アギト 7
着地と同時に名乗りを上がるかのようにアギトが街中に響くように咆哮を発した。今まで、誰一人聞いたことのなかったアギトの咆哮は歴戦の兵士や魔術師たちを昏倒させ無力化した。
「そう、アギトは獣の姿を真似していても、決して声を出すことはなかった。少なくても聞いたことのある人はいなかったんだけど、それはもしかしたら咆哮を聞いて生き延びた人はいなかったからかもしれないね」
事実、咆哮を聞いた老人や子どもは、その場で心臓が停止、何が起こったのかを知ることもないまま絶命した。己を鍛え上げた歴戦の戦士たちですら意識を刈り取られ昏倒してしまったのだ。
そして、邪魔者を排除したアギトは思うままに破壊と虐殺を繰り広げる。雷撃が、火炎が、竜巻が、奪われた魔術の力が魔術で発展してきた街を蹂躙していく。調和を意識して建設された歴史ある家を、綺麗に舗装された道を、大切に育てられた街路樹が、その全てが跡形もなく破壊された。そしてアギトが歩く度に近くにある残骸がその体に吸い寄せられ吸収されていく。
こうして美しく繁栄していた街は一瞬で滅亡の縁へと追い込まれた。
「とにかく住人を逃がす時間を稼ぐために負傷兵の人たちや上級生が急いで出陣したんだけど……」
しかし、これも結果的には悪手だった。いや、無駄な犠牲を増やさなかったと考えればむしろ良かったのかもしれない
ちょうど決死隊がふもとに辿り着いた時、アギトは何かを感じ取り、その巨躯を躍動させて学校がある山を目指して移動していたからだ。
途中にある物を踏み潰し跳躍し遠ざかるアギトの姿を決死隊の面々はなんとか追いすがろうと試みたが速度の違いは如何ともしがたかった。そして、そんな彼らにある命令が下された。
「事態はもうマグ・クレスタだけの問題じゃない。この怪物が持つ結界破りの能力を他に伝達される前にどうにかして消し去るしかない。そうしなければ国が、世界が終わってしまうと学院長たちは考えて、そして覚悟を決めたの。この街もろともアギトを消し去る事を」
このマグ・クレスタの地下には兄弟な魔力を蓄えた力場が存在している。そこに刺激を与えてアギトを道連れに自爆をしようというのだ。だがその作戦を実行する前に住人たちを爆発の余波を抑える防壁の外へ逃がさなくてはならない。決死隊の面々は、瓦礫の下に埋もれる人々を一人でも救うべく行動を開始した。
「私が退避命令を聞いたのはある先生の命令で地下倉庫で何か使えそうな物を捜しているときだった」
マグ・クレスタの地下倉庫、通称魔境には様々なマジックアイテムがしまい込まれている。そこには卒業生や先生たちが趣味で作ったアイテムが所せましと所蔵されている。だが、あまり知られてはいないがその更に奥に厳重に鍵が掛けられた区画が存在する。封印廟と辛うじて読める錆びたプレートが打ち付けてある扉を開けると薄暗い魔境とは違い、淡い光に照らされたその場所はどこか厳粛な雰囲気をもっていた。明らかにマグ・クレスタと年代が違う金属質な白い壁は長い年月が経っているにも関わらず未だに眩いばかりの光沢を保っていた。
「なんでも、ここに移り住んだ最初の魔術師が発見した遺跡の一部なんだって。そこには色々な場所で発見された用途不明なマジックアイテムがあるんだ。もっとも大半は壊れて使い物にならないのばかりだったけど。それでも、アギトの気を引ける餌になるかもって思って手当たり次第に箱に詰め込んで一緒に来ていた友達たちと地上に運んでいたんだけど、ちょうど三往復終わったところだったかな」
既に大半の物を運び終えた封印廟はガランとしていた。そこで、まだ一人残って作業をしていたメイリルの元に親友のアンナ・シェーン、通称アンが息を切らせてやってきた。
『メイリル、作業は中止だって!持てるだけの荷物を持ってすぐに運動場に来てくれってウェイン先生が言ってる!』
