかい?』


 『いえ、先ほどシェリー神官長から聞いたのが初めてです』


 『なら、知識の神ナイトゥは知っているだろう?』


 『それはもちろん。知識の神、魔法神、そして他の神々の制止を振り切って私たち人間に魔術を与えてくださった神、ですよね』


 『その通りだ。常に素顔を隠して描かれる異貌の神。他の神々と違い未だに男神なのか女神なのかもわからない謎多き神。一説によれば外の世界から来た神とも言われているね。後に神と呼ばれることになる者たちに魔法を与えた原初の神、至高神とする一派も存在する。そして、そのナイトゥの啓示を受けたという聖女を崇拝しているのが、かの聖女教会だ』


 メイリルの視線に気づいてシェリーが優しく微笑む。その姿からは激しくヘインたちに向ける激しさは微塵も感じさせない。その気品に溢れる姿は同性のメイリルすら魅了されそうになるほどであった。


 『ヘイン、ここは講義の場ではないぞ。それにまだメイリルは食事が終わっておらんのだ。話を振るでない』


 『そうでした。すまない、ここ最近教壇に立っていないのでついね。さて、本題のアリエントだが、その記述は驚くほど少ない。神々を描いた最古の壁画に刻まれた一文にはこう書かれている。その杖にはナイトゥの知識全てが記録されている、と』


 『長らくその言葉の意味する所は不明じゃった。じゃが、君が見つけた杖を調べて合点がいった。あの杖の頭頂に頂く白い宝玉。あれこそが知識神が己のもつ魔法の知識、その全てを封じた物なのじゃ』


 『……知識を封じた物ですか』


 食事を終えたメイリルが呟く。そう言われれば、あの時全く知らない術式が頭に浮かんだのも納得がいく。

 メイリルの呟きに頷いて老師は更に自らの推論を語る。


 『メイリル、お主はアリエントから魔法の術式を引き出したのではないか。その知識と杖から溢れ出した魔力を持って、人の身でありながら魔法を使ったのではないか。ここにいるヘインとガラナスと様々な可能性を論じ、後は本人に確認を取るしかないないと思っていたのじゃ。……ところが』


 老師の顔にまた珍しく苛立ちが現れる。その言葉を繋いだのは離れた席にいたガラナスだった。


 『話を盗み聞ぎしていたウェインの馬鹿者が、その話をあろうことが売ったのだ!一人の少女が失われた神性武具を見つけ魔法を使った。学院はそれを秘匿しているとな。くそっ、あの男、見つけ次第叩き斬ってくれる!』


 『私としましては、その勇気ある方に感謝したいですわね。おかげで知識を奪われる事態を未然にふせげたのですから』


 ガタンと音を立ててガラナスが椅子から立ち上がり部屋の隅を悪鬼のような形相で睨みつけるが、当の相手は相変わらず涼しい顔をしてお茶のお代わりを震え上がっているメイドに頼んでいた。


 『席につけ、ガラナス。突然アギトが居なくなったが理由が分からず人々は喜べずにいた。そこに分かりやすい形の英雄譚が広まってしまった。死の恐怖に疲れ切っていた人々が熱狂するのも当然だろう』


 『元々、メイリルは無事だった寮の部屋で休ませていたんだけど、噂を聞いた街の人が一目見ようって押しかけてきちゃって大変だったんだよ~』


 『じゃあ、この館がカーテンが閉めっぱなしなのって……』


 『まぁ、覗き対策じゃな。じゃが、あまり怖がらせたくはないが意識のないお主を攫おうと考えていた者もおったやもしれん。その用心もあってのことじゃ』


 メイリルがこの家に移ったのは五日後の夜のことだった。そして、対アギト用に開発された通信網でメイリル・マクドールと真杖アリエントのことはあっという間にネビュラ大陸中に知れ渡ることになった。

 そして、様々な事でごたついているうちに七日後の今に至るという事だった。


 『さて、そろそろ食べ終えたと思うので私も君に聞きたいことがある。そもそも君はアリエントをどこで見つけたのだ?』


 『えっと倉庫の奥、聖廟で見つけました』


 背筋を伸ばしてメイリルは見つけた時の事を出来るだけ詳しく話すが、ヘインと老師の顔を見るといかにも納得がいっていないように見えた。


 『あの、私は嘘なんてついていません。本当に棚から落ちてきて……』


 『ああ、いや、決して君が嘘をついているなんて思ってはいないよ。ただ、そんな箱があるなんて記録は私は見たことがないのだ』


 『ワシが学院長をしていた頃もじゃ。あそこには色々いわくつきの物が多いからのぅ。信頼できる者に定期的に調べさせておるし、魔境と違って記録も完璧なはずじゃ。お主も見たから知っておるじゃろうが部屋自体も狭いから見落としていたとも考えにくい。むろん前回の点検後に忍び込んでこっそりと置いておくことは出来るかもしれんがのぅ』


 『それに、これは完全にこちらの手落ちだが、アリエントが入っていたという木箱も喪失してしまった。君の情報でどういったものだったのかはわかったのだから、すぐに調査させ見つけ出そう』