『何かあったの!?』
『アギトが結界を破って入ってきたって!あっ、老師!』
『ここには二人だけか!?君たちはすぐに退避するのじゃ。一階の転送ゲートが使えるようになっとるから急いで街から離れるのじゃ!』
友達と一緒に顔を出したのはメイリルの師でもある老人であった。先代の学院長であり、齢80を越えて今も現役で教壇に立つ、温和でのんびりしている老師が珍しく慌てた様子ですっかり白くなったトレードマークの長いあごひげを揺らしてメイリルたちに脱出を促す。
『じゃあ、これだけ持っていきます。アンはそこの箱をお願い!』
『急ぐのじゃ!ワシは他に誰かいないか見てくるでの』
『はい!アンは先に行ってて!』
『う、うん。メイリルも急いでね!』
『私だって、こんな所で死ぬつもりはないよ!』
心配そうな友達を元気づけるようにおどけて送り出すと、まだ僅かに棚に残っている物を箱に詰め込んでいく。
『何が役に立つかわからないからね。……うわっ』
ドンと体が下から突き上げられる感覚にメイリルがよろめく。どこかで何か大きな爆発でも起きたのか、その衝撃で後ろの魔境から物がひっくり返る音が聞こえてくる。
『びっくりした……!そろそろ逃げないとヤバいよね。……ぐは!』
振動が収まって立ち上がろうとしたメイリルの頭に棚の一番上にあったらしい古めかしい1メートル大の長方形の木箱が落ちてきた。どうやら振動で奥にしまってあったものが落下してきたようだ。
『もう、何なの……。何これ?』
あまりの痛さに涙目のメイリルだったが、落ちてきた箱が持つ異様さに痛みを忘れて思わず手に取って見入ってしまった。
『箱一面に魔術文字?……何かの封印術かな、これ。それに封に使われているのは……術糸じゅしで作った縄?すごい、こんな厳重な封印、初めて見た。でも、さっき棚を見た時にはこんなのなかったような……?』
この時、メイリルにもっと知識があれば木箱に使われている材木も霊木と呼ばれる希少価値の高い非常に特殊な物だと気づけただろうが、そんなことを知る由もないメイリルにとってはただの古臭い箱に過ぎなかった。
『そうだ、こんなの見ている暇ないんだった!』
この箱に何が入っているかは不明だが、これほど厳重に封印されているという事は、相当な代物が入っているに違いない。その木箱を荷物の一番上に載せてメイリルは凄まじい惨状を示す魔境を潜り抜けてアンを追って走り出した。
重量軽減の魔術で軽くなっているとはいえ荷物を抱えて階段を駆け上がるのは骨が折れる。元々体力は人並みで何度も地上と往復をしていれば疲れるのは当然だろう。それでも、なんとか速度を落とさず、ぜぇはぁと息を切らせて地上に戻るとあちこちで避難誘導の声が聞こえてきた。『とおりま~す!』と声をかけて、人でごった返している廊下をなんとか渡り切り運動場へたどり着いた。
『結界はどうだ?』
『残念ながら……。先ほど使った魔術兵器の試作型も破壊、吸収されました。先代の指示で各所にマジックアイテムを置いてアギトの注意を惹きつけてはいますが、それもいつまでもつか……』
廊下と違って人の少ない運動場の中心でローブを着た壮年の男二人が被害について話している。状況は相当にマズイらしいというのは話の内容だけで分かる。現在の状況が気になったメイリルは二人の会話を聞きながら運動場を横切り街が見える場所まで歩いて行った。
マグ・クレスタの魔術学校は三層に分かれている。街に近い下層には生徒や職員の寮、中層には今メイリルがいる学校施設、そして上層には魔術兵器を開発したより専門的な研究をする施設がある。
街を見下ろせる場所にある運動場だけにその被害が手に取る様に分かる。美しかった街並みは無残に破壊されあちこちから黒い煙が見える。
大好きだった街並みのあまりの変わりように呆然としているメイリルの肩を誰かが強く掴んだ。
『学生がなぜまだこんな所をウロウロしているのだ!』
『君は……。そう、たしかメイリル・マクドール君だったな。君もウェイン君に頼まれて倉庫の荷物を持ってきてくれたのだろう?さきほどアンナ君から聞いたよ』
メイリルに話しかけたのは、さっきの二人の男だった。
メイリルの肩を掴んだのは副学長を務めているガラナス・スクイン。とにかく厳しい事で有名な人物で、次に話しかけてきたのは温和なことで定評のある現学院長であるヘイン・チャレズ。ともにメイリルにとっては魔術師として雲の上の存在である。普段と違うローブ姿だったので気づかなかった己の注意力不足にメイリルの顔が真っ赤になる。
『は、はい!それでウェイン先生は?』
『なに?あいつは生徒に何も告げずに逃げ出したのか!?そもそも生徒は速やかに非難させろと言っておいたのに!全くどこまでもいい加減な男だ!』
『落ち着け、ガラナス。まずは彼女の肩を離せ。お前は自分の馬鹿力をいい加減自覚しろ。ご苦労だったね。荷物はそこに置いて君はすぐに退避するように』
『あ、あの……!』
『何だね?』
『私たち、またこの学校に戻ってこれます……よね?』
『……もちろんだ。そのためにも君は生き残らなくてはならない。さぁ、早く行きたまえ。友達がまっているのだろう?』
その言葉の裏に二人の先生の決死の決意を感じ取り、知らずメイリルの頬に涙が伝う。恐らく、まだ校舎内にいる老先生も残るつもりなのだろう。偉大な先達たちを前にして軽々しく手伝いたいなどと言える訳もなくメイリルは黙って二人に頭を下げて足早に指定された場所に荷物を置いた。
一度に百人を飛ばせる転送ゲートをフル稼働しているおかげか、既に校舎内に人の姿は無くなっていた。いつもなら学校が終わり賑やかな時間帯なのに今は廃墟のように静かで、それがまたメイリルの涙を誘う。(泣いている場合じゃない)と手の甲で涙をふくと転送ゲートがある校舎に視線を移すと入り口でアンが手をふっていた。知った顔を見つける事で冷え冷えとしていたメイリルの心に少しだけ温かくなった気がした。どうやら次で最後の便らしい。『急いで』というアンの言葉を聞いてメイリルはガタガタになっている体に鞭打って走り出そうとした。
だが、その直後。アンの元へ向かおうとしたメイリルは突然後ろから発生した振動でつんのめり、次いで校舎に炸裂した火炎弾の爆風で大きく吹き飛ばされた。パラパラと体に落ちてくる瓦礫の痛みで意識を失わずにすんだが、目の前の校舎の中ほどから上が消し飛んでいる光景に頭は凍り付く。何が起きたのか、なぜこうなったのか、そしてアンはどうなったのか、痛む体を持ち上げて背後の悪寒に目を向ける。
そこにいたのは、まさしく魔獣という呼び名がふさわしいアギトの姿であった。
『くっ、最終防衛ラインを突破したか!』
『もとよりこうなることは分かっていただろう!おい、そこの生徒!いつまでぼっーとしている!死にたくなければ早く逃げろ!』
青い光に刀身を包まれた両手剣を振るいガラナスが怒鳴る。巨大、あまりに巨大な獣の姿をベースに荒々しさと禍々しさを濃縮したようなアギトの姿に恐怖で腰が抜けてしまっていた。逃げなくてはと思うが体が言う事を聞かない。なんとか腕の力だけで地面を這うがその歩みは遅々として進まなかった。
一方の運動場ではガラナスの放った斬撃がアギトの顔を切り裂いた。そして間髪を入れずヘインが氷の魔術最高ランクの『氷導ノ捌はち 氷棺アイスコフィン』でアギトの体を凍てつかせて動きを封じる。二人が持っている剣と杖が神性武具だからこそ出来た芸当だろう。