 『そうじゃな。その箱をみれば来歴もわかろう。次はお主が使った魔法についてじゃが……』


 『あの、そもそもの話なんですが、私が使ったのは本当に魔法だったのですか?』


 『もし君が使ったのが魔術であるのなら、あの渦が現れた場所には魔力の渦によって大穴が開いているはずだ。しかし信じられんことだが、地面にはなんの跡も残ってはいなかった。それは一時的に大地と渦の存在を入れ替えたということだ。そんな奇跡みたいな事を出来るのは魔法だけだろう』


 『やっぱりそうですよね……』


 『それで、お主はどうやって魔法を、正確にはその術式を知ることができたのじゃ?』


 問われたメイリルは杖を手にした後の事を話した。とはいえ、記憶があいまいなので、どうしてもふわふわした内容になってしまったが、それでもその場にいた人たちは真剣にきいていた。


 『術式が勝手に頭に、のう。望んだから得られた訳ではない。つまり自在に知識が得られるという物でもないのか』


 『私はただ単に一方的に送られてきた術式を使っただけですし、効果も世界中に影響を及ぼすようなものじゃないです、多分』


 『その多分というのはどういう意味じゃ?何か気になる点でもあるのかの』


 『えっと、最初に示された術式だと効果範囲が広すぎると感じたので狭めるように調整をした……ような気がシマス』


 話しているうちにヘインと老師の顔の皺が深くなるのを見てメイリルの言葉が尻つぼみに消えていく。


 『魔法の術式を変えるなど、なんと危険なことを……』


 『その、よくわからないですけど上手くいく自信はあったんです。どこをどういじればいいのか、あの時ははっきりとわかっていたんです』


 『それもアリエントがもたらした知識というわけか』


 『素晴らしい!素晴らしいですわ!メイリル様、あなたこそ我らが神ナイトゥに選ばれた新たな聖女に相違ありません!』


 手を叩きながら感極まった顔で立ち上がるシェリーに向けてヘインが珍しく苛立ちを露わにする。


 『神官長、彼女がアリエントの継承者だとしても、まだ子どもなのだ。過度な期待と重圧を与えるような発言は控えていただきたい!』


 『私はただ称賛しているだけですわ。決してメイリル様の意にそぐわない事をするつもりはありません。現に我が教会は私以外にはこの地に足を踏み入れてはいませんでしょう?ですが、他の者はどうでしょう?いくつかの国や組織は復興資金と引き換えにメイリル様とアリエントを引き渡すことを求めているのではありませんか?』


 沈黙が何よりの答えだった。図星をついたシェリーの笑いが食堂に響く。


 『結局、あなた達には何も守れやしない。いくら綺麗事を並べようとも現実は変えられない。今は交渉をしている者たちも、そのうちに我欲を牙に変えて襲い掛かってくるでしょう。あなた達にそれを防ぐ術があるのかしら?』


 『我らとて、あの日から何もしてこなかった訳ではない!我々は二度と生徒を学院の犠牲にはさせん!』


 『フフ、密告者がいなければもう少し説得力がありましたのにね。さて、私はこれにて失礼させていただきますわ。メイリル様、またいずれお会いしましょう』


 優雅に一礼をしてシェリーは歩き去った。アンの手がメイリルの手を強く握る。その手を握り返しながらメイリルは不安な気持ちを押し殺して、ただシャリーが座っていた席をいつまでも見ていた。


―――

 「真杖アリエント。神話の時代に悪魔と戦い人々を守り抜いた神々が作りだした神性武具の一つ。長い間行方不明だった物がまさか地方の学校、その倉庫の奥に無造作に放り込まれていたなんて誰も思わないよね。でも経緯はどうあれ、それは私が手にしてしまった。その後の展開は、残念だけどシェリーさんの言う通りになっていったんだ」


 「なんで、その偉い人達はメイリルを欲しがったんだろう?いくら魔法がスゴイとしてもアリエントを渡せば済む話なんじゃ?」


 「残念だけど神性武具は誰にでも扱える物じゃないの。特に神性が強い、つまり昔の力を保ち続けている武具ほど使い手は限られるから」


 「なるほど、選ばれし者にしか扱えない、まさしく伝説の武器ってわけか。代わりに扱える人は誰もいないからメイリルでなければならないと」


 「まぁ、捜せば他に誰かいたかもしれないけどね。ただ下手したら廃人になるかもしれない危険を冒して試す人はいないというだけで」


 「ああ、資格のない人が手にすると罰を受ける的なものか」


 「それに単純に時間がなかったのもある。みんなアギトが去って平和が戻ったと信じていた。いや、信じたかった。だけど、そんな願いを打ち砕くモノが北の地、最初にアギトが現れた場所に残されていたんだよ」


 南部で一部の権力者が愚かな政争に明け暮れていた頃。北部では、いつアギトに襲撃されるかという極限の緊張状態に晒されながらも賢明な調査活動が続けられていた。そして全ての原因となった、かつて森があった場所は奇怪な造形物は消え去り、残されていたモノは直径五十メートルはある巨大な半円形の光るエネルギー体だった。