しかし、並の相手ならともかく相手は全てにおいて規格外の怪物である。顔を再生しつつ凍結した足を自ら引きちぎり新たな四肢を再生させ学院最高戦力の二人を相手に圧倒的な戦いを展開する。たった二人の魔術師たちはすぐに劣勢に追い込まれていった。
メイリルのきれいな手に傷が増えていく。何か魔術をと思うのだが恐怖に支配された精神は魔力の統一を阻害する。焦れば焦るほど泥沼に陥っている自覚があるが、かといって恐怖を取り除くこともできない。せめてここに自分の杖があればと思うが荷物運びに邪魔だからとロッカーに入れたままだ。せめて代わりになるものはないかと探すメイリルの目に止まったのは、さっき自分が運んできた荷物の残骸だった。衝撃で吹き飛ばされ中身はぶちまけられて大半が散逸してしまっていたが、その中に一つ、あの厳重に封印されていた箱が目に止まった。
『……封が解けている?』
縄が切れ上蓋が半分開いている。そこから見えたのは現代の魔術師が主に使う木製の杖と違って珍しい金属製の杖だ。最も異質なのは先端部分に握りこぶし大の丸く白い宝玉が収まっていることである。扱う魔術をより強力にするために魔結晶を使う事が多いが、明らかに魔結晶とは違う。あの封印の厳重さを見ても相当な曰く付きの代物なのは間違いない。その危険性を知りつつ痛む手を動かしてメイリルは杖の元へ近づく。
『なんであろうと杖として使えるそれでいい!』
躊躇いなく残っていた封を引きはがし、蓋を完全に開いて杖を手に取った。その時、脳内に男とも女ともつかない声が響いた。
≪……黒き災厄の再来を確認。マナの放出開始。術式展開。今度こそ私は……≫
『ううう……、なにこの術式?』
術式とは現実に変化を起こすために必要な魔術の設計図のようなものである。魔術師はこの術式を覚え、マナを体内に取り込み、魔力を練り上げ、式を紡ぎ、そして魔術として非現実を現実に顕現させる。しかし、いくら高度な術式を覚えたえたとしても、それで即座に高度な魔術を扱えるというわけではない。そもそも人が扱える魔力量は個人差が大きい。いくら設計図を完璧に覚えようとも組み立てる部品がなければ意味がないのと同様、高度で複雑な術式だけ覚えても意味はないのである。だからこそ、その足りない魔力を補う魔結晶が高値で取引されているし、魔術師の杖に魔結晶が欠かせないのはそういった理由である。
だが、メイリルが手に取った杖に使われているのは明らかに魔結晶ではない。それなのに放出されているマナが桁違いなのだ。そして、さきほどからメイリルの脳内に無理やり謎の術式が捻じ込まれている感覚に頭痛がしている。それだけではなく、身体にも大量のマナが入り込み灼けるように体が熱い。むりやり魔力を作り出す回路を押し広げられる苦痛に耐えながらメイリルは必死にその術式を読み解こうとする。
『な、なに、こんなの使えっていうの?だって、これはどう考えても……』
だが、時は待ってはくれない。強大な力を放つ存在を飢えた獣が見逃すはずもなかった。
『いかん!早く逃げるんだ!』
遠くでヘインの声が聞こえる。アギトの獰猛な顔が段々と近づいてくる。アギトの後ろでガラナスが魔力を込めた剣を振り上げている。その全てが不思議なほど現実感がなく他人事としてメイリルは見ていた。
時の流れが遅くなったような気がした。
先ほどの苦痛が嘘のように頭は冴えわたり、身体は軽い。
全ての魔術の基本。
意識を外にではなく内に向ける。
マナの流れを意識して、己の中で魔力に変換する。
まるで最初から定めらていたかのように、魔力が自然に術式を組み立てていく。
全ての準備は整った。
ゆっくりと立ち上がったメイリルは迫りくるアギトに向けて杖の先端を向ける。
そして、後ろの二人を巻き込まないように威力を絞ってその術式、『魔法』を発動させた。
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