 「それが何なのかはすぐにわかった。私たちの魔術とは違う方法で作られた転移ゲート。いくらアリエントがあっても魔法、魔術の類でないのならどうしようもない、最悪の置き忘れがあったんだ」


 「壊すのは無理だったの?」


 「攻撃を当てても、その攻撃がどこか違う場所に飛ばされるだけだしね。それに何より、こちらから干渉してアギトを刺激するような真似は避けたかったんだよ」


 残されたゲート、消えたアギトの行方。それらをどうすべきかを世界各国のトップたちが話し合い、その結果それを調べる大役は新たな英雄メイリル・マクドールに託されることになった。


 「私に一切の断りも無くね!……まぁ、誰かがやらなくちゃならないのは分かってはいたし、なんとなくそうなるんじゃないかなぁとは覚悟はしていたけど」


 「でも、メイリルを手元に置こうとした人は沢山いたんだろう?なのに異世界へ送るなんておかしくないか?」


 「神性武具は国力のバロメーターなんだよ。アギトとの戦いで数は減ってしまったけれど、それでも各国の力の均衡は保たれていた。でも私がアリエントを継承してしまった事でバランスが崩れる危険性が出てきたの。要するに私の存在そのものが火種だったんだね」


 とくにこの時のメイリルの故国であるシロン聖王国は難しい立場にあった。

 北部地域を領土に加えようとする他国の牽制。そしてアギトから逃れてきた北部の王侯貴族たちからの領地回復の嘆願。そんな板挟みの交渉を余儀なくされていたうえに、更に危ういパワーバランスを崩しかねないメイリルの存在は聖王国にとっては頭痛の種でしかなかった。しかし、だからといってメイリルを他所に引き渡すなどもできない。

 だからこその調査という名目の国外退去は渡りに船の采配だったのだろう。


 「別にメイリルが悪い事をしたわけでもないのに酷い扱いだな!」


 「家族や先生たちは最後まで私を庇ってくれたけど、ね。学校自体が国の援助を受けて運営している以上は要求を突っぱねるのは無理だったんだよ。それに一番私が調査に出る事に賛成していたのは権力者より庶民の人たちだったんだけどね」


 これもまたメイリルをめぐる暗闘の一つだった。


 メイリルの存在が大国を利するのであれば殺してしまえという過激な考えを持つ小国や組織も少なからず存在していたのである。しかし、半壊したとはいえ未だ守りの硬い学院での暗殺は難しい。そんな中、アギトがひしめいているであろう場所にメイリルを送り込むことが出来れば事は成せる。

 そこで不安にゆれる人々の心を煽り、それを圧力として聖王国と学院にぶつけたのである。

 結局、様々な思惑があったが、権力者、庶民の心が一つとなり、メイリルの派遣が決定してしまったのであった。


 「えっと、つい最近まで、その人たち協力して戦っていたんだよね?」


 「比較的落ち着いていた北部と違って南部はごたごたが続いていたからね。そこに大陸の半分の空き地が出来たんだから目の色も変わるし危機感もどっか行っちゃったんでしょ」


 「でも避難民の人がいる以上勝手には出来ないじゃ?」


 「残っているのが本当に土地だけだからね。植物も動物もいない以上どうしたって北部の復興には南部の力が必要だから。結局実際に武力は使っていないだけで水面下じゃ激しくぶつかり合っているんだよね。本当にくだらない話だけど。まぁ、こっちのつまらない政治の話は置いておいて。違う大陸に逃げるっていう最終手段はあったけど私はこの決定を受け入れた。どうせ、誰かがやらなきゃならないだし、ってマコトがそんなに怖い顔しないでよ~」


 「あっ、ごめん。……いや、きっとメイリルの世界の大人の人たちも色々あるんだろうなとは思うし部外者がとやかく言う事じゃないんだろうけどさ。それで、メイリルの他に何人くらい地球に来たの?」


 「ん、私一人だけど」


 「は!?いやいやいや、アギトが大量にいるかもしれない場所になんで一人!?」


 「いるかもしれないから一人なんだよ。無駄に犠牲は出せないでしょ。他の神性武具の継承者は万が一の事態に備えなきゃならないしね。私だって死にたい訳じゃないからね、最初はちょっと様子を見てから帰るつもりだったんだけどゲートが……、あっ、いや、思ったよりも平和な場所だったからちょっと観光でもしようかな~とか思ってデスネ」


 「今何か言いかけたよね。で、本当は?」


 「……潜ってきたゲートが消えて無くなっちゃいました。おかげで帰れなくなりました」


 予想よりも酷い答えに思わず誠は無言で倒れ込む。


 「ああ、いやいや、大丈夫だよ。来られたんだから、きっと帰れるって!」


 そんなメイリルの声を上の空で聞きながら、良くない事を告げる虫の知らせがやっぱり正しかったことを思い知る誠であった。

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